◆43「……どうか、良き王におなりください」
「四、五人ほどでよい。見せしめとすれば騒ぎも収まるであろう」
冷酷に響くホロウの声。
言い終わるのを待たず、俺の身体は動きだしていた。
群衆や魔族兵らの頭を高々と飛び越え、女たちの間を縫って走る。
ブンッ
後頭部をかすめる曲刀の風圧。
間一髪のところで俺は、今にも斬られようとしていた娘の身体を押し倒し、ともに地に伏せていた。
「ぬっ、こいつ」
ホースマンが返す刀で俺に斬りかかってくる。
俺は懐から取り出した短剣を、振り下ろされる曲刀の軌道に真横から合わせ、側面から叩いて弾いた。
隊長格の魔族と今の俺。
双方の【筋力】や【技量】を考えると、俺のこの立ち回りは出来過ぎの部類である。
「ほう。ニンゲンにしてはなかなかやるではないか」
ホロウは抜け目なく俺とロキの間に自分の身体を割り込ませており、片膝立ちとなった俺を見下ろしていた。
一方、面目を潰された形のホースマンは鼻息を荒くし、俺の眼前に曲刀の刃を立てて凄む。
「小僧! 邪魔立てをするなら斬るぞ!」
「斬ってから言うなよ。それに、邪魔はしてない。お前らは騒ぎが収まればそれで良かったんだろ?」
俺は短剣を構えたまま目線を左右に振り、周囲を見てみろと促した。
先ほど大きく鳴り響いた金属音のお陰で正気を取り戻せたのか。
それとも身に迫る死の恐怖が上回ったのか。
いずれにしろ、先ほどまで目をハートにしてロキに群がっていた娘たちは、あらかたその場から逃げて俺たちを遠巻きにしていた。
ホースマンが困惑し、ホロウに判断を仰ぐ様子を見て俺はゆっくり立ち上がる。
それから俺の下で倒れていた娘の手を取って助け起こし、服に付いた砂を払ってやった。
「じゃ、じゃあな。俺は、これで」
俺は軽く手を上げ、その場を後にする。
そうするのが当たり前の行動であるかのような空気を醸して。
背中に感じるロキやホロウの視線には気付かぬ振りを決め込んで。
頑張って平静を装っているが、内心は、どうかこのまま見逃してくれと祈る気持ちでいっぱいだった。
さっきは奇跡的に斬撃を弾き無傷でいられたが、俺の実力では勝ち目がないのは明白だ。
一番の長所である【敏捷】にしても、あの尖塔でシグルスをかわしてみせたときほどの尖らせかたではない。
魔族のエリートたちに比べれば、むしろ凡庸。
無理矢理この囲みを突破するというのは無茶な相談である。
「待て。どこに行く?」
背後から呼び掛けるホロウの声で、俺はギクリと身体を強張らせ足を止める。
「……いやぁ、今のは俺の見事な手並みに関心して、見逃してくれる流れかなって」
冗談めかし、頭の後ろをかきながら振り返ると、ホロウの周りにはすでに四、五人の兵士が武器を構えて集まっていた。
「そんな訳はなかろう。魔王様の御前での狼藉。しかも、これ程の衆目の前で見逃したとあっては我らの体面に関わる。悪いがここで死んでいけ」
ホロウが片手を上げて兵たちに合図を送る。
それを見て俺は直感した。
あの手が振り下ろされたときが俺の命の終わるときだと。
〈勇者〉としての気概でどうにか短剣を構えはしたものの、向かい合えば自ずと相手の力量は知れるものである。
俺は恐怖で自分の膝が震え始めるのを感じた。
どうした。情けないぞ、エリオット。
これが本来お前の望んでいた戦いじゃないのか?
魔王打倒を目指して修練に明け暮れたお前の。
魔王は目の前だ。
かなわないまでも、最後に一太刀、届かせてみせろ──!
魔族の兵らが俺を取り囲むように配置に付く。
彼らの動きを追うため、しきりに目を動かしていると、その視界の中でふと、これまで動きのなかったロキの存在に気を取られた。
ロキは掲げられたホロウの手を後ろからそっとつかむ。
それでいて視線は真っ直ぐこちらの方を向いていた。
「待て──。お前。そんなに震えているというのに、お前は何故戦う? 人間が死をも恐れずに戦うのは名誉のためだと聞いたが? もはやここにいる女たちの命の心配も要らぬ。この戦いでお前にどんな名誉があるというのだ」
ロキのそれは別に煽りでもなんでもなく、純粋に疑問を解き明かしたいという欲求のもとにつぶやかれた問いであった。
それを聞いた俺は、思わず緊張を緩ませる。
「──っ、知らねーよ。俺だって戦いたかぁないが、逃がしてくれねーのはお前たちの方じゃねーか」
虚を突かれ、完全に空っぽになった頭で自然と口をついた答えだった。
そんな自分の声を聞きつつ、何故だか俺は、胸の奥底に弾むように軽やかな何かを感じていた。
死を目前としたこんなときだというのに、不思議と清々しい気分に襲われ口角が上がる。
「……うむ。確かにそうであったな。これはおかしなことを訊いた。許せ」
ロキはホロウに対し「邪魔をしたな」というような目配せをして握っていた手を離す。
(…………)
さっきのは、強大なる力を持つ魔王の、ただいっときの気まぐれで吐かれた問いである。
人間対魔族の戦いの趨勢には何の影響ももたらさず、俺の尽きかけた命運にとっても何の意味も持たない一幕。
だが、俺だけはそこに重要な意味を見出していた。
ロキの脳裏に兆した疑問。
その根底にあるのが、かつて俺が投げかけた言葉であることが分かったからである。
何事かを為さんとして身を立てた俺。
何事も為せずに死ぬことになる俺であったが、俺の一部はしっかりとそこに根付いていた。
(……どうか、良き王におなりください)
俺は顔を伏せ、口元でそっとつぶやく。
ホロウの手が下に振られ、四方に配置された兵たちが一斉に飛び掛かってくる。
間近に迫った死が見せる錯覚──あるいは奇跡と呼ぶべきものであろうか。
何もかも手に取るように分かる周囲の動きを察知し、俺は頭を上げる。
全身の筋肉に力を行き渡らせつつ、ロキの喉元に届かせる刃の道筋を見定めようと目を凝らす。
ホースマンの足下をくぐり、ホロウの右脇をかすめて、その先──。
その先にロキの姿が──ない。
直後、俺の身体に強引な上向きの力が働く。
俺に向かって突き出されていた剣や槍が、俺の真下を通過したのはそのすぐ後だった。




