◆57「俺が、主人公……。主人公って、何だ?」
魔王城でのあの夜から半年ほどのち、俺は人間の王都で久しぶりにイシダと再会した。
人間と魔族の和平条約が結ばれる席の立ち合い人として、ともに来賓として招かれたのである。
転生勇者のイシダは両陣営の力の拮抗を示す象徴として。
そして俺──正式に魔王の妃の立場に収まったエリスは、魔王や魔族の行き過ぎた行いをいさめ、和平を推し進めた立役者として、民衆の前で紹介される形となった。
表向きは王都奪還のため結集した国王軍の残存兵力が王都の魔族を追い払ったことになっているため、国王側の面目も一応は保たれている。
一応は、というのは実際に魔族と戦った人間の兵たちは魔族の実力を嫌というほど理解しているので、正直なところ彼らには、危うく命拾いしたという認識しかないのである。
彼らにとって、魔族の内部から和平の声を上げたというエリスの存在は、まさしく奇跡を行った聖女のように思えたことだろう。
俺はイシダとともに、王城前の広場に設けられた演台の上から、歓声に湧く民衆や兵士に向けて手を振った。
俺が勇者として認められ、王都を旅立ったたときに思い描いていた栄光の瞬間。
同じ瞬間、同じ演台の上には魔王が健在で、俺が彼の妃としてこの場にいるなど、想像だにしていない結末ではあったが──。
*
「ふぅ……、長かったなあ。笑顔の作り過ぎで顔が引きつっちまうぜ」
その日の夜、王城内で行われた宴席の佳境。
テラスに置かれた椅子にドッカと身体を投げ出しながら俺が言う。
人間のときの癖でそうしたのだが、そうするとペシャンコに潰れた背中の羽根が不満げに羽ばたき始めたので、俺はやむなく浅く掛け直すことになった。
「お疲れのようですね。浮かない顔の理由はそれが原因ですか」
そばで相槌を打つのは、示し合わせて会場から一緒に逃げてきたイシダである。
「それだけじゃねーよ。和平条約が正式に調印されたから、いよいよなんだ」
「……何が、いよいよなんです?」
こいつ……、わざとか?
あからさまには言いづらいから言葉を濁したのに、気が回らないやつ。
「ちゃんと約束が果たされたと確信できるまでは駄目だって、散々ごねて引き延ばしてきた件だよ。もう俺にはロキを拒む理由がない」
「ああ」
なるほど合点がいったというイシダの表情。
演技なのか。それも素なのか。
終始いかにも何か企んでいそうな糸目のせいで判断が付かない。
「あれから半年もあったので、そういうことはとっくにお済みなのかと思ってましたよ」
「くっ……、気軽に言ってくれるぜ」
「覚悟を疑われるのはどうだとか、あんな漢気のある啖呵を切ったのにですか? 後日談としてはちょっと幻滅を禁じ得ませんね」
「う、うるさい。その覚悟とは別の話だ。男とやるなんて……心の、整理が……」
俺は両手で顔を覆い、椅子の上でうずくまる。
「エリスさんの献身によって和平が実現したのです。ほとんど血を流すこともなく。そこは胸を張って臨んでいただきたいところではありますが」
「献身? 献身……」
「ええそうです。尊い自己犠牲の精神なのではありませんか? 生理的にそこまで嫌悪することを受け入れてまで、人々やあのシグルスという暗黒騎士の命を救いたかったのでしょう?」
「そう、なのかな……」
確かにロキの妃になる代わりの条件として、それらを提示したのは俺だ。
だけど、いざ他人からそれを指摘されたときに感じるこの違和感は何だろう。
俺は本当に、自己犠牲で、渋々、やむなく、ロキの女になることを選んだのだろうか。
「違うのですか? 私たちは実際に選択された行動の結果から、エリスさんの内面を推し量ることしかできません。本当の心の内を知っているのはエリスさん、貴女ご自身しかいないのですよ?」
「……うぅ、それを俺に言わせてどうするつもりだ。今さら。人を辱しめるようなことを……」
「……ええ、まあ、差し支えなければでよいのですが……、できれば。後学のために」
「お、俺ばっかり白状させられるのはズルいだろ。イシダ。お前も話せ。俺もお前に聞きたいことがあったから呼んだんだぞ」
「私にですか? 何をでしょう?」
「あのとき、ホロウの魔法を使って俺の本心を確かめようって提案したアレのことだよ。ロキがその話に乗ってきたらどうするつもりだったんだ?」
丸ごと、洗いざらい訊かれていたら、俺は何を答えていたか分からない。
自分でも自分の本心が分からないというのに。
いずれにしろ混乱は必至だ。
今までの嘘が全部バレて、幻滅され、俺は八つ裂きにされていたかもしれない。
少なくとも事態の収拾を図ろうとする者の提案ではない。
ところがイシダは俺からその点を攻められても、まったく慌てることなく、ケロリとこう返したのだった。
「ああ、あれですか。あのときは空気がちょっと重くなってたんで軽くしようと思ったまでです」
「はぁ? 空気が、なんだって?」
「こう言ったほうがいいですかね。あれで私は、魔王氏の〈闇落ちルート〉を回避したんですよ」
「全然。余計分かんねーよ。〈闇落ちルート〉って何だ?」
そこでイシダがたっぷりと含み笑いで間を取った。
その笑みに俺はゾクリと悪寒を走らせ身構える。
「実は私、この世界の真理に関する天啓を得たのです」
「お前大丈夫か? どこかで頭打ったりしてないか?」
「ええ、それに近いことはありました。あの夜、一度死んで自分の部屋で目覚めたときのことです。実はそれまでにも予感や予測はずっとありまして。最初は〈なろう枠〉だと信じて疑わなかったんですけど、〈無限の袋〉から転がり落ちてきたエリスさんの土産話を聞いてるうちに、どうやら違うぞって思い始めたんです」
「一体、何の話をしてるんだ……」
「もちろん、この世界の真理──有り様、構造についての話です。私自身が主人公だってことには最初から懐疑的だったわけですが、エリスさんが主人公なのだと考えると実にしっくりくるわけです」
「俺が、主人公……。主人公って、何だ?」
イシダは当然のように俺の問いを無視してしゃべり続ける。
もはや聞き手など必要としないほど、自分の考えに夢中になっているようだ。
「問題はこの世界が〈ラブコメ〉なのか〈乙女ゲー〉なのかという細部が詰められなかったことです。自分の中ではひとまず保留にしてあったんですが、あのとき、自分が矢で射られて一度死んでみたところで確信したわけですよ。こういう〈ちょっとした悲劇〉が絡むところは実に〈乙女ゲー〉の様式に適ってます。ですから私も、このお話の登場人物の一人として、その流儀に沿った振る舞いをせねばと自覚した、というわけでございます」
というわけでございます、と結ばれても、俺の方は全く何も納得できていなかった。
だが、イシダはそれで俺の質問に対し完璧に答えられたと満足したように、糸目をニコニコに丸めて微笑んでいた。
まあいい。
俺もある意味では理解した。
諦めた。
これは、これ以上俺が聞いても到底理解できない話であると。




