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入院だなんて大袈裟だ思って断ろうとしたら、入院しないと上官であるリュート様に監督不行届の厳重注意が入ると言われ、慌てて了承した。
荷物の準備や引き継ぎを済ませ、リュート様にご挨拶しようと廊下を進んでいたら、リーリに話しかけられる。
「レン、次の出勤は夏至の後でしょ?今のうちに渡しておくね!」
そう言いながら、小さな紙袋を渡された。
リーリの瞳のような、綺麗な薄紅色の香水瓶だ。
「うちの地元の特産品で、鈴蘭の香りがするの!今度お揃いでつけよー!」
そう言って笑って去っていくリーリに慌ててお礼を言い、早速、ほんの少しだけ香りを纏う。
すっきりとしていて、優しい香りだった。
顧問室の前に立ち、少しだけ躊躇う。
リュート様はレオナルド様や部長とのお話を終え、業務に集中しているそうだ。
この数日間は夏至祭のおかげで大きな会議もない。
なので、リュート様の集中を妨げないよう顧問室には近づかないようお達しが出ているらしい。
――そんな状態のリュート様に、ご挨拶して本当にお邪魔じゃないのかな。
薬を盛られていたこと、黙っていたの怒っているかな。
最近迷惑ばかり掛けてて、うんざりされてないかな。
どうすれば、リュート様に笑ってもらえるんだろう。私はただ、あの方に、何の憂いもなく快適に過ごしていただきたいだけなのに。
ノックしようと思った手を、そっと下ろす。
……病院に着いたら、引き継ぎ内容を書き出して誰かに届けてもらおう。
「はい駄目ー」
そんな言葉と共に、視界の端から軍服の腕が出てきて容赦なく扉をノックする。
いつの間にか、シュウさんが隣に立っていた。
「ちゃんと挨拶くらいしてけ。礼儀だろ」
「は、はい……」
それを言われたら逆らえない。
シュウさんに背中をそっと押され、私一人で顧問室に入る。
「……ああ、カレン。これから病院に行くの?」
優しい声に肩が跳ねる。
リュート様の顔を見るのが怖くて、目が合う前に頭を下げた。
「さ、作業の邪魔をして申し訳ございません!あの、これから行ってまいります、引き継ぎは紙面でお渡ししますので。あ、あの……失礼します」
そそくさと出て行こうとした私を引き留めたのは、他でもないリュート様だった。
「カレン、ちょっと待って。そこに居て」
そのままリュート様は、仮眠室に入ってしまう。
なんだろう?と待っていたら、リュート様が小さい箱を持って出てきた。
そのまま私に箱を手渡す。
「はいコレ。入院中で当日は渡せないだろうから……って、あれ?香水つけてる?」
「は、はい。リーリにさっき貰って……」
「本当?ローゼスに先越されちゃったな」
そう言ってくすくすと笑っていたリュート様だけれど、ふと真面目な顔になり、そのまま私を抱きしめた。
「少し早いけど……誕生日おめでとう、カレン」
――言われた意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
確かに夏至は、明後日は、私の誕生日だけど……。
「お、覚えて……、というか怒っていらしたんじゃ……?」
「流石に去年に引き続き忘れるわけにはいかないよ。あと……怒ってても、キミを愛してることに変わりはない。これは両立する感情」
本当に、リュート様から?
私、なんの役にも立てていないのに、貰っていいの……?
促されて、震える手で箱を開ける。
中には、蓋付きの懐中時計が入っていた。
花の意匠が彫り込まれた小ぶりなそれは、シャトレーヌに付ければ社交にも持っていけそうだ。
文字盤を見ようとカチリと蓋を開けると、蓋の裏に柘榴石が埋め込まれていた。
陽の光に当たった時の、リュート様の瞳、そっくりの色。
「……綺麗」
「それなら、社交でも仕事中でも、……病院でも、どこでも持っていけるでしょ」
――視界が滲む。胸が熱い。
胸元で、海中時計をぎゅっと握り込む。
涙が溢れそうになるが、せっかく貰ったばかりの懐中時計を濡らしたくなくて、ぐっと堪える。
「……ありがとう、ございます。すごく、すごく嬉しいです。絶対持って行きます……!」
嬉しさのあまり、大声を出してしまいたいくらいだ。
リュート様はお怒りのはずなのに、お仕事を邪魔してしまっているのに、こんなに幸せなことがあっていいんだろうか。
泣き笑いのような顔でリュート様に伝えると、リュート様が優しく微笑む。
大きな手がそっと私の頬に触れ、唇が触れ合った。
「……退院したら、ちゃんと話そう。それまで、これだけ覚えておいて」
もう一度抱き締められ、リュート様が私の耳元で囁く。
「僕には……キミ以上に大切なものなんて、ないから」




