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◆17「見初めたぞ女。俺が嫁にしてやる」

 一度は一蹴した相手。

 急所をひと突きにできる好機を何度も見送り、見逃した相手である。

 とはいえ、今の俺は以前パガスと戦ったときのような【技量】や【敏捷】を持ち合わせていない。

 言ってみればその辺にいる、ただの村娘に等しい無力な存在であった。


 とても勝ち目などない。

 逃げる足も持ち合わせていない。

 俺は比べるだに愚かしい実力差を直感し、完全に思考を凍り付かせていた。


 パガスは馬鹿でかい図体で草むらを踏み越えると、ズンズンこちらに歩み寄って来た。

 俺はその場から動くこともできず、馬鹿みたいにただ立ちすくんでパガスを見上げた。


 ぶらりと下げていたパガスの両腕(俺にやられたせいで傷だらけだ)が持ち上がり俺の視界を埋める。

 思わず目を閉じ、顔を伏せる俺。


 だが、次に俺が感じたのは頭蓋(ずがい)をへこませる殴打の衝撃でも、喉をかき切る爪の鋭さでもなく、両肩を包むようにつかむ熱い手の平の感覚だった。


見初(みそ)めたぞ女。俺が嫁にしてやる」


 顔を上げるとパガスの目はハートになっていた。

 いや、当然比喩表現だが、そうと形容するに相応(ふさわ)しいデレデレの表情であることは容易に見て取れた。

 一瞬前には自分の死を意識していた落差もあって、俺は再び呆気に取られることになる。


「旦那。パガスの旦那。気持ちは分かるが、ちょっと様子がおかしくないか?」

「うむ。そんな美しいデーモンの娘が、今まで誰にも見初められていないとは思えん」

「だな。城の誰かの手付きなんじゃねーか?」


 目の前にそびえ立つ巨体のせいで姿は見えないが、パガスの後ろには奴の取り巻き連中がいるようだった。


「馬鹿言うな。シロミナの花飾りを付けてるだろーが」


 パガスが頭の右上を指差すジェスチャーをしながら仲間の方を振り返るのを見て、俺は自分の同じ場所に手を当て、そこにある花の手触りを確かめる。


「いやぁ、本気ではなく、ただの(たわむ)れかもしれん」

「とりあえずその子から話を聞いてみようよ」

「だなっ。怯えて口が利けなくなってるじゃねーか」


 なんとなく俺にも状況が見えてきた。

 そうだった。今の俺はこいつらの同胞。同じ魔族の娘。

 出会い頭に殺されるなんてことはない。

 彼らが洞窟で出会った男の化けた姿だとバレたわけでもないのだ。

 だが、それが分かるのと同時に、死とは別種の、おぞましい恐怖が俺の心臓を鷲づかむ。


「てめぇら、その手は食わねーぞ。早い者勝ちだ。こいつは俺のもんだ」


 パガスが正面を向き、再び俺の肩をつかむ。

 今度のは、()れ物に触るような手加減された所作ではなく、興奮をたぎらせ衝動に身を任せた、獣のような突進だった。


「──っ!」


 ドサァッ


 これはもう多少の【筋力】や【体力】の問題ではない。

 そもそも圧倒的な重量。体格差である。

 俺はたちたまち押し倒され、花が咲き乱れる草地に背中を沈めた。


「たまらねえ。今すぐここで、(つが)いとなろう。まぐわおう」


 フガフガと生暖かいパガスの鼻息が顔全体に吹きかかる。

 俺のことを頭から丸のみにできそうなほど大きな口が、俺の(くちびる)を求めて近付いてくる。

 俺は拒もうとして腕に力を込めるが、巨体の下敷きになった両腕はピクリとも動かない。

 パガスの仲間たちが彼の暴走を止めようとする様子も感じられなかった。

 傍目(はため)には抵抗の素振りもなく、パガスの抱擁を受け入れているかのように映っているのかもしれない。


 どうにかしなければ。

 このままでは俺は……、魔王を打倒せんと志し、誉れ高き〈勇者〉の称号を得たこの俺が、その辺の魔族のイノシシ男の番いにさせられてしまう。

 まだ、この口が塞がれていないうちに──!


「違います! そういうわけでは! わ、私は魔王様に──!」


 肺腑(はいふ)を圧し潰されそうになりながら、俺が必死で発した言葉は、自分でも驚くほど、この容姿に相応しく成り切った魔族の女の言葉だった。


 ──私は魔王様に……。


 果たしてその先に何を続けるべきか分からぬまま言葉を途切れさせた俺の耳に、思いもよらぬ音が飛び込んできた。

 それは、どこからともなく響く、高らかな(ひづめ)の音であった。


 パカラッ パカラッ パカラッ


 パガスの体重が上に逃げ、俺は息を吹き返す。

 パガスが俺の嘆願に耳を傾けたわけではなく、蹄の音に注意を逸らされたのだということは、彼の反り返った身体の向きで見当がついた。

 パガスや、パガスの取り巻きたちが振り返っていたのは上空──いまや赤く染まり始めた夕陽の空であった。


 俺も仰向けのままパガスの身体の下から()い出て、彼らと同じ空を見る。

 そこには水に溶かしたインクのように、周囲に輪郭をにじませた黒い馬と、そこに騎乗する鎧姿の騎士が浮かんでいた。


 そう。信じられないことに、何もない空に浮いている。

 騎士を乗せたその馬は、空を駆けているのである。

 黒い馬はこちらに近付くにつれ、駆け足を緩める。

 その蹄は何もない場所を踏みしめ、空に黒いインクの川のような足跡を残しながら、ついには俺たちと同じ台地に下り立った。

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