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18/58

◆18「女の悲鳴が聞こえた気がしたが?」

「これは何の騒ぎだ?」


 重々しくも涼やかな声音。

 気付くと周囲の魔族はみな地面に膝を突き、全身漆黒の鎧で身を固めた騎士に向かい(こうべ)を垂れていた。

 ついさっきまで野生に飲まれ、正気をなくしているように見えたパガスまでもである。


 「恐れながら」と牛頭の魔族が口を利く。


「火急の用件で魔王城へ向かう途中の一行にございます」

「おおかた〈関門洞窟〉で遭遇したという手練れの人間のことであろう?」


「ご存知でしたか」

「すでにヘニメメより聞いておる。これからそちらに向かうところだ」


「侵入者は複数いるかと存じます。洞窟入口を塞ぐ巨大な岩を割った怪力の者と、恐ろしく身のこなしの素早い斥候。それに転送路を起動させるに十分な魔力を秘めた者。少なくともその三人」

由々(ゆゆ)しいな。一瞬だけ現れて消えた強大な魔力の気配は私も感じた。お前たち、その者の姿を見たか?」


「い、いいえ。急ぎ探しましたが、不覚にも見失ってしまいました」

「そうか……」


 黒騎士はそこで黙り、俺たちがやって来た転送路の方角に頭を向けた。


 その場にひざまずく魔族たちが怯え、震える空気が感じ取れる。

 近くにいながら侵入者を取り逃したことで罰を受けるのではと恐れたのだろうか。


 黒騎士が手綱を握り直して馬首を返したとき、一瞬その場の空気が弛緩する。

 俺もそれを見て、騎士がそのままこの場を去ってしまうものだと思った。


「ときに──」


 黒騎士がチラとこちらに目を配る気配。

 フルフェイスの兜のせいで表情は見えないのだが、俺は一瞬、それと目が合ったように錯覚する。


「女の悲鳴が聞こえた気がしたが?」

「…………」


 牛頭の魔族はかしこまったままで答えようとしない。

 それに代わって、小鬼の一人が平身低頭でさえずり始めた。


「シロミナの娘でさぁ旦那。今さっき出会ったばかりのその娘を、パガスの旦那が手籠(てご)めにしようと──」

「お、おい、ゴビンてめぇ……!」


 (すご)みを効かせた声でパガスが止めようとするがもう遅い。

 黒騎士が馬上からにらむと、パガスはそれきり何も言えなくなる。


「なるほど美しい。近くで見ればなおさらだ。お前たちが正気を失うのも無理はないな……」


 黒騎士は馬から降りると、完全にビビッて動けずにいる魔族たちの脇を抜けて俺のそばに近付いてくる。

 対して俺の方はと言えば……、残念ながら俺だってそこの魔族たちと変わりはない。

 この男の放つ禍々(まがまが)しい気配を感じてからずっと、俺はその場から動けず、今も草地に尻もちを突いたまま、その存在を見上げることしかできなかった。


 黒騎士が膝を折り、俺の頭の花飾りに向かって手を伸ばす。

 そのとき──。


「恐れながら!」


 パガスがひざまずいた体勢で、こちらに背を見せたまま声を張る。

 騎士が手を止め振り返る。


如何(いか)にシグルス様とはいえ、それは! 最初にその娘を見つけ、求愛に応じたのは、俺だ!」


 おそらく地位も実力もパガスに勝る、魔族の幹部なのであろう。

 このシグルスという男は。


 それにも関わらず、食ってかかるというのは、相当の胆力を必要としたに違いない。

 ブルブルと震える大きな拳が彼の覚悟を物語っていた。


「うむ。横から他人(ひと)の花嫁をさらうつもりは毛頭ない」


 シグルスは立ち上がり、パガスの背中に向かって静かに語り掛けた。


「ただし、シロミナの娘という話が本当ならばの話だ」

「嘘じゃねえ。俺は目の前でその娘がシロミナを摘んで髪を飾るのを見たんだ」


 食い下がるパガス。

 それには他の仲間たちも「それは間違いねえっす」などと同調する。


「だがな。今は時期が時期だ。それに〈シロミナの花飾り〉というのも、もう随分と聞かぬ古風な風習ではないか?」


 「なあ」と声を優しくし、シグルスが兜の隙間からこちらに目線を向ける。

 俺は唾を飲んで喉を潤し、用心深く口を開いた。


「知らなかったのです。そんな、風習が、あるとは……」


 俺の口から出たのは、男の慈悲にすがる弱々しい女の声だった。

 我ながらそうとしか聞こえない。

 一歩間違えれば、自分の命(あるいは貞操?)が、危うくなりかねない絶体絶命の事態を前にして、俺が選び取った必死の擬態であった。


「娘。貴様どこから来た? 後見人はおらんのか?」


 その問いに俺は再びコクリと喉を鳴らす。


 どこから、というのは今もっとも聞かれたくない俺の泣き所だ。

 魔族たちの土地の名など、人間の俺が知るはずがない。

 この受け答えにしくじればどうなることか。

 まさかそれだけで正体がバレることはないと思うが、胡乱(うろん)な奴と見なされれば魔王城に潜り込む道が絶たれることは避けられないだろう。


「と、遠くからです。とても遠く、ずっと一人で旅をしておりました」

「なるほどな。魔王様の侍女を募る噂を頼りに、ここまでたどり着いたというところか」


(よ、よし。上手く乗り切った。話が繫がったぞ)


 俺は内心喜び勇み、シグルスが頭に思い描いたであろう、田舎育ちの魔族女のサクセスストーリーに跳び付いた。


「そうです。他に頼る者もなく、路銀も尽きて──」

「路銀?」


(あ……!)


 しまった。

 もしかすると魔族には路銀──貨幣(かへい)という文化がないのか?


「あの……、実は私、ずっと長いあいだ人間たちの土地を放浪しておりまして……」


 心臓がバクバクと鳴っていた。

 この動揺に勘付かれはしないかと、やましい色が顔に表れていないかと、居ても立ってもいられず俺は無意識で背中のフードを持ち上げ目深にかぶっていた。

 そのフードが何かに引っ掛かる感触で、俺は自分の頭に生えた巻き角の存在を思い出す。


「そうか……。それは随分と苦労しただろう」


 シグルスの声は親身に寄り添った、慈愛に満ちたものへと変わっていた。

 本人が意識してかしないでか、俺の背中に回すようにして伸ばされた腕に、俺はギョッとして(わず)かに身を引く。


(今のは、俺のことを抱き寄せようとした?)


 しかし、野生児の如きパガスに比べ、シグルスという男は紳士であった。

 俺の【魅力99】に抗い、衝動を(ぎょ)すだけの精神力を宿していたというべきか。

 俺が示した僅かな気配を察すると、シグルスはハッとなって立ち上がり、そそくさと馬の手綱を取りに戻っていく。


「皆の者。聞いたとおりだ。誤解である。彼女は魔王様の侍女選抜試験のために訪れ、着飾っていただけだ」


 シグルスがパガスの肩を叩いて立たせる。

 パガスは肩を落とし、傍目(はため)にもしょぼくれて見えたが、振り返ってこちらを見る目には先ほどまでの熱情は見られなかった。


 仲間たちから「魔王様相手なら仕方ねえよ」などと励まされながら、パガスとその一行は丘を下っていく。

 そうして皆の視線が自分から外れたタイミングを見計らい、俺は指から〈見極めの小筒〉を外し、こっそりシグルスの後ろ姿をのぞいてみた。


〈暗黒騎士:シグルス〉

【体力45,精神40,筋力45,技量54,敏捷48,知性15,魔力40,魅力40】


 思わず目を(みは)り、息を飲む。

 相当の手練れであろうとは予想していたが、こうして数値で見せられると圧巻である。

 立ち向かう意思など起こしようもない。

 まさに最後の難関(ラスボス)と呼ぶに相応しい風格のステータスであった。

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