◆56「なるほど。意外とまんざらでもなかった、と」
「……これは、魔力が枯渇しかかっておるな」
「そ、そうなんだ。さっきもそれで死に掛けてて、どうやったら自分の魔力を分けてやれるのか分からなかったから、それで、その……」
ロキが俺の方を振り返る。
あ、しまったと口を押さえる俺に対し、ロキは一瞥をくれただけでシグルスの方に向き直った。
「魔王様……。どうか、介錯を……」
「愚か者。王に手間を掛けさせるな」
ロキがシグルスの額に手を置くと、触れた部位に紫色の光が灯る。
それは瀕死のシグルスに引導を渡す介錯などではなかった。
本来はこれが正しいやり方。
そうやって自分の魔力をシグルスに送り込んでいるのだと分かった。
ほどなくしてシグルスが起き上がり、ロキに向かって跪く。
「こちらを。どうか、魔王様からエリス様の御髪に」
その手に恭しく掲げられているのは、あのシロミナの花だ。
「これは、まさか……」
「はい。十五年前に、エリス様自らの手で摘み、飾られたものにございます。当時、エリス様はその意味を解していない様子でございましたので、私がお預かりしておりました」
「愚か者。こんなもの受け取れるか。自分の臣下からシロミナの花嫁を奪ったとあっては魔王の名折れぞ」
「不相応な夢を見ました。私はどのような罰でもお受けする覚悟。ただ、私の願いもお聞き届けください。どうか、魔王様はエリス様と、末永く……」
二人のやり取りを眺め、もはや切った張ったをする雰囲気ではないなと感じた俺はイシダに向かってささやく。
並んで立つこの距離でイシダの顔を見るには、顔をほぼ水平に起こして見上げなければならなかった。
「なあこれ、もしかして二人して俺のことを押し付け合ってる感じなのか?」
「そのようで」
「奪い合って争うっていうならまだしも。なんだかなぁ……」
「なるほど。意外とまんざらでもなかった、と。……そうですか。なるほどなるほど」
イシダの糸目が薄く開かれ俺の顔をのぞく。
「い、いや、【魅力99】なんだぞ? カンストした美貌の俺を前に、譲り合いされるってのが何か……、理屈的に? 釈然としないっていうかだなぁ……」
俺の正体が人間の男だと知るシグルスはともかく、ロキにまで袖にされるとは。
いや、ロキは俺がシグルスに惚れていると誤解しているから、ロキのそれは俺の気持ちを第一に考えての行為だと解釈すべきなのか。
「分かりました。では僭越ながら代わりに私が、傷心の美少女をいただいて帰るとしましょうか」
「は……、はぁ!?」
「一国を統べる魔王氏には及びませんが、私にもそれなりに蓄えがあります。暮らしていくのに不自由はさせませんよ?」
「ちょぉっと待て。それってどういう意味で言ってんだ」
「そうだ。待て貴様。どさくさに紛れて聞き捨てならんことを言うな」
一体どこから聞いていたのか。
ロキが血相を変えて俺とイシダの間に割り込んで来る。
横に押されたイシダはすぐさまシグルスによって後ろから羽交い絞めにされた。
「えー、だって、お二人にとっては忠義や面目と天秤に掛けられる程度の想いなんでしょ? 私だったら人間と魔族のいざこざなんかより、エリスさんのことを第一に行動できますけどね」
「馬鹿を言うな。ポッと出の貴様なぞに──、そもそも貴様は誰だ。エリスの何なのだ。さっきから馴れ馴れしいぞ」
「ポッと出とは心外な。私は……そうですね。こう言ってよければ、エリスさんの〈連れ添い〉です。十五年来の」
「十……五年……?」
「こう言ってよくはねーよ。お前、紛らわしい言い方を──」
俺がイシダに食って掛かるその目の端に、愕然とした表情で固まるロキの姿が映る。
「ああ、ちょっと。泣くな。あっさり真に受けるなよ」
「エリス……。そなた、ずっとその者と暮らしておったのか? 十五年ものあいだ……? その者のことを、好いておるのか?」
「おや、その口ぶり。では貴方は仮にエリスさんが別の男を好きだと言ったら潔く身を引くおつもりだと? なるほど、魔王というのは存外遠慮深い性格をなされておいでなのですね。助かります」
「貴様。魔王様を愚弄するか! かくなる上はこの身と引き換えにしても貴様を──」
「わー! お前はいちいち死のうとすんなよ」
今度は俺がイシダとシグルスの間に入って二人を遠ざける。
物理的な力で俺が二人に敵うはずはないのだが、俺が身体を密着させて間にねじ込もうとすると、シグルスの方から勝手に離れていくので可能となった芸当である。
シグルスが半歩下がるたび俺は同じだけにじり寄り、気まずそうにする彼の反応をムムゥと眺める。
「ぐっ……、やはりエリスはシグルスのことを……」
「あ、またぁ。ロキ、お前はもっと自信を持て。そんな立派なガタイになったのに、ガキみたいにメソメソするな」
「エリス……」
「言っとくけどさっきの、お前のことを騙そうとしたり、勢いで出任せを言ったりしたわけじゃないからな。俺は本気でそのつもりだった。その覚悟を疑われるのは……、ちょっと傷付く」
俺は腕組みをして横を向く。
背後で微かに洟をすするような音がしたあと、後ろからハグをされた。
反射的に身体を強張らせてしまうが──、ここは我慢だ。
女の見せどころだ。
俺は力を抜いて腕組みを解き、俺の肩を包むように抱くロキの腕にそっと触れた。
イシダとの戦いで出来た生傷は乾き、早くも瘡蓋ができている。
太く逞しい、大人の男の腕だった。
「ふむ。これでどうにか、一件落着といったところですかね」
しれっとした声でイシダが言う。
もしかするとさっきのは、こうなることを見越したイシダの演技だったのか?
俺はイシダから言い寄られたときの自分の動揺を思い出し、自分がいいように操られたのではないかという疑念を渦巻かせていた。




