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トベラ様は、私たちが所属する技術部において、部長筆頭補佐官を務めている方だ。
勤務歴も長く、私が顧問補佐官になる前は本来の業務の傍らでリュート様のサポートもされていた。
友人としても付き合いが長いらしく、リュート様については私なんかよりよっぽど詳しいし、しょうもない嘘をつく必要もない。今のお話は本当という事になる。
衝撃で思わず固まってしまった。もちろん初耳だ。
どうしよう、でもあのままじゃ絶対体を壊してしまわれるし……。
私の動揺する様を見たトベラ様は、何故か優しい笑みを浮かべる。
「お茶をお出ししたとき、リュート様はなんと?」
「……『そういうのは要らないから、用意しなくていい』とだけで、理由までは……」
「なるほど」
トベラ様は腕を組み、また私から視線を外して何か考えている様だった。
少しでも手がかりが欲しい私は、口を噤んでじっと待つ。
防音魔術のおかげで中の会話が漏れることも、外からの音もほとんど聞こえない室内はとても静かだ。
しゃら、とトベラ様の眼鏡についた小さな鎖の揺れる音すら聞こえてくる。
しばらくの静寂の後、考えがまとまったのか黒曜石のような瞳がこちらを向く。
「……すぐに改善は無理でしょうね。彼はもともとあの生活で何年か過ごしていますし、喫緊の問題ではないでしょう。そもそもリュート様に本当に耳を傾けてほしいなら、まずはあなた自身が、信頼される存在にならなければいけません。あなたは、今の自分が"そう"だと思いますか?」
言外に"まだ話を聞いてもらえるほど評価も信頼もされていない"と突き付けられ、一瞬心がヒヤリとするが、実際その通りだ。
春に補佐官になってからまだ一ヶ月とちょっと。技術部員としては仕事を覚え始めたばかりの新人。
信頼関係を築くにはあまりにも短い時間。
本当に他人の前での飲食が苦手なのであれば、私の前でそれを行わないのは当たり前だ。
「……お騒がせし、大変失礼致しました。まずは自分のやるべき事をやり精進いたします」
トベラ様のお言葉に頭を下げると、静かで柔らかな笑みが返ってきた。
「はい、一つ一つ、積み重ねていきましょうね」
◇
「戻りました」
「おつかれ、報告受ける内容ある?」
顧問室に戻ると、リュート様が手元に目線を向けたまま声をかけてくださる。
「いま打ち合わせした魔導機構の件については進捗等問題は無いそうです。順調にいけば来月に一度報告の機会を設けるとのことでしたので調整いたします。それとは他に、先日お話があった国勢院の方との打ち合わせが、急ですが明日になったそうです。同席されますか?」
「ああ、地質調査用に新しく術式組んで欲しいってやつ?行くって伝えて」
「承知しました」
リュート様はお茶出しについてはにべもなく断ってくるが、実務についてはどんなに集中している時でもしっかりと答えてくれるし、聞きたいことが聞けなくてそのまま手が止まるくらいなら躊躇わず話しかけろという方なので、補佐官としては大変やりやすい。
補佐官が新設されるまではご自分で事務仕事もされていたのでこちらの業務内容にも理解があるし、私の休憩や食事、出退勤のタイミングすら業務が滞らなければ好きにしていいと言われている。
仕事と割り切ってしまえば理想の上司なのだ。生活態度に問題がありすぎて心配になるだけで。
そんなことを思いながら打合せの件について、文導機でトベラ様へ伝信魔術の文面を打ち込む。
ちなみに、この文導機もリュート様が開発したもので、タイプライターと違い画面上で文章編集が出来る、大変便利な魔道具だ。
文面を途中までしたためたが、資料なども確認したいと思い、やはり直接行こうと席を立つ。
「リュート様、さっきの件について追加資料などがあるか伺ってきますが、一緒に確認しておいた方がいいことはございますか?」
「僕が知りたいのもその辺くらいかな……ああ、技術部側の主担当と実働する面子も最終確認しておいて」
「承知しました、では行ってまいります」
「うん、よろしく」
◇
「つ、疲れた……」
寮の自室について早々に寝台に倒れ込む。
トベラ様とのお話の通り、まずはリュート様に信頼していただけるよう必死に仕事を覚えているのだが、終わりが見えない。
リュート様が指導を担当している各班からの連絡や日報、進捗確認と週次報告会のとりまとめ。
更にそれを基にしたリュート様ご本人のスケジュール調整や査読用の文献・資料のピックアップ……。
これでもまだ新人だからと本来担当するべき班を減らしてもらっているのだが、それでも多い。
去年まではリュート様お一人で全てこなしていたそうで、当時の仕事量を考えるだけで恐ろしい。
なんとか体を起こし大浴場に向かい、湯浴みして身も心もさっぱりさせると、自室で本を開いて読み始めた。
トベラ様から薦めていただいたもので、今やっている案件に関わる基礎的な理論など概論が記されている。
リュート様たちの研究分野について、それこそ「学園卒業レベル」で知識が止まっている私にとって本当にありがたい本だ。
専門的な知識が足りないと、業務の質にも所要時間にも、関われる内容にも大きく影響する。
はやく補佐官として認めてもらうためにも、リュート様のお役に立つためにも頑張りたい。
読み始めてしばらくすると、カチ、コチと時計の秒針の音が耳に入る。少し集中が乱れたらしい。
時計を見ると、日付が変わろうとしていた。
そのままなんとなく明日の業務スケジュールを考えていたら、まずい事に気付き心臓が跳ね、血の気が引く。
明日の打ち合わせについて、さっきトベラ様から預かった資料、私、リュート様に渡してないのでは……?
どうしよう。口頭では資料の変更内容や追加事項の報告はしたし、先日お渡ししているものからそこまで変わっていなかったので、多分問題はない。
けれど……それでも明日の午前中にある、しかも他院との打合せ資料を渡すのが直前というのは、さすがに不味いのではないだろうか。
この時間なら、リュート様はまだ起きて作業していらっしゃるはず。
――まだ間に合う……!
少しでも早く渡したくて慌てて夜着から制服に着替える。技術部棟に走ると、すぐに煌々と灯りのついた建物が見えてくる。
寝食を忘れて研究にのめり込む技術部員はリュート様だけではない。というか、技術部棟で勤務しているのはそういう人種ばかりだ。研究内容によっては三交代でずっと作業をするものもあるらしい。
想像した通り、深夜のはずなのに廊下を普通に歩く技術部員たちとすれ違う。
そうこうしていると、普段の仕事場である顧問室に辿り着く。
絶対リュート様も起きてまだお仕事をされているだろう。
本当にいつか倒れてしまわれないか心配になりながらも、どうやって言い訳しようと思いながらそっと入室した。