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32/58

◆32「はぁ……。ぅ、ふぅ……」

「良き王におなりください……」


 ロキが寝息を立て始めると、俺はその小さな耳にそっとささやいた。

 毎晩のルーチンとなっている添い寝の締めの言葉である。


 ロキの反応がないとみるや、俺はゆっくりと身体の位置を変え、ベッドから抜け出した。

 始めのうちは寝ている間もロキの手がしっかりと俺の手を握るせいで、起こさずに抜け出すのに苦労させられたものである。

 だが、最近ではそれも随分とましになった。

 半身をロキの身体の上に被せ、俺の方からしっかり抱擁してやると、それで安心するのか、俺の手を握ってくる力が弱まるというメカニズムを発見したのだ。


 俺は寝ているロキに毛布を掛け直し、与えられた自室へと戻る。

 ロキの私室を出て廊下を歩き始めるとすぐに侍女の一人が──今夜はパルセアが──現れて俺の後ろを歩き始めた。

 それまでどこで(ひか)えていたのかも悟らせない神出鬼没さであるが、俺の方も慣れたもので、もはやいちいち驚いたりはしない。


 俺がデーモン族の娘に成り済まし魔王城への潜入を果たしてから、早くもひと月が過ぎようとしていた。

 今となっては首尾よく潜入を果たしたのか、それとも進んで捕らわれの身となったのかは極めてあやふやであったが。


 なにしろ寝るときも、用を足すときも、入浴するときも、常に誰かしらがそばに付き従い、行動を見張られているのである。

 正確に言えば、見張っているのは俺ではなく、俺にロキ以外の男の魔族が近寄らぬよう目を光らせているのだが、下手なことができない窮屈(きゅうくつ)な状況であることに違いはなかった。

 差し当たってそうするつもりはないにせよ、こうなってしまっては魔王城から逃げ出すこともできない。

 うっかりボロを出して、中身が人間の男であるという正体を悟られることもあってはならない。

 常に緊張を強いられる身の上であった。


 俺は諸々の寝支度を整え、毎晩のノルマとなっている魔力増強剤を飲むと、頭からシーツを被ってベッドに潜り込んだ。

 今はこの空間だけが唯一、他人の目から逃れられる安全地帯だ。

 薬の副作用で身体が火照ってしまうことはお目付け役の侍女連中も心得ており、こうしてシーツに包まってモゾモゾと寝返りを打っても不審に思われる心配がないというわけである。

 俺はシーツの中で〈無限の袋〉取り出すと、今日も今日とて、恒例のランダムピックチャレンジに挑むのだった。


 最近の成功率は(わず)かずつだが着実に上昇してきている。

 それというのも、ハズレ枠である干し肉やパンを夜食として少しずつ片付けているからである。

 周りの者たちは目に見えて小食になった俺をいぶかしんだ──もとい、心配したが、いくらか()せてみえた血色は日に日に良くなっているので問題あるまい。


 今日はチャレンジを始めてから三回目でアタリを引き当てた。

 〈生まれ直しの石板〉を取り出してから、出しっ放しにしてあった水袋を〈無限の袋〉の中に押し込んで片付ける。

 石板の表面にタッチすると、暗闇の中にポウと青白い光が浮かび上がった。


〈侍女:エリス〉

【素性:魔族・デーモン,性別:女,ステータス反映:あり】

【体力5,精神5,筋力5,技量5,敏捷5,知性8,魔力12,魅力99】


「はぁ……」


 『侍女:エリス』。

 分かってはいても、その文字の並びを見るたびに切ない感情に襲われる。

 〈生まれ直しの石板〉によれば、俺はもう勇者エリオットではなく、魔王の侍女のエリスということらしい。


 その変化に初めて気づいたのは、魔王城に潜入してから四日目──俺がロキの将来の正妻候補であることを知った日の晩であった。

 生まれ直した直後はまだ『エリス』という名前を思い付いてもいなかったので、契機となったのはやはり、自分の名を名乗ったときだろう。

 ロキに名を問われ、答えたときに感じた奇妙な感覚のことを思い出す。


 嘘が本当になった。

 いや、始めから嘘などなく、本当に魔族の女だったことになったと言うべきか。

 幻術や変装などではなく、本物として〈生まれ直した〉からこそ、誰にも疑われることなく魔族の一員として受け入れられたのだから。


「ぅ、ふぅ……」


 ただでさえあの薬のせいで身体が火照っているのに、こうしてシーツに(くる)まっていると額に汗がにじむほどだ。

 だが部屋の隅には今もお目付け役の侍女──今夜の当番はレッサーデーモンのパルセアだ──がいて、俺はシーツをめくることもできないでいる。


 そんな思いをしてまでも、俺が毎晩のごとく〈生まれ直しの石板〉を取り出すのには理由があった。

 一つは自分のステータス変化を確認すること。

 ホロウがよこす魔力増強剤のせいで、俺の【魔力】は驚くべき早さで成長している。

 ホロウの話によれば、魔族にしては欠乏症ともいうべき【魔力】の低さが影響しているのではないかということだった。

 成長というよりも、種族的に相応しいレベルまで回復しつつあるということなのだろう。


 一方で、思ってもみなかったのは【知性】の増加だ。

 これは、これまで俺が知らなかった魔族の社会に接することで、知見が広まったといったところだろうか。


〈侍女:エリス〉*

【素性:人間・村人,性別:男,ステータス反映:あり】

【体力21,精神9,筋力18,技量16,敏捷13,知性13,魔力9,魅力8】

【余剰ポイント:17】


 さて。

 育ってしまった【知性】と【魔力】の分はわざと余らせてある。

 俺のステータスとは、元はこうであったはずだ。

 あとは〈生まれ直し〉の文字を押し込むだけで俺は元のエリオットに戻れる……はずである。そう期待したい。


「っふぅぅ……」


 シーツに包まり、実行前の、この仮ステータス表示を見るのはこれで何度目となるのか。

 そう。俺はここ数日、毎晩ここまでの準備を整えては結局踏ん切りを付けられずにいるのである。


 俺は、このまま魔族の侍女としての生活を続けていると、いつか身も心も『エリス』になってしまうのではないかという危惧(きぐ)を募らせていた。

 とにかく一旦元のエリオットに戻ってリセットしなければ。

 あるいは「戻れる」という事実を確認しなければ、とはずっと思っている。

 にも関わらず、それを実行できずにいるのは、暗黒騎士シグルスを筆頭とする猛者揃いの魔王城の中で正体を現すことにビビリ散らかしているからに他ならない。


 情けない奴と笑ったか?


 例えば……、そうだな。

 今晩の当直で、今もこの部屋の隅に置かれたベッドで横になっているパルセア。

 以前こっそり〈見極めの小筒〉で調べた彼女のステータスは、確かこんな感じだった。


〈侍女:パルセア〉

【体力15,精神8,筋力13,技量24,敏捷22,知性11,魔力24,魅力16】


 魔王城では侍女の一人ですらこれなのだ。

 今さらの話だが、俺はこの旅に出て以来ずっと〈見極めの小筒〉に感謝していた。

 相手の力量など、互いに剣を構えて向き合えば(おの)ずと知れるなどといきがっていたが、向き合ってから気付くようでは手遅れなこともある。

 一体どうすればメイド服姿の細腕の女が、そこまでの手練れだと想像できる?

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