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◆26「おはようございます。ロキ様」(※しっとり耳打ちボイス)

 異世界から来たイシダ(いわ)く、〈おねショタ〉と〈ショタおね〉は似て非なるものらしい。

 そこだけは履き違えてはいけませんよと、俺は奴から強い調子で念押しされていた。

 しかし今の自分が、ロキに対し主導権を握った〈お姉さん〉の立場を保てているかどうかは、客観的にみて予断を許さぬところであった。

 なにしろ立場的には王と臣下、いやさ主人と小間使いという明々白々な上下関係が存在しているのだ。

 それを(くつがえ)して〈おねショタ〉なるものを成立させるには、〈お姉さん〉の方に相当の色気や包容力が必要とされるだろう。


 色気や包容力……。

 いったい勇者の俺に何を期待しているのだ。

 いや、そもそも怪しげな老婆の意味不明な占いなど、まともに取りあうべきではないのかもしれないが……。


 仮に俺が立派な成人男性と呼べる年齢であろうとも、相手の方が(よわい)百を超える長命種の女魔王であれば、〈おねショタ〉も成立するのではないかというのがイシダの見立てであった。

 そのうえで、もしも()()()()()()()()()()()()が訪れたなら、くれぐれも自ら積極的に魔王を篭絡しようなどとは思わぬようにと。受け身で、なされるがまま、むしろ翻弄(ほんろう)されるくらいが丁度よいのだと。

 イシダは普段の彼に似合わぬ熱を込めて力説していた。


 しかしまさか、魔王が精通も未だと思われる幼児で、俺の方が〈お姉さん〉の立場を強要されるとは、さすがにあのイシダも想像だにしていなかったに違いない。


 かく言う俺とてそうである。

 まさか、()()()()()になろうとは、魔王打倒の野心に燃えて出立したときには思いもしていなかった。


「魔王様。早く起きて朝食をお召し上がりになってください」


 俺が魔王お付きの侍女を拝命してから早くも三日目。

 俺は日課の掃除のため魔王の私室を訪れていた。

 掃除に取り掛かる前に魔王をベッドから追い出すこともいつものルーティーンである。

 むしろ、魔王に規則正しい生活を送らせることの方が、新たに雇われた侍女に期待される役割だと言ってよかった。


「…………」


 部屋に入ってすぐシーツがもぞりと動くのが見えたので、起きているはずであるが、ロキはシーツに(くる)まったまま出て来ようとしない。


「昨日お約束したはずですよ。立派な魔王になるために努力を怠らないと」


 俺はロキの枕もとまで行って、優しくたしなめる。

 自然と両膝を揃えて床に突く所作が、我ながら実に(しと)やかに見えて、妙な恥ずかしさを覚えた。


 女のふりは周囲を(あざむ)くために必要な演技だと割り切っているつもりでも、なかなか慣れぬものである。

 特に今のように、意識せずに行った動作が女らしく感じられた場合などがそうだ。

 身体の作りが女のものだから仕方がない、自然とそうなってしまうのだ、と自分に言い聞かせてはいるのだが。


 ちなみに、今着ている衣服は魔王に目通りする際に用意された気合いの入ったドレスではなく、メディラら他の侍女たちと同じ規格のメイド服であった(背中の羽根が出せるように、小さなスリットが入れられているという程度の違いはある)。


 女らしい身体のラインを強調した煌びやかなドレスも気恥ずかしいものだが、こういうお仕着せの制服に包まれた状態もまた、違った意味で俺の心を責め立てていた。

 身に着けた衣服がその者の立場や人格を形作るという話もある。

 この服でいる限り俺は全体の中の一個。

 率先して周囲にならい、侍女という型に自分をはめ続けることで、心身ともに魔王に隷従(れいじゅう)する偽りの自分に染まっていくような気がするのだ。


「嫌だ。約束を守らない相手の言うことなんて聞かないぞ」


 シーツの中からロキのくぐもった声が返って来る。

 やはり起きていた。

 そして、ロキの言う〈約束〉というのも、俺にはちゃんと心当たりがあった。


「駄目ですよ。すぐ近くに他の者がおりますので」


 俺は半分開きっ放しの扉を振り返り、声を落として言い返す。

 部屋の中のことは基本的に全て任されているが、こうして開け放たれている以上、いつ誰が入って来るか知れたものではない。


「僕だけに聞こえるように言って」


 やはりこうなるか。

 これでは脅迫ではないか。

 ショタの方に主導権を明け渡してしまう〈おねショタ〉的危機である。


 俺は腹の底にヒンヤリとした心細さを感じながら扉の方を慎重に見張る。

 今の俺の隠密係数は【技量5】【敏捷5】【知力6】。

 極めて心許ない。

 隠密に特化したステータスに割り振っていた経験があるからこそ分かる。

 この魔王城にいる誰かがその気になって、気配を消して忍び寄れば、いつだって俺の背後に立てることだろう。


「お耳をお貸しください」


 シーツがめくれ、下からロキの小さな耳が顔を出した。

 その耳に向かい、俺は吐息を吹きかけ(ささや)いた。


「おはようございます。ロキ様」

「へへっ。おはよう、エリス」


 ロキの首がくるりと回り、パッチリと開いた瞳が俺を見返してくる。

 俺の心臓は全力疾走をした後のように、バクバクと鳴っていた。

 やはりこれは不味い。

 こんなことを続けていては、いつか誰かに見咎められる危険があるし、仮にそうならなくとも、なんと言うか、上手く言葉にできないが、なんだか……、なんだか良くない感じがする。


 俺は美しく生え揃ったロキのまつ毛に見惚れながら、それでも懸命に自分を客観視しようと努めていた。

 これが〈ショタおね〉ではなく、本当に〈おねショタ〉の関係だと言えるのだろうか、という問いを自らに発し、心を平静に保とうとする。


 いや、そもそも、俺は男だ。

 いくら相手が息を飲むような美少年だからといって、男の俺がこんなふうにドキドキするのはおかしいではないか。

 しっかりしろ、エリス。

 い、いや、エリオット。

 俺は、勇者エリオットだ。


「さ、さあ、約束ですよ。お食事の支度を。立派な魔王になられると、亡きお母様にも誓ったのでしょう?」

「魔王たる者、朝食など食べずとも平気なのだ」


 ロキがベッドから出て立ち上がると、俺はすかさず(すそ)をつかみ、万歳をさせて寝巻をはぎ取った。


「駄目です。しっかり食べないと立派な角が生えてきませんよ?」

「あの蛇女と同じことを言うなあ」


 それはそうだ。

 どうすればロキにちゃんと朝食を食べさせられるか、俺が相談した相手がメディラなのだから。


「魔王になるための修練もです。しっかり励んでください。今日こそ、剣の稽古の時間までに食事をとって着替えておいていただかないと。私がシェラード様に叱られてしまいます」

「なに? あいつめが余の侍女を叱りつけるというのか?」


 嘘だった。

 【魅力99】のデーモン娘相手に、痛々しいほど緊張してドギマギとするシェラードが、俺のことを本気で叱れるはずがない。

 ただ、会話の間を持て余した彼が「魔王様には時間どおり稽古の準備をしてきていただきたいものですなー」などと言ってシャチホコばっていたことは事実である。


「大体、あいつは剣の教え方が下手なのだ。ホロウに言って首にしてやる」

「駄目ですよ、ロキ様。魔王が命じては、みな逆らうことができません。ご自分の発言の影響力と責任の大きさを自覚してください」


 話しながらも俺はロキの着せ替えを続けている。

 袖口のボタンを止めてやり、糊の効いた(えり)をピンと立てる。


 これぐらいのこと、自分一人でできるように(しつ)けてやった方がよいように思うが、魔族の──高貴なる者の常識というのが今一つ分かりかねるので、ひとまず今は、ロキがねだるとおりに従っている段階である。


 そのロキは、俺が名前を呼んでやったのが効いたのか、大人しく直立し、着替えさせられるままとなっていた。


 うむ。いつもこのくらい協力的なら(はかど)って助かる。


「もともと、余の剣の指南はシェラードではなく、シグルスの役目だったのだ。シグルスの奴はまだ戻らんのか?」

「シグルス様が? そういえば、お戻りになりませんね。」


 暗黒騎士のシグルスは俺をこの魔王城に送り届けて以来、出て行ったきりだった。

 〈関門洞窟〉や転送路の出口付近で発見された人間と思しき侵入者を探すために。

 ここにいる俺こそがその侵入者なので、付近をいくら探しても見つかるわけがないのだが。


 俺はそのことをなんとなく申し訳なく思っている。

 俺がこうして侍女として魔王に近づけるようになったのも、シグルスの助けによるところが大きい。

 それに、なんといってもシグルスには貞操の危機を救ってもらったという大恩があった。

 せめて、探したところで無駄であることを伝えてやりたいが……。


「使いの者をやって呼び戻されてはいかがですか?」

「うむ。そうだな。そうするか」


「しかし、生真面目な性格のかたのようですから、成果が上がるまで帰らないとおっしゃるかもしれません」

「……そうかもしれない」


「手掛かりなし、というのも立派な報告だと申し添えてはどうでしょう。情報を持ち寄り、皆で共有するのは大事なことですから」

「なるほどな。エリス。そなたは賢いな。早速ホロウにそのように伝えるとしよう」


「その前にお食事をお済ませください」


 俺はバッチリ仕上がった着衣の背中を押してロキを部屋の外へと追いやった。

 ロキが朝食や剣の稽古をしている間に、俺にはシーツの取り替えや部屋の掃除と片付け、洗濯といった仕事が割り与えられていた。

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