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1-1

どんなに必死に努力しても期待に応えることができず、誰からも必要とされなかった。

辛くて苦しくて、すべてを諦めたくなったとき、貴方からかけられた言葉は、私にとってまぎれもなく光でした。


――――――――――――――


古今東西、魔法・魔術に関する文献で埋め尽くされた広い部屋。

四面ある壁のうち二面が床から天井までほぼすべて本棚になっているにもかかわらず、さらに本棚が置かれ、それでも床まで多くの文献や資料で溢れている。

部屋の奥にある大きめの執務机の端、本来なら巻物状の古い文献や大判の資料等を広げて使う場所が空いているのをいいことに、ティーカップを置いた。


置かれたカップからお茶の豊かな香りが広がる。

そこそこ上手く淹れられたようだ。


執務机の主の手が止まり、赤茶色の瞳だけがわずかに動く。

せっかくの端正な顔立ちを分厚い眼鏡と長い前髪で隠した彼は、ティーカップを一瞥すると眉ひとつ動かさず、すぐに手元の大きな半透明の板に視線を戻し口を開いた。


「こういうの要らないって言わなかった?」


水状硝子と呼ばれている魔物(スライム)の体組織を練り込んだ硝子板に、特殊な配合で作られたペンで触れると、まるで紙にインクで何かを書く時のように硝子に線が引かれていく。


……やっぱり断られたなぁ。

分かっていたつもりだったのに、胸の奥が静かに沈んでいく。

気づかれないよう笑みを浮かべた。


「自分の分を淹れるついでですので、どうか気になさらないでください」


気にしていないように振舞い自机に戻り、言葉の通り自分用に淹れたお茶を飲む。


先ほどの執務机の主――リュート・トゥルペ様の補佐官を務める私、カレン・サンビタリアの目下の目標。

それは、上官であるリュート様にお茶を飲んでいただくことである。



「リュート様がお休みにならないことが、そんなに心配ですが?」


小会議室内に、柔らかい男性の声が響く。


先程までこの小会議室で打ち合わせしていたウェン・トベラ様だ。

新人の私にとって仕事を教えてくださる先輩であり、業務上リュート様の次によく話す相手であり、よき相談相手でもある。


「心配に決まってます!リュート様、朝から晩まで本当にずっと休憩されないんですよ。お飲み物を飲んでいるところすら拝見したことなくて……」

日頃の鬱憤を晴らすかのように、言葉に熱がこもる。


ずっとずっと、リュート様の役に立ちたかった。

とある理由でリュート様に憧れた私は、国立軍に所属している彼に少しでも近付くため、学園を卒業してすぐ入軍試験を受けた。


配属された先で書類仕事も片端から引き受け、兵としても事務としても必死に働いて実績を作ること2年。

更に伯爵である父とこの国の聖女であるお姉様に頼み込み、新設されることになったリュート様の補佐官の座に、なんとか滑り込んだ。


無事に補佐官になれた時は本当に嬉しかったけど、働き始めてすぐ気づいたことがある。


リュート様は会議や打合せ等の約束がある時以外、基本的に机に向かっている。

私が出勤する朝から寮に戻る夜までの間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


最初は、多忙なことが原因だと思っていた。

リュート様はこの国立軍魔導院第一研究所 技術開発部――通称技術部において、若くして顧問を務める魔法・魔術研究の第一人者だ。


魔導具関連の術式・開発において多くの実績をお持ちで、リュート様を知らない者はいても、彼が関わった魔導具や魔術を一度も見たことがない者はこの国には居ない。


たとえば先ほどの水状硝子板と、それに使うペン状の魔導具。私が議事録や伝信魔術に使っている文導機(ぶんどうき)

いずれも、彼が子どもの頃に自分用として開発したものが元になっているらしい。


ご自身の研究と同時進行で他の技術部研究員の指導や共同開発を進める日々は多忙を極めており、食事の時間すら取れない事も納得はいく。


「初めはスケジュールを調整して、休憩や食事ができそうなくらいの時間を捻出してみたんです。でもリュート様は空いた時間にも文献を読んだり魔術陣の草案を描いたり、席を立ったかと思えば本を探しているだけで……」

「ああ、リュート様ならそうなるでしょうね」

ずっと私の話を穏やかな表情で聞いてくださっていたトベラ様がふ、と苦笑を漏らすのを見て、やっぱりリュート様ってそういう方なんだ……。と達観してしまいそうになる。


以前、あまりにも食事や休憩をとる様子がなくて思わずリュート様に聞いた時『食事とか睡眠に割く時間が勿体ない。丸薬齧ってれば死なないし』と当たり前のような顔で返されて、なんというか言葉に詰まってしまった。

それ以来様子を伺っていたら、水分補給すら私が見ている範囲では行なっていない事に気付き血の気が引いた。

この様子だと、お言葉の通り睡眠時間すら限界まで削っていることは想像に難くない。


「リュート様のあの生活、どう頑張っても体調を崩す未来しか見えません……!」

思わず握りこぶしを胸元に掲げ、トベラ様に熱弁を振るってしまう。


彼に憧れて、どうにかしてお役に立ちたくて、実家のコネも何もかも使って補佐官におさまった身としてこれは由々しき事態だった。

リュート様が倒れてしまう前にどうにかしたい。体調を崩してしまえばそれこそ研究の妨げになってしまう。


目下の目標としてまずは水分を摂っていただこうと数日おきにお茶を出し始めたのだが……今日も飲んでいただけなかった。

本当に、いつか体を壊すんじゃないかと思ってしまう。


トベラ様は細いフレームの丸眼鏡をくいと押すと、長い足を組みかえ視線を外し、何かを考えるそぶりを見せる。言葉を探している様だった。


「……サンビタリアさん、ハッキリ言いますね」

「はい」

「根本的な問題として、リュート様は誰かの前で飲み食いするのがとても苦手なんです。誰かが用意したものを口にするのは特に……。」


「え」


トベラ様はすこし困ったような顔で眉尻を下げてしまわれた。

「……おや、本当に聞いてないんですね。てっきり説明を受けているのかと」

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