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◆19「えっ……と、エリ……エリスです」

 気づくと俺はシグルスと二人きりで残されていた。

 差し伸べられた手を取ると、俺の身体はまるで魔法の力でも働いたかのようにフワリと立ち上がる。

 俺はシグルスの腕力に、あるいは俺自身の華奢(きゃしゃ)な軽さに、そこはかとない無防備を感じ眩暈(めまい)を禁じ得ない。


「じきに日が暮れる。城まで送ってやろう」


 どうせそこに行くつもりだったのだから、願ったり叶ったりの申し出である。

 が、二つ返事で受けるのはなかなかに恐れ多い。

 これは別に、魔王に仕える騎士と流浪の魔族の娘という間柄に対し、かしこまっているというわけではない。

 普通に、純粋に、本能的に、恐ろしいのだ。

 文字通り。恐れが多い。


 腰にはいた剣を抜き放ち、ひと払いすれば俺の首など呆気なく飛ぶ。

 いや、そうでなくとも、拳で殴っただけでこんなちっぽけな頭、簡単にひしゃげてしまうだろうと思われた。

 今は〈生まれ直しの石板〉の秘術によって、どうにか俺の正体がバレずに済んでいるが、もし何らかの粗相があって機嫌を損ねたり、あるいは正体を見破られたりするようなことがあればと考えると、一つ一つの言動が、俺にとっては薄氷を踏む思いであった。


「洞窟に急がれるのではなかったのですか?」

「あ、うん。侵入者のことか。なに、遠慮はいらん。この〈シュレプネル〉がいれば魔王城までものの数分だ。さあ」


 シグルスの言葉には、固辞するのもはばかられる無償の好意がにじみ出ていた。

 素性の知れぬ魔族の娘に対し、何故こうも好意的なのかと考えてみるが、それもまた、考えるまでもないことだったかもしれない。


 きっとこれが【魅力99】の効力なのだ。

 俺の並外れた可愛さがシグルスを魅了し、彼の警戒心を解きほぐしてしまっているのだろう。

 俺が【魅力1】でいたとき、特に無礼を働いたわけでもないのに、商店の親父から異常なほど嫌悪感を(あら)わにされたことを思い出す。

 あれとは真逆のことが起きていると考えればしっくりくる。

 しかも今回は、自分の窮地に現れた騎士をすがるような目で見つめ、不遇な身の上を語って聞かせるという()びを売った自覚さえある。


「ありがとうございます。では、ご厚意にお甘えして……。あ、少しお待ちください。いま手荷物を──」


 俺はそう言って、いったん泉の岸辺へと戻る。

 あらかたの荷物は〈無限の袋〉にしまった後であったのは助かった。

 俺は自分の身体で隠しながら〈生まれ直しの石板〉を袋に入れ、折りたたんだ袋を長衣(ローブ)の懐にしまう。


「荷物は本当にそれだけか? あの者たちに奪われたわけではないのだな?」


 ほぼ手ぶらで戻った俺を、シグルスは心配そうに問いただす。

 着の身、着のまま。

 これは確かに怪しい。

 女一人で一体どうやってこれまで食い繋いで来れたのかと疑われているのかもしれない。

 俺は自分が顔が引きつるのを感じる。


「む」


 怪訝(けげん)そうにも聞こえる声とともに、シグルスの手が俺の顔へと伸びてくる。

 思わず顔を伏せた俺のフードを僅かにめくる気配。


 ──角か? 角が何かおかしかったのか?


「これは要らぬ誤解を生む。良ければ私に預からせてくれないか」


 シグルスが指を掛けていたのは、俺が髪に挿したあのシロミナという名の花だった。


「は……、はい。それは……もちろんです」


 内心、焦りと驚きで心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っていた。

 俺は必死でその動揺を内に隠す。

 顔は焼けるほど熱くほてっていたが、仮にシグルスがこの紅潮を見咎(みとが)めたとしても、その理由までは分かるまい。

 今の俺は人間の侵入者ではなく、外見上はどこからどう見ても普通の魔族の女なのだから。

 魔族の女は自分の正体を見破られたのでは、などと動揺したりしない。


 シグルスは俺の頭からそっと花を抜き取ると、それを大事そうに鎧の隙間に忍ばせた。

 俺は緊張が去ってすぐの安堵もあって、そのさり気ない仕草をただ呆然と見やっていた。

 そこいらで摘んだただの花。

 その場に捨て置けばよいだけなのに。

 魔族とはいえ騎士たる者、さすがに女性に対する礼節が身についているのだなあなどと、のん気に考えていたような気がする。



「──では、私の身体につかまれ。シュレプネルは私にしか(またが)れぬゆえ」


 両腕を広げて待ち構えるシグルス。


(ええっ……と、これは……?)


 どうすれば良いのだ。

 この場合、淑女たる俺はどのようにつかまるのが正解か。


 まごつきつつも、とりあえず片手を高く伸ばし、広い肩の上に乗せてみた俺に対し、シグルスは俺のもう片方の手を取って自分の首の後ろに回させた。


「すまぬな。こういうことをするのは初めてなのだ」


 そう言ってシグルスが膝を曲げ、俺と胸を合わせる。


(見くびるなよ。無論、俺だって初めてだ)


 騎士様に──暗黒騎士様だが──馬上にエスコートされる経験など。


 俺は、ままよと両腕で輪を作り、精一杯伸びをしてシグルスの首にぶら下がる。

 シグルスは俺の尻の下、太腿の付け根あたりに片手を添えて支えると、俺の身体を軽々と持ち上げた。

 その大きさ、力強さに身を任せる感覚に、俺は戸惑う。

 自分がまるで、ただのか弱き乙女になってしまったかのように錯覚する。

 そうだ。それはそうだ。

 今このときは紛れもなくそのとおりなのだが。

 そういう当たり前の事実に対してではなく、まるで……そう、生まれたときから、このままの自分であったかのような、〈しっくりくる〉感じに俺は狼狽(うろた)えたのである。


「しっかりつかまっていろ」


 頭の上で鳴るシグルスの声が俺の鼓膜を震わす。

 身体が前後左右に激しく揺れる感覚があった。

 それから風でフードがなびく感覚。


 首を横にひねって見下ろすと、眼下にはすでに遠く離れた泉と花畑が広がっていた。

 馬がいななき速度を上げる。

 蹄の音が天を駆け、豆粒のようになったパガス一行の背中を追い越していく。


「そういえば名を聞いていなかったな」


 そういえば名前を考えていなかった。


「えっ……と、エリ……エリスです。お優しい騎士様」


 果たして魔族の娘に相応しい名なのかどうかも分からなかったが、エリオットよりはましだろう。


「エリスか。容姿に似合いの美しい名だ。私はシグルス。先代の頃より魔王様に仕える……まあ、自分で言うのもなんだが重臣の一人だ。何か困ったことがあれば私の名前を出して身を護るように」

「はい。ありがとうございます。シグルス様」


 自分の口からスラスラと出てくる女言葉のせいで落ち着かない気持ちになり、俺はシグルスの硬い鎧に顔を寄せ表情を隠す。

 こうしていれば下手に会話をしてボロを出すこともないだろう。


 しかし、こんなふうにして身を護るしかすべがないとは。

 我ながら、なんと女々しい──。



 前もってシグルスが言っていたように、泉のある丘から魔王城まではほんの僅かな時間しか掛からなかった。

 上空から進入し、城の中庭に降り立ったシグルスは、出迎えに現れた侍女に俺を引き合わせると、トンボ返りで再び空に駆け上がっていった。


「その娘は今度の侍女の選抜試験に参加する。後見人には私がなろう。よきに計らってくれ」


 それだけを言い残して。


 シグルスと離れたことを切っ掛けに俺は気持ちを改める。

 こうなれば、いよいよ後戻りはできない。

 俺は自分の何倍も強い、恐るべき魔族たちに囲まれた魔王城に潜入を果たしたのである。

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