3-1
朝6時。起きて身支度を始める。
秋も深まってきたせいか、この時間でも外はまだ少し暗い。
内勤用の軍服に身を包み、お母様譲りの銀髪をひとまとめに括ると寮を出る。
向かうのは勿論技術部棟だ。
季節が移ろう様に、ここで働き始めて半年経ったんだな、とふと思った。
入り口付近の守衛室で検閲済みの手紙類を受け取る。
廊下を進むと、研究室が多く並ぶエリアの手前に新聞や論文の写しが並べられている。
誰でも自由に読めるようと大量に刷られたものの中から、更新分を二部ずつ手に取る。
今日は近隣国の研究機関から出た論文集が、とうとう我が国にも届いたらしい。
分厚いそれを手に取りながら、リュート様にお渡ししたらどんな反応をされるかな?どれくらいで読んでしまわれるかな?とふと考える。
たったそれだけのことなのに不思議と胸が温かくなり、自然と口角が上がってしまう。
早くお渡ししたいな。
廊下を通ると徹夜したのであろう技術部員何人かとすれ違ったので挨拶を交わす。
徹夜や食事抜きで研究に没頭するのはリュート様だけではない。みんな本当に大丈夫なのかと、つい心配になる。
顧問室の扉を開く。
執務スペースの奥には二つ扉があり、ひとつは仮眠室に続いてる。名前こそ「仮眠室」だが事実上のリュート様の寝室兼私室だ。
静かに机を拭き、各班から上がってきた日報、簡易連絡用の魔導具や書面で来ている諸連絡を確認していると丁度いい時間になった。
執務机の奥にある仮眠室への扉をノックすると、すぐに返事が返って来る。
扉が開き、仮眠室からリュート様が出ていらっしゃった。中で読んでいたのか片手には読みかけの本を持っている。
「おはよう、サンビタリア」
「おはようございます、リュート様。本日もよろしくお願いいたします!」
「あぁ、これようやく来たんだ」
リュート様はさっそく執務机の上に置いた論文集に気付いたらしい。パラパラと捲っているお姿に、くすぐったい気持ちになる。
「そちらを読む時間、調整して作りましょうか?」
「これくらいは自分で調整するから大丈夫。今日の予定なにか変更ある?」
「追加で連絡が来ていたのは4班からの検証依頼1件と、2班より合成素材の件で相談のお時間が欲しいとのことです。あとは先日戻した1班の報告書、修正したということで再提出きました。それ以外は、リュート様が把握されている通りです」
「分かった。検証依頼と相談内容の概要、日報にある?」
「はい、ございます」
「読んでおく。2班に行くタイミング、向こうの都合に合わせていいから調整して。検証と査読の締切は?」
「ゼフト部長からは……その、『検証最優先。なる早で』と」
「………………これ、取り寄せてほしい文献の一覧。『なる早』で取り寄せろって言っておいて」
「はい」
苦笑しながらリュート様からメモを受け取ると、見慣れない単語が並んでいた。音の響きからして民族名……?
「えぇと、これ、どこかの民族の本ですか?」
「北の山岳地帯にある秘境で暮らす民族。過酷な環境で発達した民間魔法を持つらしいってところまでしか手持ちの本だと分からなくて」
なるほど、つまりこれはリュート様ご本人の研究に用いるものらしい。
リュート様はよく『魔導具の術式開発』が専門と思われがちだけど、本当の専門は、今まで体感やイメージで伝えられてきた『魔法』を紐解き、理論化して体系だった魔法技術――『魔術』に落とし込むというものだ。
だから、今回みたいな部族の民間魔法を解析して理論化するのは、むしろリュート様本来の専門分野に近い。
「最近は民間魔法への質的調査の本が多いですね」
「学ぶことが多いし純粋に楽しいから。僕らが普段使いしている術式と同じ効果でもアプローチが違ったりして面白いし……現地に赴くタイプの調査は僕にはできないからね」
そのお言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
リュート様はとても優秀な方だ。
幼い頃から新たな魔導具や魔術式を編み出してきた。習得している魔法・魔術の多さから「歩く魔術辞典」なんて呼ばれることもあるらしい。リュート様が生み出した理論や技術、魔導具はこの国の生活基盤にすら食い込み始めており、与えた影響は計り知れない。
我が国は、この天才がもたらす知と実益が他国に渡ることを恐れた。そして、その結果がこの状態。
リュート様は軍属の研究者として魔導院敷地内での生活を強いられ、私用での外出は原則禁止。外部への連絡は家族相手の手紙であっても検閲がかけられ、私物ひとつ購入するにも許可がいる。
言葉を選ばずに言えば、事実上の軟禁状態だ。代わりに研究用の文献や環境を惜しまず与えている、というのが国としての言い分らしいけど……。
「サンビタリア」
「は、はい!」
黙り込んだせいで、リュート様から声をかけられてしまった。リュート様から真剣な目で見つめられる。
「何度も言うけど、僕はここでの生活気に入ってるから」
「は、はい、すみません……」
「分かってるならいいよ。じゃあ、仕事しようか」