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◆53「エリス! あぁエリス! なんてことを……」

 ロキが肩を(いか)らせながら歩いてくる方向、その背後にある崩れた外壁の穴から考えて、イシダを魔法の矢で射たのは彼の仕業とみて間違いないだろう。

 だが、ロキの関心はすでに仕留めた終わったイシダのところにはない。

 ロキが右手を横に振るうと、次の瞬間には、その手に直剣が握られていた。

 先ほどの矢と同じ紫色の光を放っている。


「エリス。そこをどけ。そなたを(たぶら)かしたその男、余が直々に斬首してくれるわ!」


 ロキの直剣は俺の顔の前を通り過ぎ、切っ先をシグルスの喉元にすえる。

 シグルスは俺の魔力で多少長らえたとはいえ虫の息。

 頭を起こすこともできない。

 いや、そもそも彼が忠を尽くす魔王相手に抗う意思がないのか。


 俺は直剣を握るロキの手を押さえてロキに詰め寄る。


「誤解だ、ロキ。今のはそういうのじゃなくて──キャゥッ」


 激しく打ちつけた臀部(でんぶ)への痛み。

 俺は俺に対し初めて拒絶の意思を示したロキを信じがたい思いで見上げた。

 ロキの目は俺を見ていない。

 煮え立つ怒りの感情に我を忘れているのだ。


 ロキの右腕は身体と交差し、今にも横なぎに振るわれようとしていた。

 その軌道の先にはシグルスの首がある。


(止められない!)


 少なくとも迷いと引け目を負った今の俺の言葉では。


 俺は尻もちを突いた脇に落ちていたシグルスの剣を拾おうとする。

 だが、それは魔族有数の【筋力】を誇る暗黒騎士が両手で扱う大剣である。

 【筋力5】の俺に持ち上げられるわけがない。

 代わりに俺は、とっさに目についた手頃な大きさの瓦礫片(がれきへん)をつかみ上げると、ロキが剣を振るう軌道の先に倒れ込むようにしてそれを突き出した。


 ビカリ


 剣を受ける衝撃についてはある程度の覚悟をしていた俺だったが、その瞬間俺の身体を襲ったのは、予想とは全く異なる未知の衝撃だった。

 ロキの魔力が放つ紫色と、青白い光が複雑に混ざり合う閃光も予期し得ないものだった。

 当然ながら、俺自身が部屋の中央付近から壁際まで吹き飛ばされる衝撃にも備えようがなかった。


「ぅうっ!」


 俺は背中を壁に強く打ちつけ激しく()き込む。

 ぼうと薄れる意識。

 チカチカと光る目を何度も(しばた)かせ、俺は自分がとっさに盾とした瓦礫片を確かめた。


 案の定、それはただの石くれではなかった。

 〈生まれ直しの石板〉だ。

 俺とシグルスの命を救ったその石板が、俺の手の上でひび割れ、二つに割れる。


「エリス! あぁエリス! なんてことを……」


 ロキが狼狽(ろうばい)した声で駆け寄り、俺を正面から抱いた。


「いや、なんてことをしてしまったのだ、余は……」


 俺は何も反応できない。

 頭のどこかでは、俺のことは心配ないと言ってロキを安心させてやるべきだという自分の声が聞こえていたが、表層の俺はあまりの衝撃で身体を動かせず、声も出せず、何かを思うこともできないでいた。


 いや、実はこのときの俺は、すでに十分考え尽くし、理解していたのかもしれない。

 石板が割れたのを見た瞬間に。

 そのことが示す意味を。


 俺はロキに抱き締められながら、真っ二つに割れた石板を呆然と見つめていた。

 だが、俺の視界の中でやがてそれらが奇妙に(かす)む。

 石板の輪郭が二重三重にぶれて見えたかと思うと、まばたきした次の瞬間には燐光(りんこう)のような(はかな)い光を残し消え去ってしまう。


 そして、それは〈生まれ直しの石板〉だけではなかった。

 俺が指輪としてはめていた〈見極めの小筒〉も同時に、同じ光に包まれて消えていた。

 直接見てはいないが、おそらく〈無限の袋〉もそうなのだろうと予想した途端、別の不安が頭をよぎる。


 俺はロキの身体を横に押しやって、イシダが倒れていたはずの場所を見やった。

 一瞬そこに燐光の残像が見えた気がするのは錯覚だろうか。

 だが、イシダの姿がなくなっているのは、これは決して錯覚ではない。

 先ほどの衝撃によって吹き飛ばされたのかと思い周りを見回すが、やはりどこにも見当たらない。

 いなくなっている。

 消え失せている。

 より至近距離にいたシグルスは先ほどと同じ場所で倒れたままだというのに。


(死んでしまった? いや、元の世界に、(かえ)ったのか……)


 イシダはこことは違う異世界から召喚されてきた人間だ。

 彼が、持ち込んだ不思議な道具とともに、元の世界に還ったのだという考えは、彼がただ単に、彼にとっての見知らぬ地で命を落としたという考えよりも余程なぐさめになると、俺には思えたのである。

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