第二十話 熱田邂逅
桶狭間で敗走した俺は一年ぶりに故郷である熱田へと帰ってきた。
あの時、死地から生き永らえ泥と雨と焼き味噌で塗れ、令和の記憶と季忠の記憶が混じり俺の知る歴史とは違う現実に頭と心は混乱を極めていた。
神宮を出た時、自分の生きる足場がない事に恐怖した。だが今日此処に来て俺は此処が戻って来るべき場所なのだと理解した。
懐かしの神宮の大楠が見える。
その枝には新緑の季節に相応しい瑞々しい若緑を湛えている。
「殿ーー!」
神宮の皆も元気そうだ、皆が出迎えてくれている。その中には親父殿の顔も見えた。少しやつれたように見えるが…その表情は明るい。
そしてその横に控えるのは千秋季忠の、
妻 た あ
………落ち着け。
落ち着いて千秋季忠の記憶を掘り起こす。
…妻…………そういえばいたな…
千秋季忠は確か今年で数え二十七とかだったはずだ、妻がいておかしい年齢ではない。令和の俺と記憶が混濁して意識しないと季忠の記憶が出てこない故の事故のようなものだ。
決して意図して忘れようとしていたわけでもないし、不義理を働いた訳でもない。
許して欲しい…
熱田の医者の家である浅井の娘 たあ
彼女は輿入れして三年程になる。白い肌は透き通り綺麗な長い黒髪はよく手入れされ流水のようだ。自分の妻とはにわかに信じられぬ美人を前につい体が硬直する。長い睫毛を湛え俺を見つめる目端が潤んだのを感じた。
こんな美人を一年も放っておいた自らを呪うしかない。
しかし季忠の記憶にもない更に大きな問題がたあの腕に存在していた。即ち、
赤 ん 坊
いやまって聞いてない…季忠の記憶を漁っても身籠ったと聞かされた覚えはなかった。
だが状況からみて俺とたあの子なのだろう。
逃げるように熱田を出て一年、俺に連絡する事もままならぬ中で無事に彼女は俺との子供を産んだようだ。
「……………ぇぇぇぇ」
俺が困惑の色を深め固まっていると、傍らにいたしずかさんの瞳がドブが濁ったような目で俺を映している事に気付く。軽蔑の眼差しが心に痛い。
認知しないとかじゃないからそんな目で見ないで…
とにかくこの場を凌ぐ為に俺は一生懸命季忠の記憶を掘り起こした。赤子の情報は全くないので諦めたが、たあはヤキモチ焼きで少し幸薄そうな美人の奥さんという認識だったようだ。
彼女は親の生業を見様見真似とは言っていたが薬学に通じていた。山菜や茸を求めに山へ入ったり滋養強壮にと山芋を手ずから育てたりと、妙な趣味だと思ってはいたが、飲み過ぎた時に二日酔いの薬を接処方してくれたりで頼りにしていた記憶がある。
そんな比較的アクティブな彼女だが浅井の家には元々俺に輿入れが決まっていた姉がいた。だが輿入れ前にその姉に「不幸」があり、急遽妹であるたあが嫁いでくる事となった。この時代家と家の縁を繋ぐ為の意味合いが強く一々詮索しては相手に対しても非礼に当たる。少なくとも季忠はそのその「不幸」の内容までは知らないようだ。
季忠は浅井との縁を無事繋げた事を喜び、彼女を進んで妻として迎え入れた。
…令和ボーイの俺からすると「あっれれー?おっかしいぞー?」的な…いや、漫画の読み過ぎか?
そしてその彼女がどことなくねっとりした…なんというか獲物を狙う蛇のように視線が鋭くなっているのを確認する。薄目で俺…いや、俺の後ろ、白い顔に笑顔を張り付けメスガキさんを見つめている。
三郎太は主人に対して害意を含むたあの視線に気付いているようで警戒を顕にしている。
一年ぶりの熱田の宮、大勢の者に迎えられこの場で頭を抱えるわけにもいかず俺の胃はキリキリと痛んだ。
◇ ◇ ◇
「九鬼しずかと申します」
広間で俺の親父である千秋季光に深々と頭を下げる。あれ?メスガキさんがまるでお姫様っぽい…
「此度は熱田大神と季忠様のご厚意により羽豆崎にお取り計らい頂き、一族を代表し感謝申し上げます」
…珍しく罵倒語以外の言葉が彼女の口から紡がれるのを聞いた。頭を打ったのか宇宙人に攫われて別人になったんじゃないかと思うほど流暢に出てくる言葉に俺は動揺をしていた。
「しずか殿、面を上げられよ」
宇宙人に親父殿が言葉を返す。
「既に熱田の当主である大宮司はこの季忠、九鬼を救うと決断しそれを動かしているのも全て季忠の意志じゃ」
そんな事はない、先に鷲頭村で聞いた桶狭間の前哨戦、鷲頭砦での攻防に際して千賀の田畑を荒らした保証を松平と折衝し行ったのも親父殿だ。
身重のたあを気遣ってくれたお陰で無事に子も産まれた。俺がいないならたあは実家に帰っていてもおかしくない。
これまで自分を支えてくれた親父殿には感謝してもしきれない、これが親というものなのだろうか…
たあの腕に抱かれた赤子を思い出す、俺はこんな尊敬できる親になれるのだろうか?
「今後九鬼とは長く仲良うやっていく事になる、此処を其方の家と思いくつろがれよ」
熱田と九鬼は今後関係を深める事になる、親父殿は力になってくれるようだ。
だがそこにしずかさんが笑顔で爆弾を飛ばしてくる。
「それでは…先程のお見かけしました美しい女性は季忠様の奥方様で御座いましょうか?」
茶を吹きそうになる。
「うむ、名をたあという、熱田でも評判の美人じゃ」
「まぁ!それでは奥方様が抱えていらっしゃいました玉のようなややこは…」
はっはっはと笑う親父殿。
「今年の二月に産まれたばかりの季忠の子でワシの初孫じゃ!」
孫を褒められて上機嫌の親父殿。え、俺こんな笑顔の親父殿見た事ない…
そして俺は急いで頭の中で計算をする、やはり桶狭間の折にはまだ妊娠に気付いていなかったようだ。
「季忠様が寒中水泳に精を出している時にそのような大事が…」
名前を呼ばれて我に返る。
いや、その寒中水泳メスガキさんがいなかったらやらなかったからね?
…と考えメスガキさんの意図に気が付いた。どうして俺が寒中水泳をやっていたのか話させる事で俺とメスガキさんの関係を説明させるつもり…か?
「なんじゃ季忠、たあが大変な時にそんな事しておったのか?」
親父殿が呆れた顔で俺に説明を求めてくる。
メスガキさんはにこやかな笑顔を俺に向けてきた。しかし誤解を招くような情報をこんな場所でひけらかす訳にはいかない。
「寒空の海で沐浴をする事で魂を浄化する祭りをついリスペクトした、伊勢の海はとてもジーザスだった」
と少し強引に誤魔化した。
何を言ってるんだ俺は…
年が明けたのでなろうさんの空気を味わいにカクヨムさんからやってまいりました。
何卒宜しくお願い致します。




