19話 カレンダー と 写真
気づいたらまたあの公園に来ていた。少し前に騒ぎになったあの公園。
騒ぎの理由は…何だったろうか。確か遊具が……解体されるとかだったような。うまく思い出せず、辺りを見回す。
ほとんど更地だった。柵と木が残っているだけの広場。今座っているベンチを足しても味気ない風景だ。野球やサッカーをするには少し手狭いこの場所で、子どもたちはどんな遊びをするだろうか。真っ先に思い浮かんだのは『かくれんぼ』だったが、それは出来ないだろうとすぐに否定した。姿を隠せるものが殆ど残っていない。
男の子なら木を登ったりするのかもしれないが、こんな禿げた木のどこに隠れようと言うのか。
春や夏ならまだ………花や葉が姿を隠すのだろうか。秋なら落ち葉が溜まれば隠れやすいか。冬は雪の中か?…いや、寒いからみんな家で引きこもっているに違いない。現に今、この公園には人っ子一人見当たらない。最近の子は、 を一日中見ているとニュースで言って………何を見ているんだったか。
思い出せないことが増えた。いや、見えないものが増えた…か。
公園の外周を囲むように規制線が所々力無くぶら下がり風に揺られているのが目に止まる。
侵入禁止、その意味が示す物を知っている人は恐らくもういないのだろう。俺だってもう思い出せない。危険かもしれないからと触れることも避けている。傷つけてしまうことにも傷つくことにすらも怯えて目を瞑ってしまった。
もうあの部屋にも戻れない。遂に失色が壁や床に現れた。時期に建物全てが塗り替わるだろう。
部屋のことを思い出せるということは失色し切れていないという事なのだろうが、思い出せなくなれば気付きようがない。
これからどこに行けばいいのか。こうなる可能性も考えておけば良かった。透明が何か対策なりしてくれているのだとつい思い込んでいた。
咄嗟に持ち出せたのは、これだけだった。
持って行け。
そう指示しているかのように、部屋の中で侵食を免れている安全地帯に置かれていた。
ゴミ箱として使っていた木箱。その中には数冊の冊子とボールペン、くしゃくしゃになった栞が入っている。それと…
「…なんでここにいるんだっけ」
俺はいつのまにか公園に来ていた。
ー
店長が入院することになった。あまりに唐突で、混乱してて話をよく覚えていない。だからここに書き残せるのは少ない。とりあえず意識はあって、会話もできた。そこだけは安心した。本人は平気とか言ってたけど、 さんがすごく青い顔をしていた。ちょっとした腹痛で人って倒れるものなのかよ。
(一度書き消した跡)すぐに退院してるよな?夫婦揃って元気にいるんだろ?
*
昼も過ぎて、日がどんどんと傾きつつある頃。いつもと比べ静かすぎるカフェの店内では、その日二回目の揉め事がおきていた。
揉め事の中心は俺自身。子どもみたいに泣き喚いて、一人で勝手に傷ついて最悪だった。
友を呆れさせ、年下の女の子たちもいる中で、本当に情けなかった。
目の前にいる女の子には、あまり見せたくない姿だったのに。
「気付いた」といった彼女の思考を俺は推し量れない。それがまた、俺を苦しめようとしてくる。
「気付いたって…何に?」
袖で目尻を拭ってから、俺は明ちゃんに聞き返した。目があった明ちゃんは、わざと目を逸らすかのように俯いて聞き返してきた。
「…巴さんは、気付きませんか?」
「……分からないよ」
楽しいクイズ、なんて雰囲気にならないことは明ちゃんだって分かっているはずだ。年上の余裕なんてものも今更ない。はやく…答えを教えてほしい。
明ちゃんは一呼吸してから話し始めた。
「このお店はもうすぐ廃業されると牡丹さん達から聞きました。表の張り紙にもそのことが書いてありました」
「…俺はそれを覚えていなかった。忘れたいくらいのショックを受けたよ」
敢えてそんな言い回しをして笑いを誘った。みんなに笑って欲しいわけじゃないのに、自分が滑稽に思えたのだ。八つ当たりも混じっているのだろう。わざわざそんな言い方をして何になると、うるさい奴が心の内で怒鳴っている。
誰も笑いはしなかった。
いつからか明ちゃんがこっちを見ていて、今度は目を逸らさずに質問してきた。
「最終日がいつかは聞かれましたか?」
「今月末だって。…そうなんだろ?」
俺は紅陽さんに教えてもらったことを孫の牡丹に確認した。違う可能性があると期待していたわけじゃない。でも、もしかしたら、紅陽さんが…。
「そうよ」
「……うん」
牡丹は躊躇うことなく簡潔に肯定した。
俺は喉に溜まった唾を飲み込んだ。酷い言い訳を浮かべようとしていた。情けなさすぎてまた泣きそうになる。本当にこの店を畳む話が進んでいて俺以外の人たちはそれを受け入れているんだと、孤独感を覚えた。なんでこんな話を続けているんだろう。
俺は店内を流し見た。目に入ってくる所々が年季の入った古民家らしい様相を醸し出している。机の傷や壁の穴、使い古された道具、変色している置物だったり、どれだけの思いが、時間が、そこに溜まってきたのだろう。そのどれもが綺麗に大切に使われ続けてきた物ばかりだった。
目を瞑っていても、匂いがその存在を感じさせた。
それらがもうすぐ失くなるのだ。あ、だめだ、また…。
「見つかりましたか?」
「…え?」
唐突な質問に涙が引っ込んだ。いや、少し漏れていたかもしれないけれど、溢れ出そうになっていた熱がその声に留められた、そんな感覚だった。
間抜けな驚き顔の俺を見て察したのだろう、明ちゃんは質問を変えた。しかしそれは「見つかる」という質問と、その一つ前の質問にも関連しているらしかった。
「最終日まで、あとどれくらいの日数が残っていると思いますか?」
「それは…」
俺は視線をある方へと向けた。なぜそちらに視線をやったのか、すぐには理解できなかった。
カウンター横にあるレジ、その後ろの柱にフック型の金具が目立つ様に刺さっているのが見える。
何故金具が、あんな高さに?
………ん?
「あそこ…カレンダーがなかった…か?」
首を傾げると違和感がするりと口から出た。言って気づいた、そういえばあの辺に壁掛けのカレンダーが垂れているのをみたことがあった…はずだ。でも自信はないので、牡丹に確認するような言い方になってしまう。
突然、周りの奴らが騒ぎ出した。
「ほんとに見つけちゃった!」
「ふん」
「やっとか、巴!」
古草さんが驚いて、牡丹は鼻で笑い、エビはため息を吐いて笑ってやがる。
場の空気の変わり様に俺だけ置いてけぼりだった。
明ちゃんが「正しく見つけてもらいましょう」と言って牡丹に向かって目配せをした。
返事もなく動き出した牡丹が金具の前で立ち止まる。金具の真下の空を摘まむように掴み、手前に持ち上げる。パラパラという音が聞こえた気がして、音が止むと牡丹が明ちゃんの方に向き直った。
「まだ有るわよ明」
「ええ、確認ありがとうございます牡丹さん」
出会っていきなり喧嘩していたはずの二人はたった数時間で互いを名前で呼び合う仲に…わからないことが一つ増えた代わりなのか、その二人の行動の意味は分かることができた。
有る、確認、これらが示すことはつまり、見えないものが在ることの確認が成されたということ。透明を見つけたってことの証明だった。
新しく見つかった透明物はカレンダーだ。
俺は衝撃を隠せなかった。
「…何でもう一つ有るんだよ」
「もう一つ?どういうことだ巴」
無性に腹が立ってきた。俺の思い出に関わるものを透明が一つ一つ隠そうとしているように思えたから。エビが聞き返していたけれど、それには答えられなかった。
明ちゃんがこっちを見ていたから。
「別の透明を見つけたんですね。巴さんのほうでも」
「…うん」
明ちゃんは驚いたりしなかった。これが、明ちゃんの言う「気づいた」ことだったのだろうか。見透かされているような感覚ではあったが、不思議とこれは嫌じゃなかった。
「巴のほうもってことは、ひょっとしてまた連動する何かとかなのか?車と鍵みたいな。カレンダーから連想するもの…ていうと何だ?」
エビが立ち上がり、辺りを見渡した。俺はそれに「探しても見つからないよ」、そう伝えようとしたが、それを告げる前に彼女が言い当てた。
「この場所ではないのでしょう。おそらく外なのでは?」
「……なんで分かるの?」
「なんとなくです」
見てきたかのように言い当てる明ちゃんだが、その質問には答えを濁した。その違和感を追求しようかとも思ったのだが、他の妙に聡い奴に遮られてしまう。
「あ!!さっき言ってたでっかい木ってやつか!?どうなんだ巴」
「……ああ」
「やっぱりか。帰ってきて急に雰囲気変わってておかしいと思ったんだ。まるで明ちゃんみたいだった……し……」
明ちゃんを見てバツが悪くなったのか、そこで口を噤むエビ。
「余計なこと言わなくていいですよ」と明ちゃんが拗ねたような声を出した。後ろの女の子たちがニヤニヤしている。
俺が裏で作業をしている間に明ちゃんの方で何かがあったみたいだ。気にならないこともないが、空気的に聞けそうもない。
取り敢えずこの疎外感を止めてほしいのだが、それよりも先に「でっかい木」の説明を求められた。
エビの言う「でっかい木」とは、俺とエビが先ほどまで揉めていた原因とも言える俺が見つけた透明物のこと。
店の裏手にある広場、旧公園に今もなお存在するぼろぼろのベンチ、その真向いに透明の木は立っていた。
その発見方法はほとんど偶然だったことと、きっかけに自身の記憶の一部が関わっていることも説明した。
制服を着た女の子と二人でベンチに座って会話しているイメージ。会話はぶつ切りに聞こえて(思い出せて?)完全ではなかったけれど、ある程度の内容から高校三年の秋頃と断定できたことも伝えた。
明ちゃんから、紙に会話内容を書き出すように頼まれた。恥ずかしさもあって最初は箇条書きにしようとしたのだが、明ちゃんに「覚えている限りを洗いざらい吐き出せ)と凄まれた。
照れを隠しつつも書き起こしていると、何故か夢の会話内容がスラスラと書き起こせて不思議だった。ぶつ切りの箇所まで正確に思い出せなかった。
明ちゃんはメモの文面を考え込むように見つめていた。穴が開くように見つめているのは、穴埋めをしようとしているからだろうか。
エビもメモに目を向けていたが、それよりもと口を開いた。
「その女の子ってどんな子だ?」
聞かれるだろうと思ってはいたが、説明し難い。何故なら…。
「顔がぼやけててよく分からなかった。制服を着てたと思う。多分…」
モヤのような、形が無いような、ハッキリとしない顔立ちでそれ以外はハッキリとしていたから変な感じだったのだ。
だが、なんとなくではあるが当てはまりそうな人物が一人浮かんでいる。それを口にしようとすると、明ちゃんの方が先に答えた。
「日音さん、ですね?」
「思い出せないけど、そうなのかも」
エビと花星さんが知っている、俺達の共通知人である彼女、日音。俺は彼女を何故か思い出せない。
同級生ということと、多分花が好きだったという情報でしか当てはまらないのだが、彼女なのではないだろうか。
「お綺麗でしたか?」
「だから顔までは思い出せなかった、て…大丈夫?」
空気を戻そうとしてくれたのか、明ちゃんが冗談を言ったと思った。彼女の顔を見ると、左眼から涙が一筋流れ落ちていた。
気付いていなかったのか、彼女は自分の頬を滑り落ちようとする一雫を指の腹で取ると、驚いたような顔をした。
「私たち、情緒不安定ですね」
明ちゃんは目尻を擦りながら無理やり笑った。俺は何を言ってあげればいいのか分からない。どうして君は…。
「はい。これ飲んで一回落ち着きなよ」
牡丹がいつの間にかカウンター裏に回ってコーヒーを差し出してくれた。
淹れたての深い香りが思考を奪う。
「おかわり自由だよ。閉店セールってやつかな」
…そうだった。水と違ってこれは商品だった。
恐らく、メニューのどこにもおかわり自由は書いていないはずなのだが。
「勝手に決めていいのかよ?」
「おじいちゃんって孫にすごく甘いの。多分大丈夫」
「怒られた時メチャクチャ、ビビってなかったっけ?」
「うるさい。賄い要らないの?」
牡丹は不恰好なオムライス?の皿を目の前に置いてから試すような目をした。ん?賄い?
「お腹が空いてるから、情緒がおかしいんじゃ無い?いつもそんな感じだって言うんなら、ごめん無理」
「何が?…なあこの失敗したオムライスもどきが俺の賄いなの?紅葉さんがこれを許したの?」
「ほんと無理。黙って食いなよ泣き虫」
「誰が!!」
「牡丹ちゃーん。カムヒアー」
古草さんに呼ばれると牡丹は「ふん」と鼻を鳴らしてから彼女の方に向かっていった。
何やら二人で言い合っているが、古草さんの方が両手を顔の前で合わせて謝る姿勢を見せた。あの女可愛くねぇ。
「牡丹さん優しいですよね」
明ちゃんが溢すようにそんなこと言った。
「そうかな?嫌なガキだと思うけど」
「巴…ガキはお前だろ。年下の女の子にそんな態度…」
「うっせ」
明ちゃんがボソッと呟いた気がした。『友達…』その後は聞き取りづらく、『なかったのに』、と言った気がする。
コーヒーカップを見つめている彼女を横目に、グチャグチャなオムライスに口をつけた。
「うま」
思わず溢れたその一言に、エビが笑って、古草さんが手をちいさく叩き、牡丹が鼻で笑い、明ちゃんがカップに口をつけた。
俺がオムライスを食べ終わるくらいに花星さんがトイレから戻ってきた。
…お腹を壊してしまったのか。そんな事を聞き出すのは憚られた。
「お腹壊されたんですか?朝ごはんが良くなかったのでしょうか」
「ううん。トイレの中に、間違い探しがあってね、それを見てたら、時間かかっちゃったの」
「まったく、うちのお姫様は自由奔放で困るぜ。そこも良いところだけど」
「8個目が、なかなか見つからなくて」
自由人だな。30分以上熱中できる間違い探し…そんなの飾ってたっけか?
牡丹に聞こうかとも思ったのだが、女子トイレの内装を聞き出すのも変だと、なんとか口を開く前に踏みとどまれた。他のみんなもその話題を広げるつもりはないらしい。危ない危ない。
長い事離れていた間に空気が変化していることに気づいたらしい花星さんがエビに耳打ちをしているのが見えた。
「…何か、発見があった、みたいだね」
「ああ、色々あったぞ。まずは…!ちょっとついてきて」
子どもみたいな顔をしたエビが花星さんの手を引いて柱の方へと引っ張っていった。
どうやら初めて透明を見るであろう花星さんに触れさせて驚かそうと言う魂胆なようだ。エビらしい。
「わー。見えない何か、があるよ。カレンダー、かな?」
「当たり!といってもどんな絵柄でいつの年月かは分からないけどな。大きめの月単位の壁掛けカレンダーだろうって、明ちゃんが」
「なるほど。普通であれば、今年のだと、思うけど」
「だよなぁ。……あ!!」
エビの突然の大声に一同が驚いた。いや、エビの目の前にいた花星さんは慣れているからか動じていなかった。
「何だよ」と俺はエビ達の方へと近寄りながら、声をかける。どうせしょうもないことだろうと思っていたのだが予想は外れて、内容は透明についてだった。
エビが興奮気味に答える。
「確か、俺たちが見つけた車ってさ、中身はそのままだったよな」
「だから?」
「だったらカレンダーも中身なら見えるんじゃないのか?」
「おいおい、何度も捲って確認したろうが。全ページ透明だったって」
「あれ?」
素っ頓狂な発想だと注意してやった、つもりだった。首を傾げるエビを見ながら、自分の中にある違和感を見ないふりしようとした。思い出さないように。
「…中を見る方法、あるかもしれません」
予想外の声は背後から届いてきた。明ちゃんだ。
「どうやって?」
「ヒントはこれです」
真剣な眼差しでエビを見据え俺の質問に答えると、明ちゃんは置きっぱだったバッグの方に駆け寄ると、中からビー玉を取り出した。机に置くとビー玉はコトッと固い音をさせた後、少しだけ宙に浮いている。
俺とエビ、それからシロにはそれが何なのか分かっている。
「何よそれ」「ビー玉?」
女子二人が明ちゃんの前にあるそれを不思議そうに見ている。花星さんも初めて見るはずだが、落ち着いている。静かに明ちゃんの説明を待っているようだ。
「これは巴さんが見つけて、私に預けたままにしている透明物。通称、明け透け缶です。中にあるのは普通のビー玉。ある事をすると面白い現象が起きます」
牡丹にカウンター内に入って中のものを使っても良いかと確認をしている。あっさりと許可が出て(良いのかそれで)、明ちゃんは透明を置いたまま、牡丹を連れて中に入っていった。十数秒で戻ってきて、右手にポットを持った状態だった。
コーヒーのおかわりか?
「中身は普通の水です。零したら困るので、皆さん見えるようにカウンターの近くに寄ってもらえますか」
シロ以外の皆が明ちゃんの指示に従った。マジックでも始まるのか?
「その通り。最初からよく見ていてくださいね」
ペリッと蓋代わりにしていたプラ板を外して、多分飲み口がある穴にポットの注ぎ口を合わせ、ゆっくりと傾けた。
透明の中に透明な液体、水が侵入していく様が見えて、中のビー玉が勢いに転がされているのが見えた。そして、消えた。
「え?」「ビー玉が」「消えた?」「すげえ」「いや見えなくなったんでしょ」「どうして」
注ぎすぎたためか、透明から水が溢れ出し淵や側面に沿って水が滴り落ちてしまったところでようやくポットを離した明ちゃんだが、その顔はどこか満足げだった。
「こう言う事です」
「ん?どう言う事?」
話が飛んでしまったのかと思って聞き返してしまった。まだ説明は終わってないらしい。
「どうして缶の中が透けて見えているのか、不思議だったんです。車の時との見え方の違いも」
昨日の出来事を簡単に説明すると、迷い込んだ街で帰り道を探していたら、俺たちは偶然鍵と車の透明物を見つけた。中を見た二人が言うには、事故を起こしたのか巻き込まれたのかまでは分からないが、車のボディが滅茶苦茶に凹んでいたり歪んでいたと。
無惨な姿に気分を害した俺を気遣ってか、それらの透明物は置いたまま帰ることにした。だから、この場の三人には口頭での説明ではイメージも湧きにくいと思うが、女子高生ズは明け透け缶に興味津々らしい。
「車は最初、完全に見えないものでした。それが鍵を開けることで、光出したり、存在を主張し始めた気がします。まあ、こちらが観測を始めたと言った方が正しいのかもしれませんが」
明ちゃんがカウンター内の簡易シンクに明け透け缶の水をトポトポと落とすと、ビー玉が徐々に姿を現した。
全ての水を抜き切ってから、コロンとビー玉を手のひらに転がした。赤と緑、濃い青の線が渦のように絡まっている柄のビー玉。意外と鮮やかな色をしていたんだな。
「明け透け缶の中のビー玉って、少し色が霞んでいるんです。巴さん、気付いてましたか?」
「いや、今初めてビー玉の色が鮮やかだったんだと知ったよ」
「そう言えば、取り出した状態は初めて見せますね。気付けるのは私だけでしたか」
明ちゃんが再び缶の中にビー玉を戻したようで、ビー玉はカンカン音を鳴らした後少し浮いた場所に留まった。若干だが、霞んで見える。
しかし他の面々には色の違いがそれほどないらしく、エビなんか首を傾げている。
「で、ビー玉が消えるのとカレンダーの中身を見るのとどう繋がるわけよ?」
「水です」
ポットを持ち上げて断言した。
「恐らく、水以外にも可能にするものはあると思います。透明で密閉さえできれば」
「よく分からんが、取り敢えずぶっかければ良いわけだな?よし」
「よしじゃねぇよ!?」
明ちゃんからポットを奪おうとするエビの腕を引き剥がす。躊躇いもなく、何をしようとしてやがるこいつは。
「実験する流れじゃねぇの?」
「お前なぁ。許可取るとか必要なことがたくさんあんだろが!!」
「良いわよ。面白そうだし」
牡丹が割り込んで勝手なこと言い出した。
「は!?お前、ちょっとは…」
「わん」
いつの間にかシロが布巾を加えて、寄ってきていた。取れと言うことだろうか。取り敢えず受け取ると、唾液まみれで使い古された普通の布巾だった。
渡されたものをどうすれば良いのか迷っていると、明ちゃんが何やら思いついたようで牡丹に指示を出した。
「なるほど。牡丹さん、濡らしてもいいタオルか布巾を一枚貸して頂けますか?」
「これでいい?」
牡丹はポケットからピンクのハート柄のハンカチを取り出して明ちゃんに手渡した。
「これは…」
「だよね」
「「かわいい」」
「いいから」
明ちゃんと古草さんがにやけ顔で牡丹を見つめるなんて間を挟んでから、明ちゃんはそのハンカチを水に濡らした。
エビに、ポットではなく透明物をテーブルの上に広げて持ち続けるように指示を出し、奴はそれに素直に従った。
ハンカチに湿り気が残るように折りたたんでから優しく絞り、カレンダーの上面を軽く撫でた。
透明の上に薄い膜が出来るように、水が広がっていく。瞬時に変化が起こる。
「これは」
「写真だね」
「風景カレンダー?すごく綺麗な場所じゃん」
海と島、大きな橋、山の頂上から撮影したような風景写真だった。
「見覚えが…どこだ?」
「ん?……あ!!」
エビが何かに気づいたようで、スマ…ホ?を取り出して指をシャッシャッしている。忙しない奴だな。
「ここじゃね?鷲翼山」
エビが自分で撮った写真だろうか?エビっぽい人物の目元が写っている。髪を染める前か?
確かに似ている。構図や高さ、手ぶれなども相まって写真の美しさに歴然の差を感じてしまうが、橋の向きや島の位置などは似通っている。
てか、奥の後ろ姿の女の人は誰だよ。花星さん…ぽく……ない……。
「あ!!これ、日音じゃね?覚えてないか、巴!!」
「日音?」
俺より先にその名前に反応した女の子がいた。
「日音って、加賀美日音じゃないわよね?」
牡丹、お前はどこまで知っているんだ。
*
「見いつけた」
アンは家を失い、彷徨い続ける男をようやく探し出せた。
彼は懐かしい公園のベンチに腰掛けたまま、空をボーと眺め続けていた。足元に木箱があることを確認して、アンは安堵した。
「冷えるのでしょうね」
男はいつからここに座っているのだろうか。屋根があるところに移動して欲しい。風や寒さを凌げる施設の中に入って欲しい。
そんなことを思うアンの声は彼に届かない。
「 、名前も奪われたのね」
兆候はあった。その時からこうなる事は分かっていたし、彼が望んでやった部分もある。
なんて残酷なのだろう。アンにそれを言う資格はない。
強い風が吹いた。何かの花の匂いが、風に混ざって運ばれて、どこかへ消えた。
読んでくださり、ありがとうございます。
久しぶりに続きが書けました。この後も頑張ります




