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◆37「た、助かったぜ。もう駄目かと思ったよ」

「アイッ! ……ったぁ」


 ドシンと床に大きな尻餅を突く痛みで我に返る。

 体感時間としては、食後にちょっと横になって微睡(まどろ)んでいたくらいの感覚である。

 自分の死、あるいはそれに近い何かを予感しながら意識を失った身にしては、実に拍子抜けする目覚めであった。

 俺は腰をさすりながら周囲を見渡した。


 ここは……?

 あの〈尖塔〉の浴室ではないな……どこだ?

 どことなく見覚えのある室内。

 雑然とした物置のような小部屋であったが、すぐには思い出せなかった。


 ふと人の気配を感じ、振り返って上を見上げると、そこに立っていたのは、なんとあの転生勇者のイシダである。

 イシダは〈無限の袋〉の口を下に向けて持ち、パタパタと振るようなポーズで固まっていた。


 何が起きたのか想像を働かせ腹落ちするには、まだしばらくの時間を要した。

 もう一度、部屋全体を見渡し、ここがあの城下の街に建てられたイシダの館の一室であることに確信を得たことでようやく理解が追い付いてくる。


 俺はたった今、あの〈無限の袋〉の中から()()()()()()のだ。

 〈無限の袋〉の元の所有者であるイシダの手によって。


 イシダが所有する魔法道具は、奪われたり、貸した相手が死亡したりすると、勝手にイシダの手元に舞い戻ってくるのだとイシダは説明していた。

 つまりはそういうことなのだ。

 遠く離れた魔王城の〈尖塔〉の一室で俺が消息を絶ったことで、〈無限の袋〉は所有者が失われたと見なして瞬時にその居場所をイシダの部屋へと移したのだろう。


「た、助かったぜ。もう駄目かと思ったよ」


 立ち上がり、再開の抱擁を交わそうとする俺に対し、イシダがススッと後ろに身を引く。


(ありゃ、慣れ慣れし過ぎたか?)


 そう思ってイシダの表情を観察するも、イシダは相変わらずの糸目で、容易に感情を探らせない。

 きつく結ばれたこの口元は、拒絶……いや、困惑、だろうか。

 むぅ? と俺は下から執拗(しつよう)にイシダの表情に迫った。


 そして、自分が頑張って首を持ち上げなければ、イシダの顔を観察できない事実とその理由に気付く。

 元から長身のイシダであったが、ここまでの身長差ではなかったはず。

 この差は、俺の今の体格のせいだ。


「あ、すまん。分かんないよなあ。俺、俺だよ」

「? ……失礼ですが、どなたです?」


 イシダは細い目をさらに細めて口元に手を当てる。

 その視線は明らかに、俺の頭から生えた巻き角に置かれていた。


「魔族のお嬢さんに知り合いはいなかったと思いますが」

「俺だって! 俺! エリスだよ……。あれ?」


 俺の名前はエリスだろ?

 間違ってない。

 けど何かがおかしい。

 イシダにとっての俺はなにか別の名前で呼ばれていた気がする。


「あまりに何もしない私に神様が(ごう)()やして、押し掛け美少女系〈ラブコメ〉でも始めたのでしょうか? しかし令和のこの時代に? うーん。流行(はや)りますかねぇ……」


 イシダの訳の分からない自問に付き合っている場合ではなかった。

 俺は必死で起き抜けの頭を働かせる。


「な、なんだっけ? ああそうだ。エリスだった。ぇえ、エリス! エリ……スゥ……じゃあ、なくってっ、……エリオットだ!」


 その名を口にするまでには非常な困難を強いられた。

 喉の奥に引っ掛かるそれを俺はどうにか力づくで吐き出す。

 直後に俺は自分の胸の内側でじんわりとした熱が広がるのを感じた。


 イシダは一瞬ポカンと口を開けたが、すぐに合点がいったとばかりに破顔する。


「あ、あぁあ、そういうことですか。なるほど。そういうことだったのですね」

「良かった。分かってくれたか」


 ホッと胸をなで下ろしていると、その俺に向かってイシダは遅れて抱擁を返してきた。


「いやー、良かったです、本当に。この袋を見つけたときには、てっきりエリオットさんはもうお亡くなりになったものだとばかり」

「ちょっ、ちょっと。苦しい。ちょっとは加減しろよ。か弱い女の身体なんだからな」


 俺は両手をグイと突っ張って、イシダを遠ざける。


「あぁすみません。失礼しました。あまりに可愛らしいお姿だったので、つい」

「ま、まあな。なんたって【魅力99】だしな」


 イシダとて男だ。

 この俺の可愛さにメロメロになるのも無理はない。


「と言うと、やはりその身体は〈生まれ直しの石板〉で? 何があったのか、詳しくお聞かせください」


 借り受けた魔法道具の使い勝手をレビューするのは元からの約束である。

 俺は喜んでこれまでの大冒険の経緯をイシダに語って聞かせた。

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