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プロローグ

二〇〇四年 八月五日の午後六時頃───。

 東京の大きな病院で一人の赤子が産まれた。

 視界がぼんやりとしており、静かな医療室で響き渡る産声に、母親はまだ出産の実感を感じれていなかった。


 「元気な赤ちゃんですよ」


 助産師が母親に問いかけると、ハッと我に返り赤子を見つめる。

 すると泣きそうな声で赤子の頬を触り、目元に涙浮かべた。


 「これが……私の子ども……!」


女性は出産前に父親と名前の相談をしており、初めて出会った赤子に相談し合った名前で呼んだ。


 「舞香……!初めまして……舞香……!」


 鳴り響く産声の中、母親は会えた事でいっぱいだった。


 東雲 舞香(しののめ まいか)

 これが彼女の名前だ。


 四年後の二〇〇八年。

 父親が借金問題等によって夜逃げをされてしまい早二年。母親と私は家の中で引き篭って生活をしていた。

 外の世界なんて何も分からないし、何が起きているのかも分からない。

 ただ一つ言えるのは、母親がいつも怯えている事だけだ。

とは言え私はいつもの様に母親に近付いて甘える。


 「おかーさん、おなかへった」

 「……ごめんね、舞香。お腹減った?」

 「なにかたべたい!」


 そう言えば私のお母さん、()()()()()んだけど、痛くないのかな?

 お買い物にも行ってないのに、()()はあるのも不思議……。


 「今日も……()()でいい……?」

 「うん!おかーさんがつくってくれるお肉大好き!」

 「そう……ありがとう……」


 母親は微笑むと、キッチンに向かい冷蔵庫を開ける。

 なぜか赤黒い液体と銀色の何かが冷蔵庫の中に飛び散っており、異臭を放っている状態だったが、私は動じなかった。

 それが普通だと思っていたからだ。


 白い皿の真ん中に丸いお肉が置かれているだけの物が、テーブルに置かれる。

 フォークで肉を頬張り、それを見ている母親は笑顔だった。

 恐らくこの光景を見るのが、唯一の救いなのだろう。

 肉を半分食べたところで、母親が口を開く。


 「舞香、今から水族館って所、行こうか」

 「すい……ぞくかん?」

 「お魚が沢山いる場所……きっと舞香が大好きな所だよ」


 そういうと舞香はパァッと笑顔を見せ、その場で立ち上がりジャンプする。


 「行く!絶対行く!」

 「……じゃあ支度しよっか」


 舞香は目をキラキラさせながら答えた。

 母親は机にあったボロボロの財布を持ち、舞香の手を繋いで外に出る。


 舞香は初めて外に出た。

 見たことない景色、感じたことの無い風、初めての匂い。

 全てが新鮮な気持ちだった。

 散歩している犬を見て手を振ったり、揺れる草を見ながら一緒に揺れる舞香を見て微笑む母親。

 楽しくなって我を忘れている舞香だったが、母親の手は決して離さなかった。

 

 「見ておかーさん!何か走ってるよ!」

 「電車だね、みんなを乗せて走って行くんだよ」

 「でんしゃ……!」


 駅で切符を買い、電車が来るのを待つ。

 何かも初めてでワクワクしている舞香は、母親にあれこれ質問を問いかけ続ける。


 「おかーさん!でんしゃ来た!」

 「そうだね、乗ろっか」


 母親は座席に座り、窓に映る景色を見て黄昏ていた。


 「――香……舞香、着いたよ」

 「ん……」


 興奮しすぎたのか、電車で眠ってしまっていた。

 母親は舞香をおんぶしながら水族館に入館しており、起こした目の前には大水槽の中に色々な魚が泳いでいる光景が広がっていた。


 「わぁ……すごい!魚が泳いでる!」

 「そうだね、沢山いるね」

 「あれなに!おかーさんあれなに!?」

 「お母さんも分かんないや、魚詳しくないし……」


 舞香はしばらくの間大水槽に夢中になっていた。

 

 館内をぐるっと回り、時刻は午後五時。

 楽しい時間はあっという間だった。

 母親と一緒に館内から出て、目の前にある大きな海が見える展望台まで歩いていった。


 「舞香、どうだった?水族館」

 「楽しかった!えっとね、魚がぶわーっていっぱいいた!」

 「あはは、何それ」

 「ほんとだもん!魚がいっぱいいて……」


 微笑みながら沈んでいく夕日を見る母親だが、下唇を噛んで何かを堪えていたのが見えた。

 風が強く母親の髪が乱れ表情は見えなかったが、何か水のようなものが手の甲に当たった。


 「舞香、ごめんね……こんな母親で」

 「おかーさん?」

 「ごめんね……もっと、もっともっといろんな所に連れていきたかった……いろんな食べ物を食べさせてあげたかった……」

 「どーしたの?おかー――」


 柵に足をかけ、舞香を見る。

 これまでに無い、悲しい表情で。


 そこからはよく覚えていない。

 微かに覚えてるのは、色々な人が母親を見ていた事。

 飛び降りた時に叫んでいた人もいた。


 私のお母さんは死んだ。

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