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36/58

◆36「え、ええ。少し、身を清めたくなりまして……」

 ──ドカッ


 自分の身体が立てた大きな音で意識を取り戻した。

 俺は身体を起こしながら正面の姿見に映る自分の姿を確かめる。


(よし。よしよし。俺だ。俺に戻れた)


 尖らせたステータスのせいで多少やつれて線が細くなって見えるが、そこにいるのは間違いなく元の俺。

 懐かしい人間の、男姿の(エリオット)だった。


 だが、喜んだのも束の間。

 俺は階下から大きな音を立てて駆け上ってくるシグルスの気配を察知する。


 生まれ変わりを実行する直前のエリスの魔力は〈16〉だった。

 それが一気に〈1〉にまで下がったのだから、魔力感知に()けた者であればその変化に気付かぬわけがないと思っていたが、この反応の早さは想像以上である。


 俺は急いで〈無限の袋〉に〈生まれ直しの石板〉を放り込み、開け放たれた窓に跳び付いた。


 先ほどエリスの目で見たときには目がくらむように恐ろしく思えた高さも、今なら何ということもない。

 石材と石材の隙間に指を入れれば余裕で壁を伝い降りていけるだろう。


 俺は最後に二週間あまりを過ごした部屋を振り返り、そこにはいない魔族の面々に──シグルスやロキ、メディラやホロウに対し──、心の中で別れを告げて窓の外に身を(おど)らせた。


 パキーン


「──でぇっ──」


 俺はたしかに窓べりを蹴って尖塔の外に跳び出した。

 そのつもであったのだが、頭や肩に衝撃が走ったかと思うと、俺は次の瞬間、元いた部屋の床に倒れ込んでいた。


(弾き返された!?)


 俺は立ち上がってもう一度窓に向かう。

 窓の外に手を伸ばすと、何もないはずの空が結晶石のような煌めきを放ち、俺の腕を押し返した。

 どうやら魔法による見えない防護壁のようなものが張られているらしい。


(まずいぞ、これは──)


 直後、背後からドンドンと扉をノックする音が聞こえてきた。

 シグルスだ。シグルスがもう上ってきた。


「エリス! 無事か? 何があった!?」


 用心のため、俺は脱出作戦を決行する前に部屋に内鍵を掛けていた。

 金属製の頑丈な扉だが、シグルスが本気になればあれしきの細工、何の(さまた)げにもならないはずだ。


 果たして、ノックの音が扉全体をきしませる暴力的な音に変わった。

 扉がゆがみ、留め具がずれ動く。

 もう一息。次の体当たりで扉が突破される──。


 俺は慎重に位置を決めて脚に力を溜めた。


 バンッ


 扉が弾け、勢い余ったシグルスがそのまま部屋の中に飛び込んでくる。

 外れた扉が傾き、こちらに向かって倒れてくる。


 まるで時間が弛緩(しかん)したように見えた。


 その一瞬で俺は、自分が進むべき道をはっきりと見定めていた。

 考える間もなく身体が勝手にそのルートをなぞっていく。

 シグルスが部屋全体に視線を行き届かせ、エリスの姿を探し出そうとする間に、俺はそのすぐ脇を駆け抜けていた。

 今にも倒れようとする扉の陰に自分の姿を隠して──。


 グワンと大きな音を立てて扉が倒れたときには、俺はすでに部屋の外──石造りの螺旋階段が続く廊下へと転がり出ている。


「ム!?」


 背後にシグルスの禍々(まがまが)しい気配を感じながら俺は階段を駆け下りる。


 姿を見られただろうか。

 だとしてもほんの一瞬のことだったはずだ。

 今はもう、大きくカーブを描いた螺旋(らせん)階段の構造が、シグルスの目から俺の姿を隠してくれている。


 【敏捷】の値しか(まさ)るところのない俺は、一度捕まってしまえばそれで終わりである。

 一目散、などという表現では生温い。

 全身全霊、全てを懸けて螺旋の道を飛ぶように下りていく。


 窓からの脱出は駄目でも、メディラたちが普段使いする尖塔の出入口を使えば外に出られる公算は高かった。

 普段なら始終そこにいて最難関として立ちふさがるはずのシグルスは、すでに後方に置き去りにしてきた。

 予定していた経路とは違うが、まだどうにかなる。

 俺の【敏捷99】の脚なら──。


 だが、想定外の出来事、不運とは、往々にして重なるものである。

 尖塔を半分ほど下ったころ、行く先、おそらくは尖塔の出口付近から、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。


「やっぱりだ。魔力が消えてる。もうここにはいない。分かるぞ。爺、エリスを一体どこに隠したのだ?」

「これは……!? 確かに。一体何が起きている?」


 尖塔の下層から反響して聞こえてくるのは、ロキとホロウの話し声だった。

 俺は思わず足を止め、自分の気配を隠して聞き耳を立てる。

 構わず最速で突き進んで脇をすり抜ければよかったのかもしれない。

 だが、そのことを思い付いたのは完全に足が止まり、階段の途中で立ちすくんだ後のことだった。


 やがて二人は上層にシグルスの魔力があることに気付き、大声で呼び掛け始める。


「シグルース! 下りてこーい!」

「シグルス! 返事をしろ! ここで何があった!?」


 怒った調子であってもあどけなさがにじみ出るロキの声と、喉奥で(たん)と切迫感とを絡み付かせたようなホロウの声。

 俺のいる場所を通り過ぎ、螺旋を駆けのぼっていった二人の声は、その先にいるシグルスへと届き、今度は上層から岩壁をビリリと震わす音圧でシグルスの怒声が返ってくる。


「気を付けろホロウ! 侵入者だ! 何かが下へ下りていった。魔王様を連れて今すぐ外へ出ろ! 尖塔に(ふう)をするのだ!」


 それを聞いたホロウの反応は早かった。


「魔王様。お早く。ここは危のうございます」

「どういうことだ? エリスを狙った賊か?」


 聞こえてくるのは声や音だけで、湾曲した階段の先を直接見ることは叶わなかったが、それでもホロウが困惑するロキを急かして尖塔の外に追い立てるのが分かった。


 ガシーン


 重い扉が閉じ切られる音。


 コツ コツ コツ


 対して、螺旋階段の上方からは金属が石を叩くシグルスの足音が迫ってきていた。

 慎重に、一歩一歩、カーブを描いた階段の先を警戒しながらといったていである。


 もはや俺は袋の中のネズミであった。

 上も駄目、下も駄目。

 尖塔の中でどんなに素早く動き回ろうとも逃げ場はない。


(だが、まだだ……。まだ諦めるな。何か方法が……!)


 俺は自分が片手に〈無限の袋〉を握り締めていたことに気付く。

 それから斜め後方を振り返り、そこに浴室の扉があったことを思い出す。


 身体が動き出した時点ではまだ頭の中は空であったが、足音を忍ばせて階段を上り、浴室の中に身を滑らせたときには、自分が何を為すべきかがすっかり理解できていた。


 扉の内側から(かんぬき)を掛けると、俺は〈無限の袋〉をまさぐり、中から〈生まれ直しの石板〉を取り出した。

 見事、一発で引き当てたそれにすがりつき、俺は懸命に指を走らせる。


〈デーモンクイーン:エリス〉*

【素性:魔族・デーモン,性別:女,ステータス反映:あり】

【体力5,精神5,筋力5,技量5,敏捷5,知性8,魔力16,魅力99】


 これでよい。

 これで元通りになるはずだ。

 俺は木板でできた簡素な扉に背中をもたれさせて外の気配を探りつつ、〈生まれ直し〉の設定に誤りがないかを確かめる。


 最上階の部屋から消えた(エリス)がどうやって再び浴室(ここ)に現れたのか。

 その不自然をどのように説明できるのかは、まだ何も思い付いていないが、とにかくこれしかない。

 生まれ直してしまえば、【魅力99】の(エリス)であれば、あとはどうとでも言いくるめられるに違いない。


 すぐ近くまで迫るシグルスの足音に急かされ、俺は祈るような思いで〈生まれ直し〉の文字を押す──。



 ──────

 ────

 ──


 ゴトリ


 石板が床に落ちる音で俺は目を覚ました。

 膝の上に抱えていた〈生まれ直しの石板〉がこぼれ落ちたのだ。


 直後に首の後ろからシグルスの声がした。


「エリスか?」


 ハッとして振り返るとそこには木製の扉。

 さっき俺が閂を掛けた、そのときのままの状態でそこにある。


「はい。シグルス様。ここでございます」

「ずっとここにいたのか? 変わりはないか?」


「え、ええ。少し、身を清めたくなりまして……」


 俺はとりあえず〈無限の袋〉の中にしまおうとして、石板に手を掛ける。

 そのとき、長過ぎる(そで)と、指先の余った皮手袋を見て、俺は自分の(あやま)ちに気が付いた。

 何事もなかったふうを(よそお)うには、今の俺の装備は無理があり過ぎる。


 すぐに脱いで裸に……、いや、湯も水も張られていない浴槽で裸になる奴があるか。

 部屋からここまで、裸で歩いて来たとでも説明するつもりか?

 あ、待てよ。そうだ──。


「すまないが、ここを開けてくれ。何者かがこの塔に侵入した可能性がある。姿を見せて無事を確かめさせてくれぬか?」

「あ、ああ、はい。ただいま。ただいま開けます。……お待ちを!」


 水袋。水袋。……これも水袋。

 ああそうだ。これを浴槽に出して溜めておけば、水浴びの言い訳も多少マシに聞こえるかもしれない。


 俺は自分のとっさの機転に満足し、水袋が出てくるたび、それを体を洗うためのタライの方に放り投げる。


 しかし、一番欲しいあれがいっこうに出て来ないぞ。

 これは? ……違う。

 こんな物、今は絶対にいらない。

 グッと握ったこの感触は、洞窟の入口を塞ぐ大岩を割ったときに使った両手持ちのハンマーだ。


(お、……重っ──!)

 

 仮にハズレを引いたとしても次のアタリの確率を増やすため、一旦外に出しておいたほうがいい。

 頭と身体に染み付いた、その思考と動作があだとなった。

 上に引っ張り上げようとしていた右腕が、逆に下に引かれる。


(あ、あれ……!? これって、なんか……。まずいのでは?)


 そう思ったときにはすでに、俺はズタ袋の中に自分の右腕を肩口深くまで潜り込ませていた。

 ハンマーの柄を握っているはずの手指の感覚もない。

 もはやどうにもならない。

 何が起きているのかを自覚しながらも、どうにもできない絶望があることを思い知りながら、俺は全身を〈無限の袋〉の中に沈み込ませていった。

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