【第一章】第九話~沈みゆく未来~
花火大会での事故で、和樹は重度の障害を負った。もう二度と学校に来られない。
黒岩はあの日から姿を見せず、学校にも来ていない。
私達もお互い話す事が減った。その中でも凪の憔悴は凄まじく、私達は何とか彼女を励まそうとしたのだった……。
あの花火大会での事故以来、私達はお互いにほとんど話さなくなった。
幸か不幸か、和樹は一命をとりとめていた。だけど意識障害、半身不随、そして顔面麻痺と重度の障害を負ってしまい、もう学校にはとても来れるような状態じゃなかった。お見舞いにはもちろん行ったけど、和樹はもう私達の事がわからない様子だった。
ただぼうっとどこを見ているのかわからない暗い目をしながら、よだれを垂れ流しているだけ。
活発でお調子者でムードメーカーだった面影はどこにも無い。残った傷跡もすさまじく、凪はお見舞いの途中で泣き出してしまったくらいだ。
ずっと病院生活なのかと思っていたのだが、半月もしないうちに自宅療養になったらしい。どうも和樹の家は親の事業失敗があったため、病院代を捻出する事すらできなくなったらしい。
自宅に戻った和樹に会いに行く勇気はもう、私達には無かった。
ちなみに黒岩も二学期に入ってから学校に来ていなかった。
あの日、警察の取り調べの最中に涼香が激昂し「あんたが絡んでくるからこんな事になったんだ。止めに入った和樹を押し飛ばして、酷いよ」と叫んだ時、黒岩の顔からみるみる精気が抜けていった。
いつもなら涼香に言い返す黒岩も何も言わず、黙ってうなだれるばかり。そこには芸能界を目指すいつもクールな姿はどこにも無かった。ただ何かぶつぶつと言っていたみたいだけど、離れていた私には何を言っているのか聞こえなかった。
それが黒岩と会った最後の姿。
それから連絡は取れないし、もちろんお見舞いにも来ていないみたいだった。二学期に入っても学校には来ていない。先生も何も説明せず、それが逆に怖くて仕方なかった。
「私のせいだ。私があの日、花火大会に行きたいなんて行ったから……」
凪もまた、別人のように痩せこけていた。元々線が細く病弱だった凪は食事もロクにしていないのか、ガリガリになって頬骨も出ている。私と涼香、モカが放課後に凪と一緒に帰ってあの日の事を慰め合おうとしたのだが、凪はそう言うばかり。
「凪のせいじゃないよ。だってみんな、行こうって言ったんだから」
途中、凪がもう歩くのも辛そうになったので休む場所はないかと近くにあった公園のベンチに座らせた。本当はもう少し歩くとファミレスがあるのだが、とてもそこまで今は行けそうにもない。
「そうだよ。だって花火までは楽しかったじゃん。みんな楽しく過ごしていたんだし、あれは凪のせいなんかじゃないってば」
モカがしゃがみ込み、心配そうに凪を見る。けれど凪はうなだれて顔を手で覆ったまま、ぶんぶんと大きく横に振るばかり。
「私のせいだよ。私が言い出したんだから、私の責任だよ」
「違うよ。私のせいだよ」
涼香が凪の隣に座り、その肩を抱き締めるように頭を寄せた。
「私が黒岩の挑発に乗って言い返したから。あの時、もう少し我慢で来ていれば良かったのに。いつものように受け流してさえいれば、あんな事には」
泣き出す涼香にモカが涼香の手を握った。
「あれは仕方ないじゃない。だってあんな楽しい時にあんな事言われたら、涼香じゃなくてもイラッとしちゃうよ。ねぇ夏希、教えて。何で黒岩って涼香に度々あんな事言ってたの? あいつ、涼香の事嫌いなの?」
涙目でモカが私の方を見る。私はあまりこんな事を言うのは良くないと思いつつ、もうきっと駄目になってしまった世界だからいいかと半ば投げやりになってしまう。
「芸能人として成功した涼香が羨ましいんだよ。自分もなりたいけど、なかなかなれないみたいでさ。で、涼香が芸能界をもう辞めたいってどこかで聞いちゃったらしく、それから涼香に当たるようになったんだよね」
「なにそれ、バッカじゃないの。そんなの涼香に言っても仕方ないじゃない」
仕方ない……きっと何もかもがそうなのだろう。
私がループしているこの世界は誰かが不幸になってしまう世界。みんなが幸せになんかなれないように、不幸だって当然襲い掛かる。やるせない、仕方ないなんて言葉で諦めて受け入れるしか無いんだ。
だって誰が悪いわけでもない。強いて言えば黒岩なのかもしれないけど、あいつだって自分なりにもがき苦しんで報われないでいたんだ。和樹だってそう。別に止めに入らなければ良かったのに、人の良さが不幸を招いた。凪だって確かに花火大会を提案した。そもそもモカが何かしたいと言い出した。
私は何か起こるかもしれないとわかっていたはずなのに、防げなかった……。
でも誰のせいにもできない。だからこの悲しみや怒りをぶつけられず、自分達を傷付けてしまうんだ。
でもそれは仕方ないのだろうか……?
「……誰も悪くないよ。そう思わないと、やってられないよ」
一人立ち尽くしている私の足元の土の色が小さく変わる。
「そうかもしれないけど、でも」
モカが反論しようとするけど言葉が出てこないのか、やがて力なくうなだれた。
「もうやめてよみんな」
虚ろな声で凪が呟くと、みんなそっちを見た。けれどうなだれているから、表情はよくわからない。
「私が悪いんだって。私が悪いの。私のせいなの。もうそれでいいからさ」
「凪、それは違うって」
私がそう諫めると、凪がゆっくりと顔を上げる。怖いくらいに痩せた凪の目がギョロリと私を見ると、そのあまりの恐ろしさに声も出なかった。
「違うかどうかなんてもうどうでもいいの。誰かのせいとか、誰も悪くないとか、責任なすりつけ合ったり無かった事にするのは嫌なの。自分のせいだって事のしたいの。その方が私は楽なの。邪魔しないでよ」
「凪……」
それは今まで凪から聞いた事の無かった言葉。いつも大人しく、でも時にちゃんと言うべき時に言う凪はいつだって正しかった。だからこそ、そんな事を言う凪が悲しくてたまらない。とても凪には思えないから。
「みんなさぁ、どうして自分のせいだって思えないの? 関係無いとでも思ってるの?」
「関係無いなんて、この中の誰も思ってないよ」
涼香が涙ながらにそう言うも、凪は忌々しげに笑うばかり。涼香もまた、いつもと違う凪の様子に悲しんでいるみたいだった。
「いい加減にしてよ。そんなに自分一人で抱えたいなら、勝手にすればいいじゃない」
勢いよくモカが立ち上がると、凪を睨みつける。けれど凪も自棄になっているのか、睨み返してきた。
「だからそうするって言ってるのに」
「あぁそう、だったらそうしな。付き合ってらんない。私、帰るね」
そう言って数歩歩くと、モカが振り向いた。
「もうこのグループには付き合ってられない。サヨナラ」
吐き捨てるようにそう言うと、モカの姿は徐々に遠ざかっていった。残された私達はもうどうすればいいかわからず、互いに顔を見合わせる。
「もう放っておいてよ、本当に。私、お母さんに迎えに来てもらうから、二人ももう帰ってよ」
「……わかった」
これ以上きっと何を言っても無駄だとわかった私と涼香はその場を離れて、自分達の帰り道へと向かった。そしてもう、凪は駄目かもしれないと心の中で溜息をつく。あれはもう、私の知ってる凪じゃない。あそこから立ち直る姿が正直、想像できない。
彼女もまた、救いようのない世界に壊されてしまったのだろう。
隣にいる涼香は何も言わない。それが私の考えを肯定しているみたいだった。ただ涼香もずっと伏し目がちで歩いていて、ここから以前のように楽し気に笑う姿が想像できない。
それでも私は残った時間全てを記憶に残しておこうと決めた。もし本当に記憶を持ったままループするのだとしたら、何かヒントになるような会話があるかもしれないから。
結局黒岩はあれから一切姿を見せなかった。凪も数日して学校に来なくなり、連絡も取れなくなった。私は心配して凪の家に行ったのだが、インターホンを押しても無反応。これはもう、会ってくれないなと肩を落として二階建ての大きな家を後にしたのだった。
モカは学校に来ているが、特に私達と話そうとはしなかった。別のグループと仲良くなりそれなりに過ごしているみたいだけど、以前のような明るさは無い。何だか無気力、無関心になってしまったみたいでいつもぼんやりとしている。
そんなモカに私も涼香も最早かける言葉なんか無かった。
「涼香。ねぇ、涼香はどこにも行かないでよ。私、嫌だからね」
学校からの帰り道、私は隣を歩く涼香に懇願した。涼香はやや驚いた顔をしていたが、すぐに微笑みながら頷いてくれた。
「大丈夫だよ。私は夏希から離れたりはしない」
「絶対だよ。絶対、何かあったら教えて。頼ってよ」
夏の暑さがまだ残るけど、九月の風は秋の匂いをはらんでいる。私はあの不安な記憶だけでもどうにか回避しようと涼香の手を握る。
「……こんな言い方をしたらあれだけど、みんないなくなっちゃったね」
寂しげな瞳でそう呟くと、涼香はちらっと空を見上げた。
「うん、だから涼香だけでもいて欲しいの」
「何だか昔に戻ったみたい」
「昔?」
私がその真意を測りかねて涼香の顔を見ると、ゆっくりとうなずいた。
「小学校の頃さ、仕事で学校にいけない日が多かったじゃない。友達も段々離れていったり、距離を取ったりとかされて、結局傍にいたのは夏希だけだった。芸能界で色んな人達を見て色んな事を知って嫌になった頃、高校でまた友達が増えた。凪も和樹もモカも、黒岩だってまぁ普通に接してくれる時は楽しかったよ。でも、またいなくなった。夏希だけしかいなくなっちゃった」
「涼香……」
そっと私の手を涼香が握り返す。柔らかく、温かい手だった。
「そんな私が夏希から離れるわけないじゃない」
「そうだよね。うん、ありがとう」
見詰め合って感謝を述べる私の胸はドキドキしていた。それは嬉しさからなのか、それとも目前に迫りつつある不幸な未来への怯えなのか、わからない。ただ、この手を離さなければ何とでもなる。色々離れてしまったが、これだけはもう何があっても絶対に手放さない。
だから、あんな未来なんて起こるはずが無いんだ。
けれど現実は無情だった。
九月の終わり頃、涼香が学校を休んだ。私は心配して授業が始まる前にメッセージを送ったけど、既読がつかなかった。かなり悪い体調不良でスマホを触る元気すらないのかなとその日は思っていたのだが、夜になっても同じだった。
何度かメッセージを送ったものの、一向に読まれないまま。
最後に会ったのは金曜日の帰り道。週末はオーディションなんだと言っていた涼香は疲れた顔をしていた。心配して声をかけたけど、でも彼女はこれを乗り越えればみんな幸せになれるからと無理に笑顔を作っていた。
それが最後に見た涼香の姿。
二日、三日と続けて学校を涼香は休んだ。私は三日目に怖くなって部活を休んで、涼香の家に行った。酷く嫌な想像と予感に突き動かされ、黙ってもう待ってなんていられなかったから。
涼香の家は周囲の家とは一線を画すほどの豪邸。二軒分くらいはあるだろう。マスコミ対策なのか犯罪防止目的なのか、いたるところに防犯カメラが設置されている。だから私が来たのもわかるだろう。
それに私はよく涼香の家にも行っている。別になんてことはない、見慣れた光景。
インターホンを押してみるが、何の反応も無かった。少し待って、もう一度押す。けれどやっぱり無反応。私はスマホを取り出し、涼香に電話をかけてみる。だがそれも、コール音が響くだけで留守番電話に繋がってしまう。
メッセージはやはり見られていないまま。
一体どうしたんだろう。涼香はどうしてしまったんだろうか。私から離れるわけないと言ってくれたのに、どうしてメッセージも見てくれないし電話もでてくれないのか。恐怖と苛立ちで私はドアをドンドンと強く叩いた。けれど反応は無い。
「涼香ー、いるんでしょ? ねぇ涼香ぁー」
もうどうなってもいいと思って、大声で叫ぶ。でも無反応。
私は目の前が真っ暗になり、涼香の家からゆっくりと立ち去る事にした。けれど何だか諦めきれず、数歩歩いた先で再び彼女の家を見る。
窓にはカーテンが全てかかっており、ガレージも全て閉められている。夕暮れ時なのに電気の一つも点いていない。けれど留守だとはどうしても思えなかった。でも、これ以上私に何ができるのだろうか。
この世界がループしている。それは私の勝手な仮定。未来が見えるとか、体験してきたとかはそう思うだけで確実な証拠が無い。だからもし窓ガラスを割って侵入したとして、警備会社の人か警察にみつかってしまったら、もう私の人生はおしまいだ。
そしてこの恐ろしい現実が夢やパラレルワールドなんかではなく、ただ一つの現実なのだとしたら、私はもう取り返しがつかない……。
どんなに否定したい残酷な現実だとしても。
「次のニュースです。俳優の小泉涼香さんが失踪しているとの事です」
それから数日後、朝食を食べる時にテレビを点けたらいつも見ているアナウンサーが神妙にそう告げた。その途端、私は頭を思い切り殴られたような衝撃を受け、意識が飛びそうになった。
でも、しっかり内容を確認したい。そう思った私はギリギリのところで踏みとどまり、耳鳴りが止まないままニュースを静聴する。
「舞台、ドラマで活躍中の小泉涼香さんの行方が知れないと家族から警察に相談があったそうで、警察は捜索にあたっています。小泉さんはドラマ『きらめきテラス』で一躍有名子役として名を馳せ、芸能界のスターとして活躍していました。事務所の方でも動向は把握していないみたいで、正に寝耳に水と言う事でした」
起こってしまった……一番防ぎたかった未来、いや現実が……。
「ねぇ夏希、涼香ちゃんの事なにか知らないの?」
母親も心配そうに私の方を見る。でも私だって何が何やらわからない。
「学校は最近、ずっと休んでいた。でも、最後に会った時は普通だったよ。三日前に涼香の家に行ったんだけど、誰もいないみたいだった。私も全然わかんなくて」
ボロボロと言いながら涙が溢れてきた。それを見て、母親が私を抱き締める。
涼香がどうして失踪してしまったのか、全くわからない。私との縁が切れたとか、そういうわけでもなさそうだ。仕事絡みなのかもしれないけど、でも涼香は舞台もちゃんとやっていたしレッスンにも出ていた。疲れてはいたけど、そんなの学業と仕事を両方しているから当然だろう。
だからわからない。どうしてそうなったのか、何が原因なのか。
ただ、一つわかるのはもうこれで何もかもが駄目になってしまったという事。
春先にこの世界がループしているかもしれないと思い、紗枝さんのいう通り注意して生きてきた。和樹の事故以降、みんな離れていく中で涼香だけはと気を付けてきたはず。
私なりに寄り添った、恥ずかしいけど手も繋いだりしたしハグもした。涼香だって嫌そうな素振りは無かった。むしろどこか嬉しそうだった。
なのに何故?
「あああああああああああああああぁ」
私は思い切り絶叫し、そこに何も無いかのように突っ伏した。熱い味噌汁も目玉焼きもなにもかもを無視して。




