黒の誘い
死は、怖いもの。
だが人間は、それと背中合わせに生きなければいけない。その先にあるのは苦しみか、絶望か。答えのない問を抱え込んで。
「生を拒み、さらには死も拒む。……ではお前は無になるしかない」
存在する予定を抹消する。あるべきことを無かったことへ。
それが無。根源からの消却だ。
「痛みも苦しみもない。ただそこに漂うのみ」
「……そうなれば、俺はどうなるんだ?」
「そんなことは知らぬ。わたしには関係のないことよ」
形あるものはいつか滅びる。だが無にはその過程すらない。誰にも受けとめられず、そこにあるという感覚すらない。
死が訪れない代わりに、生もない。永遠の虚無にさまよう。
「お前の望みだ。わたしにも恩情はある。その願い、叶えてやろう」
彼女が手をひらめかせると、その背後に巨大な門が現れた。冷たく重い鉄の扉は固く閉ざされている。
「もし生きたくないと願うなら、これをくぐればいい。すべてが無に還る」
いつの間にか、彼女の手には不釣り合いな真っ黒の大鎌が握られていた。
「……一応仕事ゆえ、これが要るのだ」
邪魔くさくて仕方ないと忌々しく小言をこぼしながら、門の脇に寄りかかる。小柄な彼女にはますます似合わない。口調からその身分、衣、その運命。ますますもって正反対だ。
「さぁくぐるがよかろう。その身を無に還せ」
なぜか足がすくんだ。あんなに生きたくないと望んでいたのに、いざとなればこうなってしまうのか。自嘲にも似た笑みがこぼれるのかと思えば、そうでもなかった。
「なんで……」
なんで、泣く? 今更恐怖を覚えるようなことでもなかろうに。望んでいたことが、叶えられようとしていたのに。
どうして今、涙があふれてくる?
「……やはり人間とは脆いものよのぅ」
苦しみから逃避し、悲しみから背を向け、己の喜びのみを追い求める。それはまるで生にすがり、死を恐れるが如く。
それが人間の性だと、奴は言った。だから面白い、見ていて飽きないと。
幼い姿の彼女には、まったくわからなかった。が、今ならわかる気がする。
「さぁヒトの子よ。選べ。己の道を」
生か死か。たった二つの選択肢。選ばれるのは決まって、半身のほう。
「俺は……っ、生き、たい……」
そして選択はなされた。
少女は目を細めて笑う。
「だそうだが? 我が半身よ」
神は人間を創った。その意思は、ただの暇潰しだという。
すべては、少女と青年の盤上に。