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◆31「愚か者。自覚が足りぬわ」

 あくる日、俺はさっそくロキを相手に『人間は怖くないよ』キャンペーンを始めていた。

 足をブラブラさせるロキを膝の上に座らせ、机の上に広げた絵巻物を見せながら語って聞かせる。


「よいですか、魔王様。人間が戦うのは魔族のことを恐れているからです。互いのことを何も知らないゆえに、恐ろしく危険だと感じるのです」


 絵巻物は色あせ、所々が()げており、いつの時代に描かれたものかも分からないが、これが魔族の手による物であることは間違いないだろう。

 角や翼を持たない人間は、絵巻物の中でひどく恐ろしげに描かれており、一人の魔族を寄ってたかって槍で突いたり、倒れた魔族の翼を剣で斬り落としたりしていた。


 うーむ。他に人間のことを示す教材がなかったとはいえ、教育上、このチョイスはよろしくないかもしれない。


「でもエリス。おかしいよ。ニンゲンが僕たちのことを怖がってるなら、どうして逃げないの? 剣を取って攻撃してくるの?」


 ロキが絵巻物の中の人間の兵士が持つ血まみれの剣を指差しながら言った。


「逃げて領土を追われれば、飢えて死ぬことになるからです。追い詰められれば戦う他なくなります。それは魔族だって同じでしょう?」

「うーん……」


「では、こういう説明はどうでしょう。人間は戦って死ぬことよりも、名誉が損なわれることの方を恐れるのです。命に代えても家族や先祖からの土地を守る。それによって名誉が保たれると信じているから武器を取り、抵抗するのです。たとえ一人では敵わない強大な魔族相手でも、ほら、こんなふうに仲間と協力して」

「ほんとだ。一人で戦ってるニンゲンはいないや」


「人間は結束したときにこそ力を発揮しますからね。お互いの弱点を補いあったり……」


 説明しながら俺は舌の上に苦い後悔の味を感じていた。

 そうだな。俺の失敗はそれだったなと考える。

 何もかも一人でできる、その方が身軽で効率が良いと考え、他人を頼ろうとしなかった。

 そして、ここぞというときになって一人で為せることの限界を知ったのだ。


「ふーん。そうか。ニンゲン一人一人は弱いのか。臆病で、恐れているから一対一では戦えないんだな」


 ん。なんだか、教えたかった内容とは微妙にずれている気がするが。

 まあ、最初のうちはこんなものか?


 何か一言二言補足しておこうかと考えているところに、部屋の外から俺の名を呼ぶホロウの声がした。

 俺は「失礼します」と断ってから、ロキの両脇を抱えて持ち、膝の上から下ろす。


 人間の、同じような年頃の男の子の場合、こんなふうに扱われることは嫌がりそうなものだが、ロキはむしろ率先して俺に身を任せようとしてくる。

 一人では何もできない赤ん坊のように振舞って、何かにつけ俺からの介助をねだるのだ。

 早くに母親を亡くしたこともあってか、まだまだ甘えたがりなのだろう。


 絵巻物に見入ったままのロキを残して俺はホロウのもとに参じる。

 ホロウは扉の向こう側の、ロキからは死角になる場所まで俺を招いた。

 声も控え目に抑えられており、いかにも内密の話を切り出す雰囲気である。


「これを」


 と言ってホロウがまたぞろ懐から小瓶を取り出す。


「なんでございましょう?」


 俺は手で包み持ちながら受け取った小瓶をつぶさに眺めた。

 昨日受け取った小瓶とは違い今度のものは赤く着色されている。


「堕胎薬じゃ」

「ダタイヤク?」


 俺が要領を得ない顔で説明を求めると、ホロウは気まずそうにコホンと咳払いをし、さらに小声になって言った。


(はら)の子を、()ろすための薬じゃ」


 俺はポカンとなってホロウの顔を見つめた。

 やがて、自分が何を言われたのかがジンワリと理解されてくる。


「胎の子を? って、待ってください。どういうことでしょう?」

「案ずるでない。シグルスから聞いて、すべて心得ておる」


「シグルス様から? 一体何を聞いたのですか?」

「ニンゲンに捕らわれ、(おど)されておったのだろう? その責は問わん。か弱き女の身でどのようにしてニンゲンの地で命を繋いでおったのかも。……やむを得ぬ話じゃ」


「……!」


 俺は絶句する。


 そういうことか。

 俺が人間の勇者一行を手引きした罪に問われぬように、シグルスは(エリス)が人間から脅され、無理矢理言うことを聞かされていたという脚色をして報告していたのか。


 そうなるとホロウのこの誤解も必然である。

 彼は、俺が勇者一行に連れ回されていたという話と、まるで苦労を知らない赤子のような手指を結び付けて考えたのだ。


「だがな。ニンゲンの子を宿したとなれば事は重大じゃ。腹が目立つようになる前に大事を取って飲んでおけ」


 慈愛(じあい)(あわれ)み。

 魔族にはおよそ似つかわしくないそんな表情を浮かべる老宰相の顔を見て、俺は自分の顔がカッと赤らむのを感じた。


「ちっ、違います。誤解です。こんなもの、必要ありません!」


 俺は渡された小瓶をホロウの身体に押し付けて返す。


「いや、たとえニンゲン相手でもなあ。万が一ということもある」

「大丈夫ですから。ご心配には及びません」


 語気を荒げながら、俺は次第に自分が何故こんなにムキになっているのかを見失い始めていた。


 確かにこれは誤解ではあるが、別に誤解されたままでも良かったのではないか?

 ホロウの態度は人間と(まじ)わったふしだらな(エリス)を責めるどころか、同情的ですらあるし、その解釈は、身寄りのない魔族の女が人間の地で食い繋いで来られた不自然さを補い、都合よく説明してくれてもいる。

 俺は一体、何をこんなにも必死になって身の潔白を訴えているのだろうか。

 不当に(おとし)められたくない、清純に見られたい、という女としての見栄か?

 ……。……女としての!?


「うーむ。その様子、嘘を申しているようには見えぬが……」

「は、はい。嘘ではありませんから」


「事は我々魔族の将来に関わる重要な問題である。体面を(つくろ)っているわけではなく、誠に偽りなしと誓えるか?」

「え? はぁ、はい……」


 下世話な話が急に大事になった気がして俺は戸惑う。

 魔王付きの侍女とはいえ、一人の女の貞淑(ていしゅく)が、なぜ魔族全体の問題であるかのように大袈裟(おおげさ)にされているのだろうか。


 ホロウは咳払いを一つ打つと、口元でゴニョゴニョと何かを唱え始めた。

 それからスッと手を上げ、俺の額に人差し指でそっと触れる。

 ポウと不思議な青白い光が灯り、俺は思わず目をつぶる。


「よし。誓えるのなら、もう一度はっきり申してみよ。無理矢理純潔を奪われたり、ニンゲン相手にその身をひさいだこともないと」


 再び顔が熱くなる。

 これはなんという(はずかし)めであろうか。


 年頃の女性にとって恥辱(ちじょく)を伴う詰問(きつもん)であることは言うまでもないが、問題は、俺がその年頃の女性としての受け答えをせねばならないという状況である。

 俺にとっては、自分が女であると宣誓をさせられているかのような葛藤(かっとう)があった。

 だが、ここで拒めば、自分の(やま)しさを認めたことになりかねない。

 すでに引っ込みが付かない状況に追い込まれていることを俺は悟り、覚悟を決めて口を開いた。


「──。ございません。そのような事実」

「そのような事実とは何だ? はっきり申せ」


「……ち、誓って純潔だということです。私は生まれてこのかた、お、男を知りません」


 俺がきっぱりとそう言い切ると、俺の額の辺りから再び青い光がこぼれだす。

 やがてその光は俺の身体全体を包み込むように広がり、そして消えた。


「うむ。その言葉、(まご)うことなき真である。試した非礼を()びよう。すまなかった」


 深々と辞儀をするホロウの後頭部を見つめながら、俺は今の光の意味を知る。

 話の流れからして、おそらく今のは、言葉の真偽を測る魔法の類いだったのだろう。

 そのことが分かった途端、全身から汗が吹き出てくるのを感じた。


 今のは、答えた言葉が紛れもなく真実だったからこそ助かったのだ。

 女として〈生まれ直し〉てから一週間と経っていない俺がそんな経験をしているはずがないのだから。


 だが、問われた内容や質問の仕方が、もしも今とは異なっていたとしたらどうだろう。

 下手をしたら、人間の勇者一行と旅をした事実も、魔族の女として人間の領地を放浪した経験もない俺の嘘が明らかとなっていたかもしれないのだ。


 こいつは俺の正体を暴くための手段を有している。

 俺にとって相当危険な存在だぞ……。


 だが、当のホロウは今のやり取りで俺に対する疑いをすっかり失くしたようだった。

 自分の術に対し、それだけ信頼を寄せているのか。

 いや、そもそもの話。

 この男は始めから俺の身元を疑っていたわけではないのだ。

 疑いの置きどころがそもそも違う。

 ただ純粋に俺の身を案じていただけ。

 もしも人間に乱暴されたのであれば、適切な処置を(ほどこ)さねばならないと、ただただ親身になって心配してくれていたに過ぎない。


「疑いが晴れたのであれば良いのです。どうか、頭をお上げください」

「かたじけない言葉。感謝する。誠、奇跡が遣わされたとしか思えぬ、清らかで美しき乙女よ、そなたは」


「そんな。大袈裟な。私はただの──」


 ただインチキ魔法具で【魅力】を盛りまくっただけの偽りのデーモン娘である。

 なぜか涙ぐんでいるホロウの手を取り、助け起こしながら俺は恐縮する。


「いや、大袈裟なものか。むしろ遠慮が過ぎた。今日からそなたに専属の警護役を付けよう。そなたの色香に惑い、良からぬことをたくらむ(やから)が出ぬとも限らぬからな。四六時中見張らせておくことにする」

「四六時中? そんな。困ります。どうしてただの侍女に対しそのような──」


「愚か者。自覚が足りぬわ。そなたは既にただの侍女などではない。魔王様が成人された暁には、その(きさき)となり、次代の魔王を産むことになる大切な身ぞ」


 その一言によって、俺はこれまで感じていた諸々の違和感を吹き飛ばし、自分の【知力6】(愚かさ)を自覚したのであった。

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