38(三人称)
(珍しく三人称です)
王都にある珈琲館の一つ。
ほどほどに繁盛している店内は、低いざわめきと珈琲豆を煎る香りに満ちていた。
そこに長身の男が入ってくる。
入り口の棚から新聞や刊行誌を数部手に取り、珈琲を注文すると席に腰掛ける。
その様子は完全に慣れたもので、店の情景に完全に溶け込んでいた。
周囲からは沢山の話し声。
幅広い年齢と身なりの男達からは政治・外交・軍事についての噂話や情報分析から会議の愚痴まで。
さながら情報と知の坩堝といって差し支えない、その様々な声に耳を傾けながら、ゼフトは新聞を広げた。
ゼフトの視界の端に、磨き抜かれた革靴が入り込む。
顔を上げると、生真面目そうな顔をした青年が立っていた。
「どうも、部長殿。少し相席よろしいですか?」
ゼフトは男の顔に見覚えがあった。
年末の大舞踏会でカレン・ストックリーとダンスを踊っていた、技術大国の文官――書記官だ。
「これはこれは。御国の方がこのような場所に、どうされました?」
ゼフトは和やかに微笑みを返し着席を促すと、店主の方を向き視線だけで珈琲を注文した。
書記官はゆったりと微笑むと、ゼフトの正面に腰掛ける。
店主がそっと珈琲を置き持ち場に戻ると、青年は笑みを深め口を開いた。
「……先日はストックリー顧問の寄稿原稿、誠にありがとうございました。大変素晴らしい内容で、うちの技官が食い入るように読んでおりました」
「それはそれは。お役に立てたようで何よりです」
こんな所にいるゼフトに態々話しかけるなど碌な用事ではない。だんだん嫌な予感がしながらも和かに対応を続けていたら、書記官が両肘をついて指を組んだ。
「……時に部長殿、最近、ストックリー夫人の周りが随分と騒がしいようですね?私共としても、心を痛めておりまして」
――ああ、そういうことか。
ゼフトは溜息を腹の底に押し込めるついでに珈琲を一口飲むと、笑みを浮かべた。
「彼女の夫……ストックリー顧問は有名人ですからね。周囲が賑やかなのは当然です」
否定はしない。ただ、態と意味を取り違える。
拉致襲撃の話ではなく、あくまで注目を集めている、という意味に。
青年は笑みを一切崩さずに言葉を返してくる。
「ストックリー夫人も気苦労が絶えませんね。……彼女の心が休まるのは、我が国としても重要な事です。宜しければ、避暑地にご招待したいのですが」
「おやおや、お気遣いありがとうございます。なんと破格な待遇か」
「ストックリー卿が我が国にもたらした益を考えれば、当然の事ですよ」
二人の和やかな表情と口調に対して、彼等の卓だけまるで薄氷の上の様に空気が冷えていく。
言葉の応酬を続けながら、ゼフトは先日大国大使から届いた手紙を思い出す。
『ストックリー夫人が気疲れしている様で、妻が心配している。もし良ければ、気晴らしに妻の生家に招待させてほしい』
大使夫妻は社交デビューからカレン・ストックリーに好意的で、特に大使夫人がカレンを可愛く思っているのは真実だろう。だからこそタチが悪い。
カレン本人には一切話していないが、襲撃が始まった頃からゼフトの元にはこういった『ご招待』、つまりカレンの身柄を渡せという連絡が絶えず届いている。
その度に何度も握りつぶし誤魔化して来たゼフトだが、そのあまりの量に最近は些か辟易していた。
挙げ句の果てに、そのうちのいくつかは、おそらく自作自演――襲撃を企てておいて『善意の保護』を申し出ているのだろう。実に腹立たしい話だ。
更に珈琲を一口飲み、ゼフトは口を開く。
「有難いことに各方面からその様なお話を頂戴するのですが……ストックリーは一代男爵夫人としても顧問補佐官としても多忙な身でして、これまでも全て丁重にお断りさせていただいております」
ゼフトの言葉に、書記官は目を細める。
生真面目そうな真剣な眼差しが、真正面から彼を捉える。
「……御国で事足りる、と?」
踏み込んで来た青年に、ゼフトは微笑みで応える。
何も読ませない、渡さない。そういう意思表示だ。
しばらくの沈黙の後、書記官はふぅ、と軽く息を吐くと目を伏せ肩の力を抜いた。
「当然の申し出、失礼しました」
「いえいえ、有難いお声掛け感謝します」
青年は珈琲を手早く飲み干すと、先程より少し自然な表情を浮かべる。
「どうか御用心ください……夫人に、心からの安寧が訪れるようお祈りしております」
その言葉にゼフトは些か驚くが、全く表情には出さず応じる。
「有難いお言葉、ありがとうございます」
青年は力無く微笑むと、席を立ちながら囁くように言葉を紡ぐ。
「……今後も良い関係を築いていけましたら幸いです。また何かの折にお声がけさせてください」
退店していく書記官を、ゼフトは窓越しにしばらく眺めていた。




