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◆49「分かった。もういい。面倒臭ぇ」

 階段をのぼり切った先の扉の前で俺は呼吸を整える。

 そっと手を置くと、意外なことに扉は軽く、音もなく開いた。

 俺は息を殺し、隙間から部屋の中をのぞく。


 最上階の部屋は、(エリス)が軟禁されていたときとは大きく様変わりしているようだった。

 正面奥にあったはずの見晴らしの良い窓はふさがれ、俺がいま開けたドア口以外に明かりをもたらす物が何もない。

 あの豪華な調度品たちも片付けられているようで、光の届く範囲には床板しか見えなかった。


 俺は上ってきた螺旋階段の方に後戻りし、壁に掛かっていた燭台(しょくだい)を調達する。

 それはかつてエリスのことを慕う魔族の皆が、夜中でも彼女が足を滑らせたりしないようにと気遣い、備え付けてくれた明かりだった。


 真っ暗な部屋におそるおそる足を踏み入れ、燭台を上に掲げる。

 (かろ)うじて部屋の端まで届いた光は、そこにうずくまる騎士の陰影を浮かび上がらせた。

 壁に打ち付けられた太い鎖が、シグルスの自由を奪っているのが分かる。

 シグルスは壁に背をもたれさせて座り、立てた片膝を抱えていた。

 まるで抜け殻のように見えるその姿に俺は掛ける言葉を失う。


(まさか、もう事切れて……?)


 俺はシグルスの前に燭台を置き、〈見極めの小筒〉を構えた。


〈暗黒騎士:シグルス〉

【体力8,精神12,筋力39,技量52,敏捷41,知性14,魔力7,魅力20】


 生きてはいる、ようだった。

 だが、あの圧倒的に思えたステータスは()せこけ、特に【体力】と【魔力】の低下が深刻だ。

 約半年に及ぶという監禁生活が彼を(むしば)んだのは間違いない。


「……何者か知らぬが、ありがたい……」

「──!?」


 意識があるかも分からない鎧が唐突に口を利いたことに俺は驚いて息を飲む。


「明かりのことだ。できれば今少し、名残惜しむ時間ももらえぬか……」


 シグルスがわずかに腕を上げ、虚空(こくう)をつかむ。

 にじみ出た墨のような影の中から、シグルスがそっとつまんで取り出したのは、二房の白い花だった。

 わずかばかりの光のもとで、輝くような白さを映えさせるその花を見た瞬間、俺は自分の記憶が鮮明に呼び覚まされるのを感じた。


「その、花は……」


 たしか名前は……。


 シロミナ。

 そうだ。彼らはシロミナの花と呼んでいた。

 シグルスと初めて会った泉の(ほとり)で、俺が自分の髪を飾るために何気なく摘んだ花。


 シグルスはシロミナの花を両手の中で包むようにして自分の顔に近づける。

 相変わらず兜の下の表情は見えないが、俺にはそれが、()りし日の記憶を手繰(たぐ)り、(いと)おしんでいる姿に見えた。

 衰弱した騎士のそんな姿に胸を締め付けられ、俺は目の奥を熱くさせる。


 哀愁(あいしゅう)憐憫(れんびん)

 そんな言葉が思い浮かぶが、そんな単純な感想で言い捨てるのは駄目だ。

 シグルスの切実な想いに対し、それは冒涜(ぼうとく)であるように感じる。


「ずっと、それを持っていたのか……?」

「……そうだ。これが、我が〈シュレプネル〉の内側に(かくま)い、秘め続けたものの全て。そなたが何を求めてここに来たかは知らぬが、ここには何もない。あるのは女々(めめ)しい男の悔恨(かいこん)のみ」


「ちょっと……、待ってくれ。気持ちの……、情報の整理を……」

「いや、待たずともよい。もはや十分。潔く、介錯(かいしゃく)を頼む」


「介錯!? い、いぃや、逆だ。俺はお前を助けに来たんだ。一緒にここから逃げよう。お前を処刑したってエリスが(かえ)ってくることはない。そのことはお前なら分かってるだろ?」


 長いシグルスの沈黙。

 塔の外からはたびたび岩壁が崩れ落ちるような重い音が聞こえていた。

 イシダとロキが戦っているのかもしれない。


「そなた……。もしや、あの日この〈尖塔〉からエリスを連れ去ったのはお前……お前たち人間の仕業(しわざ)か?」

「ん、んん~……」


 そうだとも言えるが微妙に勘違いもされている。

 仕方のない話だ。

 シグルスの目線に立てば、あの日の出来事はわけの分からないことばかり。

 一度消えたエリスの魔力が浴室で再度現れて、扉越しのわずかな会話の後もう一度消え、今度は二度と戻らなかった。

 残されたのは大量の水袋やロープなどの旅の道具。

 方法こそ分からないまでも、人間が侵入し、エリスを(さら)ったのだと考えたとしても仕方がない。


「エリスは!? 彼女は生きているのか?」

「い、生きてる。いや、死んでは、いない……? ええっと、そうだ。実はエリスから頼まれて来たんだ。お前を救い出して来てくれって。大恩のあるお前を見殺しにはできないんだってさ」


「エリスが……、私を?」

「そうそう。だから早く。外で戦ってる俺の仲間もいつまでロキ──いや、魔王を、抑えてられるか分からない」


 そこでシグルスが再び沈黙する。

 俺の話を疑っているのか?

 それはそうか。突然現れた見知らぬ男の話を鵜呑(うの)みにする理由なんてない。

 くそ。もどかしい。


 俺は焦燥(しょうそう)を強め、こうなれば本当にシグルスを〈無限の袋〉に押し込んで逃がすことも考えねばと、袋の口の大きさとシグルスの肩幅を頭の中で見比べる。


「頼みがある」

「なんだ? 手短に頼む」


「これを。私からだと言って彼女に渡してくれ」


 そう言ってシグルスはこれまで大事そうに手の上に置いていたシロミナの花を俺に差し出した。


「彼女はきっと忘れているだろうが私にとっては──」

「わ、忘れてねーよ」


 本当は今の今まで忘れていた後ろめたさもあり、俺は思わず語気を荒くする。

 シグルスにとっては十五年ものあいだ秘め続けていた想いということになる。

 だが、俺の方はそんな意味があるなどとは少しも思っていなかったのだ。

 最初から教えてくれていれば……。

 いや、教えられていたら俺はどうしたというのだ。

 まさか、シグルスからの求愛を受け入れていたとでも?


「感謝する。そなたの言葉。死出(しで)(なぐさ)めとなるだろう」

「っ! ここで死ぬつもりなのか? エリスの生まれ変わりに肉体を与えるためなんて馬鹿な話に付き合って?」


「その真偽が問題なのではない。やはり私は魔王様を裏切れぬ。もしも彼女が生きているというのなら……、(かな)うのなら、どうか私ではなく魔王様と引き会わせてあげて欲しい」

「どうして? それは、エリスが稀少(きしょう)なデーモン族だからか? だから自分は身を引くって、そういうことを言ってるのか?」


「……そうだ。彼女は私などには過ぎた女性。恋焦がれることすら恐れ多い。魔王様は私がエリス様に横恋慕(よこれんぼ)し、独り占めにしようとした挙句(あげく)(あや)めてしまったと疑っておられるのだ。今、私がここから脱することは、その疑いが真であったと認めることとなる」

「──!」


 俺はその場でドサリとあぐらをかき頭を抱えた。

 俺の中ではそんなことはあり得ないとはっきり分かっているのに。

 シグルスだってそのことは分かっているのに、ロキの抱いたその誤解に付き合って死のうとしているのだ。

 まったく馬鹿な話だ。

 だがその馬鹿みたいにもつれた誤解を解き、信じさせるすべがない。

 イシダならなんとかするかもしれないが、【知性13】(ちょっと小賢しい)程度の俺の頭では思い付かない。

 俺はただ、シグルスに死んで欲しくないだけなのに──!


「どうした? 何故そなたがそれほど苦しむ? そもそも、そなたは一体──」

「……分かった。もういい。面倒臭ぇ。いいか? お前らが勝手に神聖視してるエリスなんて女は幻想だってことを教えてやる。奪い合ったり、遠慮したりするのも馬鹿らしいと、すぐにでも幻滅させてやるからな!」

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