◆52「こういう場合のお約束は口づけなんですけど」
「シグルス!」
俺はシグルスのそばに駆け寄りしゃがみ込む。
助け起こそうとするが、彼の巨体は細い女の腕では容易に持ち上がらない。
それを見かねたイシダが手伝うことでシグルスは仰向けに寝かし直される。
シグルスは眠るように目を閉じ、俺がその痩せこけた頬をはたいてもまったく反応がなかった。
「私じゃありませんよ? 勝手に倒れたんです」
俺は困惑して眉を下げるイシダの顔を見上げる。
その顔で思い付き、〈見極めの小筒〉を指から外してシグルスをのぞいた。
〈暗黒騎士:シグルス〉
【体力1,精神16,筋力39,技量52,敏捷41,知性14,魔力0,魅力20】
【魔力0】……、ゼロって何だ!?
ステータスの下限は1のはずだろ?
無茶をしたせいで魔力を使い切ったということか?
魔族は……魔力を完全に失くすとどうなるんだ!?
「どうにかならないのか、イシダ。魔力が全然ない。お前の魔法でシグルスに魔力を分けてやれないのか?」
「はあ、そうですねえ。現存する魔法関係の書物にはほとんど目を通したと思いますが、そういった魔法は、残念ながら……」
「クソッ……! シグルス! おいシグルス。しっかりしろ」
「あ、ただ……、こんな話を読んだことがあります。魔族は魔族同士で魔力の受け渡しができるのだと」
「それ、どうやるんだ?」
「私は、エリオットさんの話に出てきた、宰相のお爺さんが用意したという強壮剤がそれなんじゃないかと想像していたのですが……」
そうか。あれを飲ませればシグルスを救えるかもしれない。
だが、手元にあの薬はない。
こんなことなら何本か袋に入れてガメておくんだった。
「……あとは、そうですねえ。こういう場合のお約束は口づけなんですけど。まあ、これはゲーム脳というか、アニメ脳、いや、ピンクのお花畑脳って呼ぶべきですかねえ」
後半のよく分からない話は俺の耳に入っていない。
可能性を示された時点で俺は即座にシグルスに口づけをしていた。
どうせさっきも危うく寝込みを襲われるところだったのだ。
ロキとだってした。
あのときは男の唇でだったが。
こんなことでシグルスの命を救えるのなら……!
俺は寝ているシグルスに身体全体で覆いかぶさり、舌で唇をこじ開ける。
呼吸が感じられない。
息を。息をしてくれ。
鼓動はどうだ。
バクバクと脈打つ、これは俺の鼓動か。
伝われ、俺の鼓動。
魔力よ、伝われ!
必死で願う俺の背中を何かが触った。
翼か?
またあの翼が勝手に動いているのか。
そう思ったが、翼は俺の腰をこんなふうに撫でたりしない。
撫で──えっ!?
俺の翼がブワと広がり、それと同時に俺は顔を上げる。
身体を起こし逃れようとする俺をシグルスが強引に引き寄せた。
だがその表情は虚ろで、いまだ意識は朦朧としているように見えた。
するとこれらは、この手つきは、彼の無意識の動作か。
「エリス……。私は……」
「よ、良かった。生き返ったんだな?」
間近で顔を合わせ、俺はドギマギとしてしまう。
先ほどとは立場が真逆。
今度の場合、シグルスが意識を失っている間に俺が何をしていたかは誤解の余地がなかった。
互いの唇が濡れているのがその証拠である。
「いやー、半分冗談のつもりだったんですけど、こんな奇跡みたいなことってあるんですねえ」
「……くっ」
一部始終を見ていたぞと告げるイシダの発言。
俺は何か言い返さねばといきり立って振り返る。
「これもこの世界の成り立ちに関係しているのでしょうか。だとしたら……あ──」
機嫌よく語っていたイシダの糸目がカッと開かれる。
その首はぎこちなく震えながら下を向き、自分の下腹部から突き出た矢の先端を見つめた。
イシダを背後から貫いた矢は、禍々しい紫色の光を放っていた。
実体を持つ矢ではなかったのだろう。
その矢はイシダの腹に突き刺さったまま霧消する。
俺はイシダが身体を折り曲げながら倒れるのを呆然と見守ることしかできなかった。
俺の視界──倒れ込むイシダの背景に、広げた翼を折りたたんで滑空してくるロキが映り込む。
「シグルスーッ! 貴様、やはりそうか……!!」




