◆51「なあ、考えてみたんだけど、別に戦う必要なんて……」
「一応言っとくが、のぞくなよ?」
扉の陰から半分だけ顔を出して俺は言う。
俺は〈生まれ直しの石板〉と〈無限の袋〉を持って部屋の外に移動していた。
燭台はシグルスの前に置いたままだ。
こちらからはシグルスの姿がよく見えるが、向こうからはどうであろうか。
「案ずるな。鎖がある」
「そ、そうか……」
そういえばシグルスを逃がすにしても鎖を外す手段を何も考えていなかった。
【筋力】を上げて生まれ直せば、斧で叩き切るのは訳もなさそうではあるが。
俺は〈無限の袋〉に手を突っ込み中身を漁る。
長らく見てないが、たしか手斧も一つ買って入れておいたはず……。
だが、相変わらずのガチャ仕様。
先に出て来たのはもう一つの探し物の方だった。
デーモン族の女性用にあつらえられた、背中部分が大きく開いたドレス。
シグルスに追われ浴室に逃げ込んだときの俺が大慌てで探していたものだ。
やはりあったか。
あのズボラなイシダが袋の中身を律儀に整理しているはずはないと思っていた。
俺はボロボロになった衣服を脱ぎ、暗闇の中でドレスの形を手探る。
背中の大きな穴から足を通して、肩ひもを掛け終わった、まさにその直後──俺の斜め前に位置していた鉄製の重い扉が、まるで紙くずのように内側から吹っ飛び、俺の目と鼻の先をかすめていった。
──それは〈尖塔〉の外から飛来したものだった。
先ほど、魔王城の壁面をいくつも貫通してみせたイシダの魔法のように、それは〈尖塔〉の最上階の外壁にほぼ真横からぶち当たり、シグルスのいる部屋の中を横切ってから、鉄製の扉とともに部屋の外に飛び出してきたのだ。
その勢いはなお有り余り、反対側の外壁に内側からぶち当たると、そこに巨大な瓦礫の山を作った──。
最初俺は何が起きたのかも分からず、突然ひらけた空間をはさんで対面に座るシグルスと互いに目を見合わせた。
だが、俺もシグルスもこの突然の出来事に答えなど持つはずがない。
瓦礫の山の下から漏れるうめき声によって視線をそちらに戻す。
続いてグワンと歪んで聞こえる大きな金属音。
ひしゃげた鉄の扉を押しのけ、瓦礫の下から立ち上がってきたのは、頭から血を流し、額を真っ赤に染めたロキである。
立ち上がりはしたものの、足はふらつき、傍目にも彼が受けた深刻なダメージは明らかだった。
「ロキ!」
俺が叫ぶと、ロキは一瞬こちらを向いて目を見開いた。
「エリス……! そなた──」
その続きを言い終えることなくロキはその場から消える。
閃光が──おそらくイシダの放った攻撃魔法が──ロキの身体を直撃し、彼を〈尖塔〉の外側へと押し出したのだ。
俺は慌ててその後を追い、瓦礫の山をよじ登って〈尖塔〉の下をのぞき込む。
暗闇に溶けてよく見えないが、遠くの方で何か動くものを見つける。
目を凝らすと、ロキと思われる人影が大きな翼を羽ばたかせ、ゆっくりと弧を描くように上昇していくのが見えた。
ホッとしたのも束の間、今度は俺の背後で高い金属音が鳴った。
振り返るとそこにあったのはシグルスの背中だ。
シグルスは巨大な両手剣をどこからか取り出し、つばぜり合いをするように、こちらに向かって来る何かを押し留めていた。
何かとは、青白い光で複雑な紋様を輝かせる魔法陣──その球形の障壁の内側にいるのはイシダであった。
「邪魔です」
イシダが何らかの魔法を唱えようとして杖を構え直す。
やや引いたイシダの一瞬の挙動をシグルスは見逃さなかった。
魔法の障壁を一気に押し戻すと、すかさず剣先を返してイシダに突きを見舞う。
彼の身を守っていた障壁はガラスのように粉々に砕け、イシダは堪らず後ろに飛びすさった。
「ちょっと待て。お前、鎖は!? 繋がれてたんじゃなかったか?」
そんなこと、どうでもいいだろ。
叫ぶのと同時に自分の間抜けな質問に対し心の中でツッコミを入れていた。
自分でも自分の錯乱が分かる。
事態の急展開に、頭の回転が追い付けていないのだ。
「ただの鉄の鎖など、ないのと同じだ。そんなことより──」
ああそうか。
シグルスが彼の象徴ともいうべき全身鎧を完全に脱装している事実から俺は直感的に理解する。
鉄枷は鎧の太さに合わせられていたので、鎧さえ虚空に収納してしまえば彼はいつでもそこから抜け出せたのである。
なら、さっきの、のぞくなよと言った俺への返答の誠実さに疑義が生じるが……、今はまあ確かに、そんなことより、だ。
「逃げろ。エリス」「逃げてください。エリオットさん!」
逃げるって!? どっちから?
兎にも角にも、こんな化け物同士の戦いに巻き込まれては堪らない。
俺は足下の袋と石板を拾って螺旋階段を駆け下り始めた。
そして、ぐるりと半周ほど回ったところでふと冷静さを取り戻す。
化け物同士とは言っても今のシグルスは衰弱し切っている。
立派な魔王に成長したロキすら圧倒するイシダに敵うわけがないではないか。
というより、なんであの二人が戦ってるんだ?
なんのために……。……俺のために!?
俺は足を止め、螺旋階段を逆回りでのぼり始めた。
体力のないエリスの身体だ。
たったこれしき階段を上り下りするだけでゼイハァと息が上がる。
ようやく階段をのぼり切り、俺は崩れた壁の陰から顔をのぞかせた。
「なあ、考えてみたんだけど、別に戦う必要なんて……」
言葉が途切れる。
俺は二人を止めに入るのが遅すぎたことを悟る。
部屋の中央付近には一人ポツネンと立ち尽くすイシダの姿。
そして彼が見下ろす足下には、うつ伏せで倒れ動かなくなったシグルスの姿があった。




