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45/58

◆45「嫌だ。近付いたらお前、また俺にハグしてくるだろ」

 その日のうちに俺は王都を離れ、遥々魔王城へと運ばれていた。

 さすがに夜通しロキが俺を抱えて飛ぶわけではない。

 ロキはすでにあの硬い鎧を脱ぎ、くだけた衣服に着替えて俺のそばにいる。

 俺たち二人を乗せて運んでいるのは、ロキが魔族領内で(エリス)を探していた頃に見付け、手懐(てなず)けたという飛竜であった。


 (きら)めく星空の下を飛ぶ体験はすこぶる幻想的で、俺はいっとき自分が魔族に(さら)われている身の上であることも忘れ──、まあなんだ、誤解を恐れずに言えば、心をときめかせていた。

 絵面的にそれが許される身体であったなら、ロキに寄り添い、身を預けることさえしていたかもしれない。


「エリス。そこは危ない。こいつはときどきムズがって身体をよじる癖があるのだ。振り落とされるぞ? もっと近くに寄れ」


 ロキの方は愛するエリスが男の姿となっていることもまるで気にしていないようだった。

 (いわ)く、愛を誓い合った二人は魂レベルで(わか)ち難く結び付き、引かれ合うのだという。

 そこまで運命的なものと言い張るのなら、あの広場でまみえた途端に俺の正体に気が付くのが筋なのではと突っ込みたいところだが。


「嫌だ。近付いたらお前、また俺にハグしてくるだろ」

「ははは。分かった。ならば余がそちらへ行こう」


 ロキは立ち上がって近付き、俺の肩に覆いかぶさろうとしてきた。


 言ってるそばからだ。


 俺は四つんばいの姿勢で飛竜の背を伝って逃れる。

 飛竜の背が少しくぼんだ真ん中辺りで俺が振り返ると、ロキは先ほどまで俺がいたのと同じ位置で座り、こちらににこやかな視線を送っていた。


「魔族の命運を繋ぐ奇跡をつまらぬ事故で失いでもしたら、ホロウに叱られてしまうからな」

「……さっきは運命の女性を探し求める愛の旅路だとか、ぬかしてなかったか?」


「手厳しいな。しかし、余は魔族を()べる魔王だ。一人の勝手で軍は動かせぬ」

一端(いっぱし)の口を──」


(──利くようになったじゃないか。あの甘えたがりだったガキンチョが)


 そう口走りそうになり、俺は慌ててあちらを向く。

 目にゴミが入ったふりをしてゴシゴシとこすった。


「世継ぎを為せというのはホロウに限らず、我ら魔族の大願だ。だからこそ、兵たちには無用な殺戮(さつりく)を避けるように厳命し、兵たちもそれを守っているのだ」

「エリスが……、その生まれ変わりが戦禍(せんか)に巻き込まれて死んでしまわないように?」


「そうだ。無用な血が流れずに済んでいるのは、そなたの存在あってこそと知れ。人間として生まれ育ったそなたとしては気に病むところであろう?」

「ま、まあ、それは……感謝、してるよ。今ならまだ和平を開く道だって……」


「うむ。和平か。そう言えば、かつてのエリスもそのようなことを申していたな」

「……俺が、そのぅ……、エリスに戻って頼んだら考え直してくれるか? 戦いじゃなく、話し合いで。人間と魔族が共存できるように」


「無論。考えよう」

「本当か? じゃあ、シグルスのことも──」


「ん? 何故、そなたの口からシグルスの名が出る?」

「あ──」


 今のこの状況は、俺自身がまいた種だという自覚がある。

 それを自分の身一つで始末が付けられるかもしれないと期待し、思わず口が滑った。


「だ、だって可哀そうだろ。俺のため──いやぁエリスのために。犠牲になるなんて」

「そなたは人間になっても優しいのだな。だが、それは無理な頼みだ。あ奴を殺さねばエリスの肉体は開放されぬ」


「だからそれは……」


 シグルスが彼の影馬〈シュレプネル〉の中にエリスの遺骸(いがい)を隠し持っているというのは明らかな誤解で、邪推で、曲解で、シグルスにとっては濡れ衣に違いないのだが(だってエリスは生まれ直しこそすれど、一度たりとも死んではいないのだから)、俺にはその理屈を説明することができなかった。


 差し当たって手元に〈生まれ直しの石板〉がなく、実演してみせることができないこともその理由の一つだが、それよりも俺自身がそれをしたくないのだった。

 ロキが(エリス)に寄せる想いが純粋過ぎるがゆえに、その気持ちを裏切ることになるのが恐ろしい。

 始めから嘘で、小賢しい打算で、彼を(だま)して近付いたということを知られたくなかった。


「まあ、現にエリスの生まれ変わりであるそなたが見つかったのだ。その事実を突き付ければ、強情なあ奴も観念してエリス殺害の罪を認めるかもしれぬが……」


 そのとき星空がグラリと揺れた。

 身体が一瞬浮き上がるような感覚。

 飛竜が突然痙攣(けいれん)を起こしたように身体を反らし、騎乗者を跳ね上げたのだ。

 飛竜の背の中央に座っていた俺はどうにか再び同じ場所に身体を落ち着けることができたが、慌てて振り返ると、さっきまでそこに座っていたはずのロキの姿が消えている。


「ロ、ロキ! ロキ、どこだ!?」


 俺は飛竜の(うろこ)に爪を立てながら腹這(はらば)いで()い進み、ロキがいたはずの背中の端からその下をのぞく。

 星が煌めく天空とは異なり、地上は真っ暗な陰で覆われ何も見えなかった。

 どれほどの高さを飛んでいるのかも分からない。

 俺は飛竜の腹や脚にロキがしがみ付いている可能性を願い必死に目を凝らす。


「ロキーッ! 返事をしろー!」


 頭の中が真っ白になり何も考えられない。

 自分がそのような、ある種の恐慌状態にあったことを、俺は赤面とともに、あとになって何度も思い返すことになる。

 そう。俺の心配は杞憂(きゆう)だった。

 俺が真っ暗な底に向かい叫んだ直後、背後から高らかな笑い声が聞こえてきたのである。


「ははは。ここだぞエリス。余が飛べることを忘れたか?」


 振り返るとそこには飛竜と変わらぬ速度で飛翔するロキの姿があった。

 ロキは大きな翼を二、三度羽ばたかせて位置や角度を合わせると、難なく飛竜の背中に降り立った。

 それから腹這いになったままの俺の両腋を持って軽々と抱え、元いた窪地(くぼち)の座席に座らせる。


「やはり危ないからそばにいよう。むずがらずに我慢してくれ」


 十五年で立場が反対になってしまった。

 今は俺の方が世話を焼かれる子供の役割である。


 ロキはさっきやろうとしたのと同じように俺の肩に腕を回し、覆いかぶさって座る。

 今度の俺は逃げなかった。


「余の名前を呼んだな。母上とエリス以外、誰も口にしたことのない王の名を」

「そ、それは──」


「他に思い出したことはないか?」

「……い、いや。別に……」


「余とエリスは互いの名を魂に刻んだのだ。やはり余たちは魂で結ばれている。だからこうして再び出会うことができた。そうは思わぬか?」

「…………」


 安堵(あんど)羞恥(しゅうち)と後ろめたさ。

 ないまぜとなった複雑な心境で俺は雄大な星空を見上げる。

 体重を預けた背中は耐えがたいほどの温もりに包まれていた。

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