◆14「……はて、なにかが妙である」
魔族の村娘二人が去ると、俺は草むらから出て、二人が来た道を逆向きにたどり始めた。
ほどなくして大きな泉が見えてくる。
湖と言ってしまっても良いくらいの。
とてもここが魔族領の奥深くとは思えない美しい泉だ(いや、これも偏見か。魔族だって水は綺麗なものを使いたいだろうな)。
水底まで見通せるくらい泉の水は透き通り、水辺には赤、黄、青──様々な色の花が咲き乱れていた。
周囲に人影はない。
俺は畔に立ち、水面に自分の顔を映しながら考えを整理する。
一応、他にも策がないではない。
要は敵を圧倒できるだけの能力があればよいのだから、前に【筋力】や【魔力】を尖らせたように、【敏捷】の値に特化させれば……。
そうすれば、仮に見つかったとしても逃げきることは可能ではないか。
だが問題もある。
素早いだけでは潜入ができない。
敵の気配を察知し、自分の気配を消しつつ、見知らぬ魔王城の中で魔王の居場所を探し回るには、やはり【技量】や【知性】も必要だ。
そう。そもそもの問題として、潜入という手段を採用するには求められる能力値が多すぎるのである。
三つ全ての数値を圧倒的に高く(たとえば〈60〉以上に)割り振るためには、素のステータスの総量が足らなすぎるし、イシダが忠告していたように、できれば【知性】の値には手を付けたくないという制約もあった。
やはり、可能性があるとすれば、先ほど目の前に提示されたもう一つの方の策か……。
俺は水ぎわにあったちょうどよい感じの岩に腰を下ろすと、〈生まれ直しの石板〉を取り出して自分のステータス画面を広げた。
指を当てて下に払い〈スワイプ〉すると、通常よりも一段深い〈生まれ直し〉の選択肢が表示される。
〈勇者:エリオット〉
【素性:人間・村人,性別:男,ステータスの容姿反映:なし】
【素性】の文字を押し込むと、選択可能な様々な【素性】が現れた。
【人間・騎士】【人間・聖職者】【人間・盗賊】などの、おそらく生まれた家系を表しているのだろうと思えるものに混じって、リストの下の方を見れば【魔族・デーモン】【魔族・リザードマン】などの異種族の選択肢も含まれている。
俺は旅の途中に〈生まれ直しの石板〉のガイダンスを読み、確かにそれが可能らしいことを読んで知っていた。
だが、実際にこの項目を操作して〈生まれ直し〉を試みるのは初めてのことだった。
〈勇者・エリオット〉*
【素性:魔族・デーモン,性別:女,ステータスの容姿反映:あり】
「むぅう」
思わず漏れ出た声のとおりだ。
この手段を選択することに、気後れがなかったと言えば嘘になる。
だがよく考えてみよう。
故郷に伝わる民間伝承には、油断を誘うため女装して敵の首領に近付き、みごと使命を果たしたという英雄の、機知に富んだ逸話も多いではないか。
つまり、敵地に潜入する方法としては、わりと由緒正しい方法だと言えなくもない。
卑怯も英雄が行えば賢い戦略となるのである。
しかもこれから俺が行おうとしているのは、表面上の服装に限った女装などではなく、実際に女に化ける──女として〈生まれ直す〉──というこの世の理を外れた秘術なのである。
本当にそんなことが可能なら、気配を消して忍び込む必要もない。
堂々と、大手を振って魔王城に入っていけるのだから、何をためらうことがある。
こんなチート技、使わない手はないではないか。
〈勇者:エリオット〉*
【素性:魔族・デーモン,性別:女,ステータスの容姿反映:あり】
【体力1,精神1,筋力1,技量1,敏捷1,知性13,魔力1,魅力88】
(ふふ。さすがにこれは……。いやいや、しかし……)
とにかく能力値は〈尖らせた〉ほうがいいというのは、これまでの経験で学習済みである。
それに、暗殺のため魔王に近付こうとするなら、できる限り無害を装ったほうがよいのではないかという計算もあった。
ゆえに、【知性】以外の全ての能力値を下限まで下げ、浮いたボーナスの全てを【魅力】に注ぎ込むという尖りまくったステータスを完成させる。
「よ……よし、やるぞ」
俺は自分を追い込むように口に出して気合いを入れる。
靴を脱いで裸足となり、座っている岩の上から足を垂らして泉に近づけた。
今はギリギリ水面の上にあるが、力を抜けば足先は水に浸る。
これは洞窟の祭壇の上で松明を使ってやった気つけと同じだ。
生まれ直して早々、髪や顔を焦がすわけにもいかないので、その代わりの方法というわけだった。
石板は自分のすぐ横の岩の上に置き、〈生まれ直し〉の文字を、押す──!
バシャーン
「──っぷぁっ!」
俺は懸命に首を持ち上げ、口を水面の上に出して息を吸った。
気を失った直後にバランスを崩したのだろう。
俺は足先どころか頭から真っ逆さまに泉へとダイブしていた。
そうなる可能性も見越していたとはいえ、泉は見た目以上に深く、俺は意識をとり戻して早々、おぼれそうになっていた。
どうにか岩のへりに手を掛け、はい上がろうとするのだが身体が持ち上がらない。
こんなに高い岩場だったろうかと不審に思う。
が、袖口から指を出すのもやっとの、ブカブカな服に気付き、俺はその違和感の理由に思い当たった。
岩場が高いのではなく、俺の手足が縮んでいるのだ。
それに……。
(ち、力が……)
弱い。
弱すぎる。
いくらなんでも。
【筋力1】は、やり過ぎだった!
それに【体力】も──、【技量】も。せ、【精神】も……。
頭は回っても、心に余裕がなければろくに働かせることもできないのだと俺は知る。
僅かばかりの精神力も、体力を失っていくことで、どんどんと削られていくようだった。
(たしか……、このへんに……)
見えない岩の上を払うようにして手を伸ばす。
(あった! とれた!)
指先に触れた石板の感触を頼りにそれを引きずり下ろす。
同時に片手でぶら下がっていた岩から手を滑らせ、俺は泉の底に転落する。
落ちたのが澄んだ泉で助かった。
俺はブクブクと沈みながら石板の表面に触れてステータス画面を呼び出す。
欲張りすぎた【魅力】を下げて、【筋力】を、あと、【体力】を──!
「──っぷぁっ!」
俺は再び水面から顔を出し、思い切り息を吸った。
おぼれ死んでいないということは、そこまで長いあいだ気を失っていたわけではないだろう。
ギリギリのところで〈生まれ直し〉が間に合ったのだ。
水の中で手足を動かすと、案外と楽に身体が水に浮いた。
岩に手をかけ、もう一度トライすると、これまた簡単に水から身体を引き上げることができた。
「ハァハッ……ハァハッ……、ングッ、……ハッ、フゥーハァー……」
両手両足を大地に突いてしばらく肩で息をする。
そうしていると何故だか笑いが込み上げてきた。
声を出して笑うほどの余裕はまだないが、これは確かに笑い話に違いない。
危うくおぼれ死にかけたのだ。
なんという間抜け。
魔族に見つかって殺されるわけでもなく、そんな馬鹿な理由で死ぬところだったとは。
イシダから〈小賢しい〉と評された【知性13】も当てにならないものである。
そんなふうに自嘲しながら、俺は何気なく石板の方に目をやった。
身体といっしょに泉から引き上げて脇に置いた〈生まれ直しの石板〉をである。
〈勇者:エリオット〉
【素性:魔族・デーモン,性別:女,ステータス反映:あり】
【体力11,精神1,筋力9,技量1,敏捷1,知性6,魔力1,魅力88】
……はて、なにかが妙である。




