お前の下には立たない
そこは、選ばれた者だけが招かれる部屋
帝都セントラルのエデン・ラウンジ。
光が反射する黒曜の床、大理石の柱に囲まれたラウンジの中央には、レイモンドがいた。
半円形のソファに悠然と座るその傍らには、常に数人の女たちが並ぶ。
彼の“コレクション”――それが都市での彼女達の通称だった。
その中にはかつての恋人のリアナも含まれていた。
リアナが孤児院を去ってからすぐ。
なぜかここに招かれたカイはレイモンドからの言葉を待っていた。
「……本当に興味深い青年だよ、君は」
レイモンドは赤いワインを揺らしながら言った。
「君のことは高く評価しているよ。
この世界で生まれを除けば、君以上の人材はいない。
だが、カイ――この世界で“生まれ”は除外できないんだ」
「だから試験に落ちた・・・」
カイは微動だにせず、声だけで問いを投げる。
「理由は単純だ」
レイモンドは微笑んだ。
「君には、家がない。支配階級に属さない。
君がいかに優秀でも、“この社会の信用”という土台がないんだよ」
カイは黙っていた。
その視線には怒りが宿っていたが、言葉にはしなかった。
レイモンドは、それが気に入ったのか、さらに愉悦を込めて続ける。
「それでも、私は君を認めている。
だからこうして、時間を取った。……ご褒美だよ
君は、私の“気に入った孤児”なんだから」
そして――
背後のドアが開く。
軽やかな足音と共に、リアナが入ってきた。
白金のドレス。
レイモンドにだけ見せる笑顔。
カイに視線を向けると一瞬、硬直したが
すぐに、リアナは柔らかい微笑に切り替えレイモンドの隣に座る。
「リアナ」
レイモンドは彼女の髪を撫でながら、カイを見下ろすように言った。
「君がかつて心を寄せていた女性だろう?
今は私の寵愛を受ける立場にいる。
よく懐くし、手もかからない。
何より、私の役に立とうとする意思がある。
つまり――“価値”があるということだ」
カイのこめかみが、わずかに動いた。
リアナは何も言わない。ただ、笑っていた。
「君にひとつ忠告しておこう、カイ。
この世界は、能力でできているが、
“選ばれた血”を持たない者に、扉は開かない。
リアナは私のものだ。
君には、何一つ手に入らない」
ソファに悠然と座るレイモンドは、片手にワインを持ちながら、もう片方の手を――隣に座るリアナの太ももに滑らせていた。
リアナは何も言わない。
ただ静かにレイモンドに寄り添っている。
その光景を、カイはただ黙って見つめていた。
心が、音もなく軋む。
何を言っても、何を訴えても、届かないのは分かっていた。
彼女は、目の前で“他人の女”になったのだ
しばしの沈黙。
カイは口元をわずかに歪めて言った。
「……科学は、血を選ばない。
選んでいるのは、人間だ。
ならば――壊すだけだ。
“その選び方”ごと、全部な」
レイモンドの眉がわずかに動いた。
その瞳に、初めて「危険」を察した気配が宿る。
「面白い。だが、夢想にすぎない。
君は才能を持ちすぎている。だからこそ、支配される側にしかなれない」
「カイ」
レイモンドは重々しく足を組み、正面に立つ少年を見上げるように言った。
その声音には、余裕と支配の色が濃く滲んでいた。
「まだ若い君に、これだけの才能があるのは実に興味深い。
……惜しいと思っているよ。もし、君が分をわきまえることができるなら――私は君を歓迎しよう」
リアナがぴくりと肩を揺らした。
彼女の横顔に、不安とも安堵ともつかない複雑な色が浮かぶ。
「君が頭を下げるなら、私の技術部門で迎え入れてやる。
階級は保証しよう。給料も、住居も与えてやってもいい」
しばしの沈黙の後、カイはゆっくりと口を開いた。
「……なるほど。
それはつまり、“飼ってやる”ってことか」
「ふふ、言い方はどうでもいい。
飼われる側にも、それなりの快適さはあるぞ。
それに、君ならきっと優秀な“道具”になれる」
その瞬間、カイの中で何かが、完全に切れた。
「俺はな、道具になるために、脳を鍛えたわけじゃない。
命令を受けるために、生きてきたわけじゃない」
そして、レイモンドの目を真っ直ぐに見据えながら、はっきりと告げる。
「お前の下で働くくらいなら、ここで朽ちたほうがマシだ」
リアナが息を呑んだ。
レイモンドは、ゆっくりと立ち上がる。
その瞳の奥に、僅かに苛立ちが走る。
「ふぅ……君は本当に、損な生き方しか知らないようだ。
誇りや理想は、腹の足しにもならんぞ?」
「なら、腹を空かせてでも俺は――
お前のようにはならない」
レイモンドの表情から、わずかに笑みが消えた。
カイは一礼もせず、くるりと背を向けた。
この空間にはもう、彼の居場所などない。
だが彼には、まだ――未来がある。
それを自分の手で掴みに行く覚悟だけは、誰よりも強かった。