◆50「まさかとは思うけど、俺にキス、とかしてないだろうな?」
意識を失っていたのはほんの束の間。
だと思いたい。
だが、瞼を開いたとき俺の顔をのぞき込んでいたシグルスが兜を外し、素顔をさらしていた事実が俺の気持ちを落ち着かなくさせる。
まさか、あの〈誠実〉と書いてシグルスと読ませるような男が、そんな不埒を働くとも思えないが……。
俺は目線を下にさげ、〈生まれ直し〉が成功したことを示す二つのふくらみを確認すると、そんな俺を膝の上に乗せて抱き上げるシグルスの顔を改めて観察した。
鎧自体がシグルスであり、兜の下に隠された素顔など存在しないのかも知れないという疑いを持ったこともあるが、その下には確かに生身の肉体が存在したようだ。
兜を脱いだ彼は、まずはステータス上の【魅力】の値を裏切らない美形と言ってよいだろう。
角や牙の類いは見当たらず、見た目では普通の人間と区別が付かない。
半年間幽閉されていたこともあり、さすがにやつれた印象は否めないが、子供だった頃の印象が残る繊細なロキとは違うタイプの精悍な顔付き……。
──いや、やめだやめだ。
こんなに繁々と見つめていては、まるで俺が男の品定めをしているようではないか。
「まさかとは思うけど、俺にキス、とかしてないだろうな?」
一度は飲み込んだ疑問を俺が口にすると、シグルスは途端に顔を赤らめ慌てだした。
「ばっ、馬鹿な! そんな破廉恥な行いを。ご、誤解だ。これは──」
あからさまに怪しいが、それを冷静に眺めた俺の勘だと、これは〈未遂〉だ。
俺が目を覚ますのがもう少し遅れていれば、誤解の余地のない状況で目を合わせていた可能性もある。
「だったらなんで……」
なんでわざわざ兜を外す必要があったんだ?……と、意地悪な指摘をしてやろうとキョロキョロと周囲を見渡したが、外された兜がどこにも見当たらない。
彼の鎧も兜も、愛馬の〈シュレプネル〉同様に、自在に出し入れ可能なものなのだろうか。
「まあいいさ。すぐに起こせとは頼んだけど、起こし方を指定しなかった俺も悪い。さっきも言ったとおり、全部俺のせいなんだ。〈この俺〉が可愛すぎるのが悪いってことだろう。今の弱ってるお前が、俺の魅力に抵抗できなくても無理はないさ」
「私はただその……、目の前で起きたことがあまりに信じ難く──」
「いいって。気にすんな。けど、これで分かっただろ?」
俺はシグルスの身体を押して彼の膝の上から転がり落ちる。
そこに置かれた石板を拾いつつ、立ち上がって向き直る。
「始めから嘘だったんだ。俺はこの〈生まれ直しの石板〉を使って魔族の女に化けて……、お前たちを騙して近付いた。魔王を、暗殺するために。どうだ、幻滅しただろ?」
「……いいや、分からない。それが本当だとして、そなたなら、幼い魔王様を暗殺する機会はいくらでもあったはずだ」
「それは……」
「何か他に目的があったのではないか? あの頃のそなたからは一片の悪意も感じなかった。むしろ……。いや、現に今だって──」
「買い被りだ。俺の【魅力】が〈99〉もあるから。俺の言うこともやることも、全部好意的に解釈したくなるだけなんだって。みんな騙されてるんだ」
「いや。それなら何故ここに戻ってきた。私を助け出そうとあれほど懸命になって。あれも嘘だったと言うのか?」
「う……」
「図星なのだろう。そう易々と幻滅などしてやるものか。私は──」
「ちょっと……。ちょっとタンマ……」
話の途中から、俺は自分の身体にとある違和感を覚えていた。
もう少し正確に言えばシグルスの膝から転げ落ちたあとからだ。
背中が痒いような痛いような。
何かが突っ張って、く、苦しい……!
「……っぷぁ!」
俺が息を大きく吸い込んだ瞬間、それと同時に何かが裂ける音がした。
岩壁に映る奇怪な影法師を見て、俺は自分の身に何が起きたかを理解する。
俺のデーモンの翼が大きく伸びをするように広げられて……。
これまで、その翼を内側に押し留めていた服を引き裂いたのだ。
俺は、自分の意思とは関係なくワサワサと動く翼を振り仰いで眺める。
(デカい……)
以前俺の背中にあった、ちんまい羽根からは見違える大きさ。
ロキの背中にあったのとほとんど変わらないように見える。
これがデーモン族が持つ本来の翼の姿なのか。
ふとシグルスの視線を感じ、そちらへ向き直った俺は、彼の身に起きたとある変化に気付く。
その後に生じたのは、状況にもとづく直感と反射的な挙動である。
「あっ……」
反射的に俺は、手にしていた石板を両腕で抱き締め、ボロボロに裂けた衣服をかき集めるようにして胸元を隠していた。
その場にしゃがみ込んだのも身体が勝手に動いただけ。
何かを考えるより先に、そのように〈動いてしまった〉のだ。
「……見た?」
「い、いや? なんのことだ?」
嘘だ。
(だ、だったらなんで……!)
なんでお前はそのフルフェイスの兜を被り直してるんだよ。
兜の下に隠してもその視線、全然誤魔化せてないぞっ。
身体の底の方からじんわりと身体を熱くさせる羞恥心が遅れて上ってくる。
見られたことに対しての羞恥ではない。
いや、それも決して無いとは言いきれないが、このとき俺が最も狼狽えていたのは、自分が無意識で取った女のような所作についてであった。




