第九十七話 帰郷
四月も終わり、京にも春がやってきた。
初めは乗り気でなかったが随分長居をしてしまった。義元も京を随分堪能したようだ。
ちなみにこの三ヶ月、俺が疋田にボコられたり近衛のおじゃるに絡まれ愚痴を聞かされている裏で義元は天皇に拝謁をし、従四位上を賜っていた。仕事出来る男感が凄い…対して俺はバカそのものである。
そうしていつものように入り浸る近衛のハウスで別にひがんでないから!みたいな事をおじゃるに話した所、
「そなたにも従七位を授けようか?」
と持ち掛けられたが俺はそれを断った。従七位って滅茶苦茶下っ端じゃねーか!陛下から貰うならまだしもコイツから木っ端の称号をわざわざ貰って明確に下と位置付けられたくなかった。
「はははお戯れを、卑賎の身でありますれば関白殿下からのそのような過分なご配慮など頂きましたら世間で妬みの元になりましょう」
そういって適当に笑い飛ばしておいた。
とはいえ俺も愚痴を聞かされる為だけに近衛のハウスにお邪魔しているワケではない。おじゃるとの会話の中で時代の流れ?みたいなものが掴めてきた。真偽不明の流言飛語が多い世の中で流石は関白殿下である。この時代において情報の質がとても高かった。
ざっくり言うと将軍様の政敵だった細川某ってのと三好長慶というのがここ数年で死んだらしい。もっとも三好長慶はまだ死んだと確定した訳では無いようだが、当の本人が姿を現さない上に家内は後継問題で揉めており、死んではいないまでも相当体調が悪いのではないかとの話だった。だがそれも後継者が此処数年でバタバタと倒れ、今残っているのは残党と言って差し支えない連中で三好の家中は混乱しているとの事だ。
まぁ後継者が相次いで倒れるとかきな臭いモノを感じないワケでもないが、この時代ならよくある事なんかね?
そしてそこに現れたのが我らが今川の治部大輔様だ。
駿河遠江三河そして尾張を統べる大大名、今川が足利幕府を支えるという意思を示す。尾張には斯波、そして三河には吉良がいる。この三家が足利を支えるという事実はわりと大きい…らしい。
実際の所は国を跨がないと力が届かない微妙な距離なのだが、基本的にはおじゃる視点からの話であって京を戦火に巻き込む可能性のある近隣の勢力ではなく、その背後から京を騒がせようとする勢力を威圧するだけの力がある「歓迎できる勢力」に見えるようだった。
何にしても今川は足利を支えると示す事で幕府の運営の大きな一助になるだろう…というような事を話していた。
◇ ◇ ◇
そうして五月か六月には完成するという二条御所の落成を前にして俺達は京を去る事になった。完成した姿を見たいのもやまやまなのだが、何やら義元の元に駿河から文が届き急遽駿河に帰る事にしたようだ。
小市民の俺としては若干の口惜しさはあるものの田植えの季節には出来るだけ地元に居たいのもあって京から戻る事に全く異論は無かった。
次に来た時には完成した二条御所と共にもっと強固になった足利幕府が見れるのかもしれない。
けれど足利幕府は安泰のように思えるのだが、二百年以上続いたのは徳川幕府なんだよな?
俺は全くアテにならない未来知識に引っかかりを覚えながらも近衛のハウスに別れの挨拶をしにやってきていた。
「近衛卿には京に滞在中は御心を砕いて頂き誠にかたじけなく、心より御礼申し上げます」
まあコイツの顔をこれから見なくて良くなると思うとせいせいするのだが、それでも三ヶ月も毎日のように顔を突き合わせていたのだ。いざ別れとなると少々物寂しいものがある。
そうしておじゃるは「うむ」といつもよりも大仰に頷き、扇子を広げてのたまった。
「粗忽者の顔も見られぬと思うと寂しゅうなるな…また京に来た折には其方の景気の悪い顔でも見てやる故、挨拶しに来るが良いでおじゃる」
コイツ全力で煽りにきてるな…そして挨拶(金)
こういう機微に聡くなったのは今回の遠征の大きな成果だろう。
「其方に言われたからではない、ない…が、従兄弟殿の面倒もみてやるでの」
当の将軍様を差し置いて上から目線の親分面である。何がおかしいのかほほほと笑うおじゃるだが将軍様を支えるつもりで変な横槍を入れたり、粘着しない事を祈るしかない。正直不安しかないが。
これは早く会話を切り上げたくて多少ある事無い事を吹き込んでやる気にさせてしまった俺に責任の一端…いや責任など…ない!悪いのはおじゃるであって俺でない…お、俺は悪くねぇの精神である。
眉間に集いたがる皺をなんとかなだめ笑顔で別れを済ませた。
もう二度と顔をみたくねーなと思いながら俺は近衛のハウスを後にした。先ほどまでの物寂しさなど何処へやらだ。
◇ ◇ ◇
「殿、ワシは堺に行って紙を買ってくるぞ!」
秀さんは当初の予定通り堺へと向かった。近衛のハウスに俺の従者としてついてきていた為、結構近くにいる事が多かったのだが、ここでしばしの別れである。
ちなみに滝川のおっさんは連日の稽古で大変な目にあっていたようだ。おっさんは決して弱くない…というかむしろかなりの腕は立つのだが、疋田のみならず幕府の精鋭に駿河の精鋭と、とにかく相手が悪い上に数が多かった。連日に次ぐ連日の稽古でおっさんの顔は随分精悍()な顔になっていた。
この顔を見るとやはり近衛のおじゃると茶をしばく方が良かったのだな…としみじみ感じてしまった。
道中、義元と話をする。
「千秋の、耳を貸せ」
義元が俺に内緒とばかりに話を振ってきた。きっと急遽駿河に帰る事になったという文の内容だろう。ロクでもない内容なのは明らかなのだが、俺は内心聞きたくないなーなどと思いながらも傾注せざるを得なかった
「氏真が伊豆の一向宗征伐に失敗した。臣下の求心力を得ようと質を求めておる」
滅茶苦茶ロクでもない話だった。だがその先が少し予想と違っていた。
「お前は付き合わずとも良い」
「はえ?」
元々今川家の教育目的で人質に出そうと思っていただけに肩透かしを食らってしまう。
「強ければ人は無理を圧してもついてくるが自らの失態を隠そうと質を集めても人は付いて来ぬ。愚の骨頂よ」
ようは人質自体は必要だがとにかくタイミング悪いと。
「氏真は其方と松平が昨年平定した一向宗を、自らが平定できなかった事に苛立って居る様子じゃ。そのようなつまらぬ意図が透けて見える。そんな所にわざわざ質を送る必要はない。今送っても八つ当たりの的にされるのが関の山じゃ」
俺もアホ息子を少し厳しい環境に置いてわからせてやって欲しいとは思っても可愛くない訳でもないしそれこそ不幸になって欲しいなどとは思っていない。
「家内の不和が大きくなる前に纏めぬと後々に禍根を残す事にも繋がりかねん」
そう言う義元の表情は、楠丸を見る俺と何処となく被って見えた。




