29-1
『失礼、部長殿。少しよろしいかな?』
『あくまで個人的なお話で恐縮なのだが、最近どうにも気にかかる花がありまして。健気なのでつい愛で過ぎてしまったかと思ったのですが……あの花の棘は上官や同僚で出来ているらしい。
所有の証を感じさせる装飾品もないまま夫のために矢面に立たされるあの花は……一体、誰のものなのですか?』
『まさかと思いますが……彼女は我々の様な愚かな虫どもを誘うために用意された、ただの囮花、ではありませんよね?』
「――だってよ」
ゼフト部長は、それはそれは大きな溜息を吐く。
「紳士倶楽部であんな肝が冷えたの初めてだぞ。ルキウス殿は政商で、プライベートな発言だろうが外交的な意味を持つ。つまり……マジで一歩間違えれば軍宛に正式抗議が届いて外交問題に発展する、ギリッギリ瀬戸際なんだが?」
「……申し訳ございません……」
ゼフト部長から聞かされた話に、頭を抱えそうになる。
ドレスや装飾品を購入させていただく時に、恥ずかしくてリュート様を連想させる色のものを何も用意しなかったのが、こんな形で裏目に出るなんて……。
私の隣で、リュート様が部長を半目で睨む。
「ゼフトが悪い。僕は手を出したいって言った」
「あぁそれについては悪かったよ!でも動揺だけは絶対表に出すな!……んで、お前何言われた?」
「ううぅ……あの……」
何故だろう、リュート様が絶対怒る気がする。
◇
「――はぁ?」
窓枠が揺れ、風もないのに部屋の空気が揺れる。
あまりの魔力圧に、部長も私も反射的に身構えた。
「つまり何?その人、カレンが欲しいの?」
何かに耐える様に腕を組み目を閉じていたリュート様が、ゆっくり目を開く。
「……僕のなのに?」
「り、リュート様、あの」
「落ち着け、お前がキレるとめんどくせぇ」
「うるさい。ゼフトの前なら好きにしていいんでしょ」
「あーもー、本当にめんどくせぇな」
いつも穏やかで優しいリュート様の感情的な姿に、少し驚いてしまう。
それなのに何故だろう。不思議と恐怖や不安は感じない。
むしろなんだか……仲の良い兄弟が喧嘩している様にしか見えなかった。
油断していたら、リュート様に急に抱き寄せられる。
「きゃっ!?」
「……通りで様子が変だと思った。夜中に急に会いに来たり、仮眠室に泊まるなんて普段なら断る様な誘いも受け入れるし」
リュート様は私の目を見て、はっきり断言する。
「絶対行くよ。それこそ万難を排してでも。ていうか、そもそも絶対渡す気ないし」
「……っ!」
「なんのために結婚したと思ってるの。キミを誰にも渡したくないからなんだけど」
そのまま力強く抱きしめられ、部長の前だというのに肩の力が抜けて段々涙が溢れてくる。
――どうしよう、私、今すごくホッとしてる。
そんな私に、部長は気まずそうに話しかける。
「あー、ストックリー、空気読めなくて本当に悪いんだが……お前、なんて答えた?ルキウス殿がキレるとしたらそこしかないんだよ」
「ぐすっ、あの、拐かされない様に、まずは私が努力しますって……」
一瞬の沈黙。
ゼフト部長がゆっくりと額を抑え、リュート様が腕の力を強めながらにっこり微笑む。
「あぁ、お前。自力でどうにかするって言い切ったの……そりゃ怒るわ」
「カレン、ちょっと後で、しっかりお話ししようね」
「わ、私、やっぱり失言を……」
どうしよう、やってしまった。
事の重大さに身体の震えが止まらない。外交問題になったら、どうやって責任を取ればいいんだろう。
明らかに動揺した私に気を遣って、部長が声をかけてくださる。
「いや、お前の発言内容は……あー、まぁ普通なら叱るが、夫がコイツなら仕方ねぇ」
「どういう意味だよ」
「嫁拐かしてお前が出てくるなら、みーんな攫いに来るぞ。言質取らせねぇっていうストックリーの判断は間違ってねぇ……よっと」
部長が椅子から立ち上がったのに合わせて肩を震わせてしまうが、部長は伸びをしただけだった。
春が近く夜が明けるのが早くなった空は、うっすら明るくなり始めていた。
「まあ、今ので状況は大体わかった。あとは俺がなんとかするから、お前らは仮眠しとけ」
「で、ですが、わたしのせいで……」
「カレン、落ち着いて」
「はは、大丈夫だストックリー。俺がなんとかしてやるから、安心して任せとけって。邪魔したな」
そう言うと部長はそのまま、本当にあっさりと部屋から出ていってしまった。




