◆10「んだぁ? どちらさんでぇ?」
洞窟に入ってすぐ、俺は自分の迂闊を悟った。
改めて考えるまでもなく洞窟の中は真っ暗なのだ。
今はまだ入口から差してくる僅かな光で前後程度は判別できるが、これ以上進むのは無理だ。
松明かランタンを取り出さなくては。
だが、この暗闇の中で……?
〈無限の袋〉の不便さが恨めしい。
というより、欲張って何でもかんでも放り込んだ自分の計画性のなさを恨むべきか。
ここは一度外に出て、明るい場所で準備を整えるべきだろうな、と振り返りかけたそのとき、目の前にヌッと恐ろしげな魔族の顔が現れた。
「んだぁ? どちらさんでぇ?」
「う、うわぁ!」
驚きのあまり俺は急いで出口に向かおうとする。
そのときガムシャラに振った腕が偶然、魔族の身体に当たった。
「──ンゲェッ!」
別に殺意を込めたわけではない。
自分的には、ちょっと触れてかすった程度の感触だったのだが、俺の肘うちを食らった魔族は壁まで吹っ飛び、無様な悲鳴を上げたあと、そこで動かなくなった。
おそるおそる近付いて確かめると、その魔族は完全に伸びて気を失っていた。
なんとはなしに、相手が死んでいなかったことに俺はホッとする。
見たところ、気絶しているのは巨大なコウモリのような姿の魔族だった。
暗闇でも目端が効く適材適所の配置。
きっと洞窟のこの先にいる魔族も同じく暗闇を苦にしないタイプなのだろう。
俺は少し考えたのち、懐から〈無限の袋〉を取り出し、中を探った。
(確かさっきこのへんに……。よし、あった)
入れたばかりの物は比較的元の位置を保っていることが多い。
俺は一発で〈生まれ直しの石板〉を引き当てていた。
そうなのだ。
明かりの用意を忘れていたことが問題なのではない。
それよりも、隠密特化のステータスに戻さずに進もうとしていたことの方が、遥かに大きな間違いだったのだ。
〈勇者:エリオット〉*
【体力7,精神5,筋力5,技量34,敏捷40,知性13,魔力1,魅力1】
俺は手早くステータスを振り直すと〈生まれ直し〉の文字を押し込んだ──。
*
────。
──。
──明かり?
……っ。顔が熱い。
気が付くと目の前には綺麗な女の顔があり、俺の顔を下からのぞき込んでいた。
俺は壁に背をもたれさせ、座ったままの体勢で眠り込んでいたらしい。
俺が目を覚ましたことに気付くと女がぬらりと身を引いた。
女が手にした松明の明かりによって鱗がきらめき、彼女の蛇の下半身が露わとなる。
見ればそばにいるのは蛇女一人ではなかった。
俺は先ほど大岩の前に集まっていた魔族の一団によって取り囲まれているのだ。
「おい、お前。どこの誰だ? まさかとは思うがあの岩を壊したのはお前のしわざか?」
蛇女を押しのけて、イノシシ男が前に出る。
その手には〈生まれ直しの石板〉が握られていた。
(不味い。すこぶる不味い。我ながら下手を打った──)
洞窟の入口でやったときと同様、すぐに目覚めるだろうと高をくくっていたが、どうやらしたたかに眠り込んでいたようである。
取り囲まれていることもピンチだが、逃げるより先に、〈生まれ直しの石板〉だ。
あれだけは何としても取り返さなくてはならない。
「ねえ旦那。たぶんだけどさ。その男、ニンゲンなんじゃないかい?」
蛇女の見立てに、周囲の魔族たちが揃って動揺をみせる。
「あれがニンゲン!?」「凶悪そうな顔」「どうしてニンゲンがここに?」「つっ、捕まえよう!」
シュコッ
俺はベルトのホルダーから短剣を抜きつつ立ち上がる。
それを見た魔族の反応は、腰が引け逃げる素振りをする者が半分。
もう半分(おそらく腕に覚えがある者たち)は、武器を構え、俺に対する包囲を狭めた。
イノシシ男などは当然、後者の方である。
「待て、お前ら。俺がやる」
イノシシ男は牛頭の魔族から斧をひったくると、刃の方をみせて俺に突き出す。
同時に、持っていた〈生まれ直しの石板〉を、まるで石ころか何かのようにポイと投げ落とした。
(おっとぉ──!)
ザッ
俺は頭から飛び込み、石板が地面に落ちる直前でキャッチする。
それを胸の内に抱え込むようにしてそのまま前転。
イノシシ男の足下を転がってその脇をすり抜けた。
「は、速ぇ!」
牛頭の魔族が驚きの声を上げながらも即座に攻撃に転じる。
組んだ両手で作った大きな拳を足下の俺に向かって振り下ろす。
俺は短剣を頭上に掲げ、それを受け止め……ようかと思ったが、力負けしそうだったので短剣を引っ込め横に跳びすさった。
「俺がやるっつっただろー!」
ドッタッ ドッタッ ドッ──
イノシシ男が斧を構えながら突進してくる。
せっかく借りたのなら、その斧を使えばいいのにと思いながら、俺はヒラリとそのタックルをかわした。
紙一重のタイミングで跳び上がり、イノシシ男の頭に手を突いてグルリと前転して着地。
すれ違い、かなりの距離を行き過ぎたイノシシ男は、振り返って獣じみた咆哮を上げる。
「ちょこまか逃げるな! ちゃんと戦え!」
イノシシ男は今度はちゃんと斧を振って連続攻撃を仕掛けてきた。
俺は短剣一本でそれをいなす。
グィン グィン
(……いや、これはそのまま振り抜かせてやったほうが楽か? わざわざ受けなくても)
ブンブンと斧が風を切る音。
当たればただでは済まないだろうが、技量自体はそこまでではない。
俺は右に左に、軽いステップで斧の軌道を避けると、時折見つかる隙を狙ってイノシシ男の腕に斬撃を食らわせていった。
イノシシ男の腕はたちまち赤く染まるが、攻めの勢いは衰えない。
こちらの攻撃が軽すぎるせいだ。
武器の問題もあるが、おそらく【筋力5】ではこいつの硬く締った筋肉は断てない。
決着を付けるには急所を突く必要があるだろう。
身体の位置を何度も入れ替え、攻めと受けのモーションを繰り返すうちに、俺にはイノシシ男の首筋へと届き得る軌道が見えるようになる。
だが……、何故だかどうにも気乗りがしなかった。
この魔族一人を倒したところでどうなるものかと思う。
周囲を取り囲み、イノシシ男に向かって発破をかける他の魔族たちの声援が耳障りだった。
「アダダダ……。あんれぇ? どしたんだ。みんなして集まってぇ?」
賑やかな声援のせいだろうか。
それまで横になって伸びていたコウモリ男が目を覚まして起き上がる。
その場にそぐわない間の抜けた声に、イノシシ男を除いたその他全員の意識がそちらに逸れた。
タッ──
その一瞬の機を逃さず、俺は全力で駆け出す。
魔族たちの囲みをすり抜け、洞窟の奥に向かって一直線に。
「あ、待て! 逃げるな! 勝負は付いてねーぞ!」
イノシシ男は一応追い駆けようとはしたようだが、【敏捷8】の鈍さで【敏捷40】の俺に追い付けるわけがない。
魔族たちの織り成す喧騒が遠くなるのを聞きながら、俺は深い闇に身を溶け込ませるのだった。




