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◆25「このこと、決して誰にも言うでないぞ?」

 魔王はホロウたちが退出する前からずっと、俺の腹の上に顔をうずめて抱き付いたままだった。

 極刑も免れないと脅された俺を助けるために、そうやって身体を張って、などと考えるとその行動がいじましく感じられる。


(これはやはり、好かれている、ということなんだろうな……)


 なにしろ同性の女魔族ですら好意を抱かずにはいられない【魅力99】の俺である。

 子供とはいえ、一度頭をどつかれた相手とはいえ、その魅力に抗い得るものではないのだろう。

 

 俺は持て余した両手で魔王の髪をなでようと手を伸ばしたが、ふと途中でそれをやめ、代わりに指から〈見極めの小筒〉を取り外して魔王のステータスをのぞいてみた。


〈魔王:ロキ〉

【体力3,精神4,筋力2,技量2,敏捷3,知性5,魔力69,魅力30】


 よもやよもやの雑魚ステータスである。

 【魔力】と【魅力】の二つは、なるほどそうか、と思わせる高水準であるが、それ以外はその辺の子供と何ら変わらぬ貧弱さ。

 元の俺のステータスでも簡単に()れそうだし、現状の(エリス)のステータスと比べてすらもそれは変わらない……。


 知らぬ間に俺の手は、ドレスの袖口(そでぐち)に隠し持っていたズタ袋の口に伸びていた。

 いつもなら目当ての物を探すのに何度もトライを強いられるところであるが、こんなときに限って何故か一発で引き当てていた。


 指先に触るヒヤリとした感覚。

 それは間違いなく、〈露店で買った普通の短剣〉の手触りであった。

 イシダにもらったときから〈無限の袋〉に入れたままになっていたそれを、俺は音もなくそっと抜き取り、逆手に持って、その切っ先を魔王の無防備な首筋の真上にかざす。


 今なら殺れる。

 一息で魔王の急所を突き、確実に絶命させられる。

 周囲にその凶行を見咎(みとが)める者はおらず、事が終われば速やかに〈生まれ直しの石板〉を使い【敏捷】を〈99〉(マックス)に割り振ることで、この魔王城から逃亡を図ることすら可能であるように思われた。


 このために俺はここまで来たのだ。

 魔族の娘に化けるという卑怯な手まで使って。

 それもこれも、これを為すため。

 これまで誰も成し遂げられなかった偉業が、いま俺の目の前、手の届く先にある。

 だが……。


「ごめんなさい」

「えっ?」


 顔を伏せたまま(つぶや)かれた魔王の声に驚いて、俺は思わず手を止め聞き返す。


「お人形かと思ったんだ。あんまりにも綺麗だったから……」

「それって俺──、私……のことですか?」


 魔王の顔がもそりと上を向き、俺の目を見つめながら無言でコクリとうなずく。

 そのときにはもう、俺の手に握られていた短剣は袖口の中に消えていた。


「人形じゃなくて、ちゃんと生きてる女か確かめるためにお尻をつねったと?」

「……うん。ごめんね。痛かった?」


 ハの字に曲げられた眉で、こちらの様子を窺うその表情のなんと凶悪なことか。

 【魅力30】という評価は控え目過ぎると異議を申し立てたいほどの破壊力である。

 俺はそこに現魔王の、魔王たる真髄を見る心地であった。

 心臓を直接鷲掴(わしづか)みにされたように胸が苦しい。

 巡る血が沸騰しているように胸や顔が熱く赤らむ。

 もしかしてこれは、この幼気(いたいけ)な魔王から魅了攻撃を受けているのだろうか。

 だが、こと【魅力】に関しては、今の俺もただ負けてばかりはいられない一端の自負があった。


 俺は年長者のプライドをもって、目いっぱい平静を装い、魔王の頬に両手を添える。


「……はい。とても痛かったです。でも、私も()()()を叩いてしまいましたので、その件はおあいこ、ということでよろしいのではないですか?」


 ロキの頬はとても柔らかく、温かだった。

 ただでさえ温かかったものが俺の両手でさらに熱せられたようにロキの顔はみるみる赤くなる。

 やがてロキは顔を左右に無茶苦茶に振って、再び俺の腹の上に逃げ込んでしまう。

 ギュッと抱き付く力も先ほどよりもガムシャラで、実に可愛げがあった。


(よ、よし、勝った。勝ったぞ)


 一瞬優越感に浸る俺であったが、すぐ後で、これで勝ちどきを上げるのは大人げないなという自分を恥じる思いも湧いてきた。

 というかこれは、本当に勝ったと言えるのか?

 確かにねらい通り──イシダから聞きかじった〈おねショタ〉の流儀で──小さな魔王を照れさせ、(もてあそ)んではみたものの、そんな魔王の純粋無垢な反応を見るだに、見ている俺の方も同じくらいの身悶(みもだ)えを禁じ得ないでいる。

 本当にこれでいいのか、〈おねショタ〉とは。


「ま、まあまあ、ロキ様。お顔をお上げください。そんなに甘えられては赤ちゃんのようですよ?」


 自分の招いた状況だというのに、先に根を上げたの俺の方だった。

 俺はロキの小さな両肩に触れ、ショタ固めハグからの開放を願う。


 だが、ギリギリ限界まで感情を(たかぶ)らせていたのは俺だけではなかった。

 彼も小さな身の丈なりのやり方で必死に耐えていたのだ。


 ロキは俺の腹の上で聞き取り不能の奇声を発したかと思うと、ガバリと身を起こし俺に向かって真正面で吠えた。

 さっきホロウ相手に命じてみせた、一端(いっぱし)のおとな気取りの、それゆえに却って幼さが際立つワガママな物言いで。


「なっ、何故、余のことを名前で呼ぶのだ!? 無礼であろう!」

「へっ!?」


 名前? 名前か。

 そうか。思えばメディラもホロウも魔王のことは魔王様としか呼んでいなかったな。

 俺がロキという名を知ったのは〈見極めの小筒〉のおかげ。

 魔王の名とは、普通は口に出すことも(はばか)られる高貴なものであったのかと俺は自分の失態に気付く。


 不味いぞ。

 これをホロウに言いつけられでもしたら、今度こそ俺は極刑に処されてしまう。


 俺は、真っ赤な顔で腕組みをするロキを見下ろしながら、慌てて挽回の手を考える。


「申し訳ありません、魔王様。名前をお呼びした方が親愛の情が伝わるかと……」


 ああ、いや、親愛の情はおかしいか。

 ただの侍女ごときが。


 相手は臣下から畏怖をもって(あが)められる恐るべき魔王──そうなる定めの御子(みこ)なのだ。


「あの、実は、私は長いあいだ人間の領地を放浪しておりましたので、魔族の常識に(うと)く……、それが無礼にあたるとは知らなかったのです……」


 それは暗黒騎士シグルスの前で語ったのと同じ作り話であったが、魔族にとって人間の社会の中で正体を隠して生き長らえるという来歴は、相当憐れを誘う悲惨な境遇と見なされるらしかった。


「ニンゲンの……? それは、可哀そうに……」


 ロキも途端にシュンとなり、その表情も憐れなデーモン娘を気遣うものへと変わっていた。

 仕方がないとはいえ、嘘の苦労話で同情を買うのはなかなか心苦しいものがある。


「あ、あの、知らなかったこととはいえ、気安く名前を呼んでしまったご無礼、お許しください」


「……本当に?」

「え?」


「知らない? 知らなかったの?」

「あ、はい。知りませんでした。まったく」


「そ、そうか。それじゃあ、仕方ないね」


 ロキは視線をややうつむかせ、俺にではなく、自分に言い聞かせるようにしてつぶやいた。


「ありがとうございます」


 俺の方は、その許しを既成事実とするべく、すかさず礼を言う。

 ところがロキは俺のそんな小狡(こずる)い策略を見逃さなかった。

 これまでになかった真剣な表情で向き直り言った。


「まだだよ。まだ、許しを与えてない」

「え?」


「君の名前を教えて。じゃなくって。……そなたの名を、申せ」

「あ、はい。私の名はエリスです。エリスと申します」


 そう口に出した瞬間、俺は不思議な感覚に襲われる。

 身体の内側で何かがじわりと焼け焦げるような奇妙な感覚だ。


 ただそのときは、偽名の方がすんなり口をついて出るようになったことに対する自己嫌悪の念が、そういった痛みに似た錯覚を引き起こしたのかと思い、深く気にすることはなかった。


「よ、よし。エリス。許すぞ。加えて、そなたに余の身の回りの世話を許す」

「それは……、合格ということですか? 侍女として召し抱えていただけると?」


「そう言っておる。その代わり、約束するのだ」

「はい。なんでございましょう」


「余がそなたに名を呼ぶのを許したことは二人だけの秘密だ。余の頭に角が生え揃うまでは。このこと、決して誰にも言うでないぞ」

「は……、はい、魔王様。承知しました」


 俺は魔王の名が、それほどの禁忌(タブー)であったのかと恐れ多い気持ちでうなずいた。


 ロキは俺と秘密を共有することで、その罪をなかったものとして見逃してくれるつもりなのだ。

 角が生え揃うまでというのは、きっと彼が成人するまでは、ということだろう(そう言えば今のロキの頭に角はない。怪しく光る紫色の瞳を除けば人間の子供と大差ない容姿である)。

 成人し、周囲の者たちを黙らせるほどの権力を手中にするまでの間は、いくら魔王と言えどとても(かば)いきれない──俺が犯してしまったのは、それほどの重大な禁忌だったのかと俺は理解した。


 ところが、深々と(かしこ)まる俺の反応を見て、なぜかロキが慌て始めた。


「ち、違う違う。今のは、名前を、呼んでってこと! 二人だけのとき。今みたいなときはそうするんだよ!」

「?」


 どういうことだ。

 二人だけのときといっても、うっかり誰かに聞き咎められないとも限らない。

 あえて名を呼ぶ危険を冒す必要がどこにある?

 これは、あれか。

 子供特有の、理屈の通らない駄々のようなものなのか?


「分かったか? 決して誰にも言うでないぞ?」


 俺は内心混乱を極めていたが、分かったよね、というおねだり顔でやり直し(アンドゥ)をするロキを見ては、折れざるを得なかった。


「はい……、承知しました。ロキ様」


 俺がそう答えると、ロキは満足げに笑い、再び俺に抱き付いてきた。

 先ほどまでの背伸びをした尊大な魔王のふりはやめにしたらしい。

 歳相応の無邪気な振る舞いである。


 俺は最初にそうしたのと同じように、ロキの頭を胸の真下辺りに寄せてそれに応える。

 今度は尻をつねられることもなく、母と子のような、あどけない抱擁は同じ体勢のまま長々と続いた。


 コン コン コン


「魔王様。いかがでしょうか。開けてもよろしいですかな?」


 扉をノックする音とその向こうから聞こえるくぐもったホロウの声。

 それを切っ掛けとして離れたときには、お互い触れ合った部分にじっとりと汗をにじませていた。

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