15話 モミジ の 喫茶店
懐かしい場所に行った。
でもその場所はもう失くなっていた。
あの香りも、あの雰囲気も何処にも残っていない。
あの人たちもここにはいない。
いや、もしかしたらここに居るのかもしれない。
説明難い恐怖に身体が震えた。
名前を、呼んだらどうかと考えた。
頭の中で「答えがわかっているのに必要ない」と誰かが言った。
ヒクヒクと誰かの泣き声が聞こえた…気がした。
誰かと叫ぶ、不安だらけの声が聞こえた気がした。
お前のせいだ、そんな呪いのような声がはっきりと聞こえた。
その声を無視するために、涙を拭き取り次の場所へと向かう。
ー
紅葉シーズンは観光客が増える。これはいい事だと思うが享受はできない。木なんてそこらへんに生えてて、色が変わるところも禿げていくのも、また蕾を咲かすのも、どの地域でだって見えるものじゃないか。
昔それを に言った時、笑われたことを思い出した。
「じゃあ、この辺の人皆んなモミジに集まっちゃうね」
今年もモミジにはそれなりに人がきたんだ。
でも探してみたけど、いなかった。
やっぱり帰ってこないのな。…まあ期待なんてしてないけども!
あんたの年はどうだ?
*
巴とエビが明の家に向かうところからの話。
現在10時25分。
明ちゃんの家に向かう俺とエビは少しだけ息を切らしていた。
「ま、まさか、あんなに、時間が経っていたとは…」
「おっさんが、変なつっかえ棒してなきゃ、もう少し早かっただろうにな」
「…元はと言えば、お前が着替えたいって言ったからじゃないか。昨日の服着とけばいいだろうに。似合ってんだし」
「何!?突然誉めてくんなよ!!デレタイム?デレタイムなのか今!?」
「そんな時間はない」
この無駄なような会話が息を切らせる原因かもしれないと思うことで運動不足が理由なことを秘した。だってほら、エビだって息切らして……なかった。呼吸の間隔落ち着いていて表情からは疲れを感じさせない、歩幅も長い足を駆使して大きく、余計に小走りにならざるを得ないのが腹が立った。ちっ。
俺は着くまでエビの方を見ないことにした。
ガチャという音を玄関扉が鳴らし、中から顔を覗かせたのは秀人さんだった。秀人さんは明ちゃんのお父さんだ。
「あ、おはようございます」
「ああ、おはよう巴くん。葡萄風くんも」
秀人さんはエビのことを略さずに呼んだ。エビ呼びが定着してしまった俺は少し違和感。エビの風って煎餅みたいな匂いかな。嗅いだら止まらなくなりそう。よし覚えたぞ。
エビが爽やかそうな挨拶をする。
「おはようございます!藍がお世話になりました!」
「ああうん。私は特に何もしていないよ。3人の仲の良さに居場所が見つからなくてね。今も心寂しく部屋にこもっていた所だったんだ。2人が来てくれて嬉しいよ。中に入りたまえ」
秀人さんはドアを開け広げ、中へ入るよう促す。それに対して俺は申し訳なく思いつつ、断らせてもらう。
「ああいえ。2人とすぐ出かけることになっていまして…」
「まあそんな事言わずに。朝食は食べたかい?コーヒーでもどうだ。朝はパン派か、お米派か。そうだ赤飯があるんだ、うまいぞう?」
「朝食は済ませて来ましたので…」
秀人さんはやんわり断るのが申し訳なく思えてくるほど、気さくに誘いかけてくれる。
黙って聞いているだけのエビにどうにかしろと言うべく横を見ると、目がキラキラしてやがった。朝食に反応してんのか、こいつ。
秀人さんはそこが1番話したかったことなのか、コーヒーの話を続けた。
「うちのコーヒーは近くのカフェで売っているやつでね。これがまた絶品なんだ。マスターに入れ方を教わる程に気に入ってしまったんだが、いかんせんあの味の再現は未だ掴めない。知っているかい、喫茶モミジってカフェ」
俺はその名を聞いて驚いた。知っていたから。
「……そこ今から行く所です」
「「え?」」
2人が声を揃えて聞き返してきた。
「こんな時間からカフェに?まあおかしいことはないが、君もあの味に入れ込んでいる口かい?」
「あ、そうではなくて、僕のバイト先なんです」
「「え!?」」
2人が声を揃えて驚いていた。
エビに行き先言ってなかったっけ?そこまで驚くことでもないと思うが。
「巴が、僕……!?」
そっちかい。目上の人に対する言い換えだよ。
「猫被ってる?」
こいつ失礼か。しかも普通に聞こえる声で言いやがって。
しかし秀人さんは気付かなかったのか、嬉しそうに話し始めた。
「いやはや驚いた。あそこのマスターとは懇意にしてもらっていてね。私が若造の時から通っている所なんだ。しかし気づかなかったよ。いつから働いているんだい?」
今も若いって、突っ込んだほうがいいのかな。とも思ったが質問の方を優先することにした。ええと確か…
「高校卒業してすぐだったと思います。叔父の伝で紹介されて」
「ほう。進学しているんだったかな」
「いえ、もっぱらフリーターです」
「おや、就職ではないなら、進学すると思ってしまった。どうしてどちらも選ばなかったんだい?」
「…………」
俺はその質問の答えが浮かばなかった。『選ばなかった』その理由はなんだろう。
勉強が嫌だったから?だったら高校ですら通い続けることを選ぶだろうか。義務教育ではないのに。高校は我慢できて大学を行かない理由が勉強は嫌だからってなるか?
就職は希望がなかったから?どんな仕事にも自分にとって長所と短所がある。それは自分が相手に向けるものにも然り。そんなことを聞いた気がする。やってみるまで分からないってやつだ。バイトはしてるのに働けないなんてことはないはずだし。
試験に落ちた。そのぐらいしか理由が思いつかない。そもそもとして、理由が思いつかないってなんだよ。そんなの忘れていると同義じゃ……
「不躾な質問だったね。理由は人それぞれあることを失念していたよ」
「いえ、あの」
「わん」と近くから鳴き声が聞こえ、俺はそちらに意識を割かれた。声の主は当然シロ。が、その姿に違和感がある。
一昨日より昨日、昨日よりも今日、斑点模様が変化している…ように見える。
「(というか、一部斑点じゃなくなってる)」
後ろ足の片方は真っ黒に変色していて、ふさふさな毛も根元の方から黒く染まってしまっている。
「(ツートンカラーみたくなってね?)」
おかしいのが、斑点及び黒色部分は右半分にしかなっていないこと。尻尾を除きお尻の方から変色させられている。
「(明ちゃんの悪戯か?愛犬だなんだ言ってても、こういうのって飼い主の独壇場だし)」
「おおシロ。上に居たんじゃないのか。2人の声を聞いて降りて来たのかな?」
秀人さんがその姿に驚いたそぶりはないし、少し前にシロの名前のことを明ちゃんに尋ねた時、不服そうに白い毛だからって言ってたな。あれが理由か。
エビの方も「お、デカ犬じゃん。おーす」とシロの頭を撫でながら普通に挨拶をしている。あれ?お前はなんで普通なん?
階段の方からトントンと降りてくる複数の足音が聞こえてきた。
「シロー?どうしたの?」
明ちゃんの声だ。と同時に階段を降りてくる人物が視界に映る。
綺麗な女の人だった。
いや、え?何今の感想。わざわざ行をあけて強調するくらいなのに、一言って。いや一言とかどうでもいいし、強調するような感想じゃないし。誰に向けた言い訳かも分からないものを1人脳内で騒ぎながら俺はその姿に目が離せなかった。
その人は黒のスカートを履いていた。レースが入った大人っぽい雰囲気の。白い髪が光に当てられ輝いている。真っ黒いストールを首に巻いていて暖かそう……既視感。
白い髪、黒いストール………裸の女性!?
「巴さんとエビさん!?来ているんなら言ってくださいよ!!」
また明ちゃんの声。その声で脳内の騒々しさが鳴りを潜めた。声は裸の女性の口から発せられているように聞こえた。綺麗な女の人の声が明ちゃん………え?明ちゃん?
顔を見ると間違いなく明ちゃんだった。が、雰囲気が昨日や一昨日と丸っ切り違う。
明ちゃんはいつもはしていない化粧を軽くだがしているようで、アイラインというやつか目尻にそれっぽいものが見えるし、唇もいつもより明るく見えた。
目の前にいるのは、女の子というより、女の人って感じがするっていうか…どことなくあの絵の女性の色気に似た何かを感じて俺はひどく気まずかった。
気を抜けばまじまじと見つめてしまうことに気づいた俺は無理やり視線を逸らした。
隣ではエビが驚きを残した腑抜け顔をしていた。
「あ、藍?」
「どうかな、シンジくん。似合ってる?」
明ちゃんの隣にはもう1人美女が立っていた。いや降りてくる姿が見えてはいたけど、明ちゃんの方に目が行ってしまっていたのだ。
もう1人は花星さんだった。
花星さんのイメージとしては昨日着ていたロングスカートのようなゆるふわってしたイメージの方が強かったし似合っていた。
今着ているのは白のニットシャツにデニムパンツ、カーキ色のハーフコート。大人っぽい服装だが、藍色の髪をサイドアップにし幼さも残すことでカッコいいと可愛いが両立している。す、凄いなぁ。
白のチョーカーは付けたままだった。本人としては外せないのかアクセントになっている。
スッスッともう1人美人が降りて来た。
あ、最後は美穂さんだった。
「あら、2人とも来ていたのね。どうかしら、2人の姿。綺麗でしょう?叔母さん頑張っちゃったわ」
頬に手を当て、にこやかに告げる美穂さんも美人ではあるのだが、失礼ながら前の2人の方が優っているように見えてしまった。
「驚いた。すごく綺麗だよ」
「……ありがとう。革ジャン、似合ってるよ」
「………サンキュ」
エビと花星さんのやりとりを横から見せられた。エビの感想に異議を通すところは一つもない。そんなストレートに言えるエビを心底尊敬した。
「「………」」
俺は固まっていた。頭の中は真っ白…ではない。むしろ次々と何かが浮かんでは消え浮かんでは消え、口を閉じていなければとんでもないことを口走ってしまいそうに思えた。
理性が身体を留めている。
「巴くんも何か言ってあげると、明も喜ぶと思うわ」
「別に喜んだりしませんよ…!」
と言う明ちゃんはそっぽを向いた。少し頬が赤く見える。
「………」
「…………、……………、……………!!!行きますか、行きますよ!」
何も言い出せない俺に焦れたのか、明ちゃんは隣の2人に向かって言うと、俺の手を取り強く引っ張った。彼女が握る手には強い力が入っているようだけど、全然痛くなかった。
俺は頭真っ白になって、それでも何か言わないといけないって美穂さんに言われて、エビは綺麗だって花星さんに言ってて………俺は
「綺麗…です」
「!?」
バッと振り返った明ちゃんは睨むように俺を見た。何かを言いたいのか口を開いたまま震えている。
が結局恨み節の一つもなく、彼女は口を閉じた。プイッと違う方を向いてしまう。
俺の方はと言うと……すまん、自分でもどんな顔をしているか分からん。とにかくいろんなところが熱くて外の冷たい風に早く当たりたい気分だ。
彼女の右手が行くぞと言っているかのように少しだけ引かれるが、さっきとは違う優しい力加減だった。
「行ってきます…!!」
「ふふふ、今夜もお赤飯かしらね」
「ぐぐぐ、嬉しさと悲しさが……」
年上(推定)の2人の声を背後に、明ちゃんと俺は玄関を出た。いつの間に出ていたのか庭ではシロが舌を出して待っていた。
10時40分、交差点にて。美男美女たちの隣には優男と犬一匹。
隣の方達は気合を入れて着飾っているのに、俺と犬はほとんどそのまんまの格好。
今更後悔したところで繕えたのかどうかと問われると何も言えないけども、仲間はずれというか、まんま犬の散歩途中に居合わせた飼い主みたいだ。リードを持ってるのは明ちゃんだから、通行人A程度かもしれない。
そういえば犬公もツートンカラーに染められていたんだ、仲間はずれは俺だけかよ。虚しい。
まあバイトに行く格好で着飾るのはどうかと思うし、ラフな格好が1番、といかにもおしゃれセンスがないやつの考えで乗り切ろうとする。
「…遅いですよ。何をやっていたんですか」
明ちゃんは信号をまっすぐ見つめながらボソッと不満のような質問をした。多分俺に対して聞いてるんだと思う。
「…ごめん、着替えに少し手間取って」
「対して変わり映えないじゃないですか」
横目で俺の服装を見るや、明ちゃんは眉に皺を寄せる。少しは期待してくれていたのだろうか。
でも俺が続けて言いたかったのはこの服装のことじゃない。簡単に説明をしようかと明ちゃんの方を見ると、黒のストールに口元を隠しポショポショと何かを言っている。
「全然来ないから何かあったのかと…」
「明ちゃん、すっごく、心配してたの」
何を言ったのか聞こえたらしい花星さんがそんな告げ口をした。
「んな、心配なんてしてませんよ!!」
隠れていた口元が見えるほど大口を開け怒りを露わにするも、次には拗ねたように頬を膨らます女の子。
その表情や仕草に、俺の心臓はいちいち反応していた。
耳元に付いているんじゃないかと思うくらいに煩くがなり立てる心臓にすぐさま止まってほしかった。いや止まったら死ぬのは分かるけど、もしかしたら3人にもこの音が聞こえているんじゃないかと思うとそれがマシに思えた。
チカチカと点滅を繰り返し色が変わる。緑っぽい青から赤へ。最近まで意識の外だった信号機は青から黄色、そして赤へ。数秒の間の後、俺たちが進む方向の色も変化した。赤から青へ。
大通りを越えた先のヘブンが視界に入る。俺はみんなに聞くつもりでいて、明ちゃんに尋ねてみた。
「ヘブン寄ってもいい?」
「………あのお姉さんに会いに行くんですか?」
「…違うよ!」
明ちゃんは横目で相手を睨むように見つめる。もちろん睨まれた相手は俺だった。
昨日の動画をエビが送ったせいで、明ちゃんが不自然なことを聞いてくる。夜勤務の人だろうから今の時間帯はいないと思う。って、そうじゃない!
「じゃあ、金髪の可愛い人の方ですか?彼女にしたいとか言ってましたもんね」
彼女が言いたいのは3日前のことだろう。あのヘブンから出た時つい独り言が口から漏れていてそれを聞かれてしまったのだ。が少し違うぞ。
「俺は彼女という存在が居たらいいなぁって言ったんだ。あの子を彼女にしたいとは言ってない!」
「そうですかそうですか、ど・う・で・も・いいですけど、デレデレされていましたよねぇ」
「ち、が………ぅ…、………」
「何で尻すぼみなのでしょう、その後何か言いかけませんでしたか?えぇ?」
「言ってません」
何で女性店員のことを気にしているんだ。彼女にしたいとか言ってない。
…娘が欲しいとか考えたことは言わないでおいた。明ちゃん、変に気が立ってるし、弄られたり蔑まれるのはごめんだ。このことは誰にも話さずにいよう。
俺は寄りたい目的を伝える。
「コーヒーが飲みたいんだ」
「……私たち、今どこに向かっているんでしたっけ?」
明ちゃんは首を傾げて聞いてきた。すぐさま答えてあげる。
「喫茶店」
「コーヒーを販売していないんですか?」
「いや、オリジナルブレンドのやつがありますね、はい」
「???、コンビニに寄る必要あります?」
明ちゃんは空中に疑問符が浮かんで見えるくらいの顔をしていた。うん、俺もその立場ならこいつ何言ってんのって思うかも。
分かりやすい理由を答えてあげよう。
「缶コーヒーが飲みたいんだ」
「はぁ」
明ちゃんは言外に「それで?」と続きを促そうとしているよう。だが、続きなんてものはない。理由はもう完結している。
「そんで?」
俺が黙っていると、明ちゃんではなく、エビがそう聞いてきた。
「いや、それだけだけど?」
「ふーん、じゃあ俺もお菓子買いたいから寄ることにするぜ。いい藍?」
「うん」
花星さんが了承し、人数がこちらに傾いた。まさか今のはエビの助け船だったのだろうか。
俺はエビの顔を見つめた。
奴はお菓子に喜色満面だった。気のせいだなこれ。
明ちゃんも渋々納得してくれるようだった。
「時間とか大丈夫なんですよね」
「すぐ終わらせるから、大丈夫」
俺たちは揃ってヘブンの入り口をくぐった。
「いらっしゃいませー」
「お願いします」
微糖の缶コーヒーを店員さんに渡す。受け取ってくれた店員さんは金髪のあの子だった。
「コーヒーが一点で110円っす。袋はいっすか?」
「大丈夫です」
「うぃす」
久しぶりの「うぃす」だ。なぜか嬉しくなった。
「今日もお兄さんが初めてのお客なんすよ。来てくれて嬉しいっす」
「ごめんね、コーヒーしか買わなくて」
「じゃあ次は多く買ってくれることを期待するっすねー」
「わ、分かった」
金髪ちゃんはレシートを引き取ると差し出してくれる。
それを受け取ろうとした時、彼女はずっと前屈みになり右手を自分の口元に当てて、内緒話をする時みたいな姿勢になった。
レシートを持った方の手で手招きをするので俺は耳を近づける。
「入口、ずっと見てますね」
彼女の声に首は曲げず、目だけで入り口を見てみた。
「シロが居ますので」と言った明ちゃんは店内に入っていない。シロのリードを握って外で待っていた。店内を睨んだ状態で。というか絶対レジ見てるよねあれ。
「今日は一段ときれいっすね。彼氏さんが羨ましいっす」
彼氏?明ちゃんに彼氏がいたのは初耳だ。羨ましいというか、胸の辺りがチクチクする。
「だね。凄く綺麗で羨ましいよ」
「おお、惚気ってこんなに腹が立つものなんすね」
「惚気?」
「自覚なかったんすか、ますますイライラしちゃう花さんすよ」
「花さん?」
「おおっと、つい自分の名前を。まあいいか、自分立金花っす。コンビニ店員やってます。夜間学生もやってますってこれは前教えたんですっけ?」
「君、個人情報話す癖止めた方がいい。客が変な奴かもしれないんだから」
「そうっすね。お兄さんみたいな、彼女の目の前で他の女と内緒話するような客は変な客っすよ」
「俺に彼女なんていないよ」
ずいっと金髪ちゃんはレジカウンターに乗り上げた。
「白髪ちゃんと付き合ってないんすか?」
「うん。そんなこと彼女が聞いたら怒るだろうな」
「じゃあ」と耳に甘い囁き声が響いた。気づけば金髪ちゃんの唇が頬寸前にまだ迫っていた。身動きすれば当たるんじゃないだろうか、そんな事を一瞬のうちに考えて硬直している間に聴き慣れたメロディが流れた。
ヘブンの入り口開閉音だった。
「わん」という鳴き声が何処かでした後に金髪ちゃんが離れたようだ。ゆっくり彼女の方を見ると悪戯成功みたいなニヤけ面で入口の方を指差していた。
入り口に鬼が立っていた。あ、いや違う鬼の形相の明ちゃんが立っていた。
「遅い」
お菓子が入った袋を嬉しそうに開けるエビ。その隣でそれを見つめる花星さん。トストス歩くシロ。そしてその横では険悪な雰囲気の男女2人。会話はもちろん無い。
コンビニを出てから10分ほど歩いている。普段は近いと思っていたのだが、かなり遠く感じてしまう。未だにその姿が見えない。不思議に思っていると明ちゃんが口を開いた。
「急がなくていいんですかね。時間にルーズな人はバイトの前に逢瀬の時間を作るぐらい余裕があるのかもしれませんが」
明ちゃんは花星さんたちの方を向いて話しているはずなのに俺の耳にもはっきりと聞こえるように話している気がする。ていうか逢瀬て…
「もう直ぐだよ。多分」
「……またお得意のお忘れですかね。もしかして迷子にでもなっているのでしょうか」
「エビじゃあるまいしそんなわけないじゃん。…てか、なんでそんなそっぽ向いて話すの?俺に聞いてるんでしょ?」
「いえ別に。そちらを向いて話しますと手が出てしまいそうなので藍さんの顔でも見て落ち着かせているだけですけど何か?」
明ちゃんはこっちを一度も見ずに会話している。家を出る時の恥じらう感じとは違う、話し方に棘があった。
「明ちゃん、手繋ぐ?」
「あ、いえ大丈夫で…」
「ふふ」
花星さんは返事を聞かずに明ちゃんの手を握っていた。
断りかけていた明ちゃんはしかしそのまま手を離そうとしなかった。本当仲良いなこの2人。
エビが戯けた仕草で2人の中を揶揄う。
「おいおい藍、明ちゃんと浮気だけはしないでくれよ。敵いそうにない」
「妹……にしたい」
「それなら悪くないな。お兄ちゃんって呼んでみてくんない?」
「キモいですエビさん」
「違う違う、エビお兄ちゃんだよ。ワンモア?」
「キモいよ、シンジくん」
「おう!?愛する彼女から辛辣なコメント!!」
くそう。なんか楽しげな会話してるのに入れそうにない。
花星さんがさっきから俺のことを監視しているかのような視線を送ってくるのだ。目が「邪魔をするな」みたいなこと言ってる。
以下、心の中でその輪に混ざっているふうにお送りする。
「じゃあ、藍だったら、なんて呼ばれたいんだ?」
「………あーちゃん?」
「お姉ちゃんじゃないだと!?」
藍お姉ちゃんの略かな?
「うん。明ちゃんのことも、可愛く、呼びたいの」
「キラちゃんとか?」
「ううん。あーちゃん」
被ってるよ!!明ちゃんの頭文字を……
「頭文字を取ってあーちゃんか、可愛いかもな」
馬鹿エビ!突っ込めよ。小説の特性上どっちが呼んでるのか分からなくなるって!!あと被せんな!……なんか違う気がする。
「じゃあ、俺の場合はシーちゃんか?シーさんだと距離置かれてるみたいでやだし」
シンジじゃなくてエビから取れよそこは。Aさんでいい。他人感が増してて。
「んで、藍からはシー君って呼ばれんのか?」
「二文字減って、楽かも。シー君」
「楽って…彼氏の呼び名に楽を感じんなよ」
いつの間にか、エビと花星さん2人で会話していた。というか、明ちゃんはその会話に一度も参加していなかった。
俺は花星さんの目を盗んで、明ちゃんの表情を窺った。まだ機嫌を損ねていたら…
怒りでも拗ねている表情でもなかった。悲しそうな顔で何処でもない場所を見つめているような…て危ないよ。
案の定、道に転がっていた石ころに足を取られ、転げそうになっていた。慌てて手を伸ばし受け止める。
「あ…」
「あぶな…」
明ちゃんとようやく目があった。俺をじっと見つめたまま固まっている。俺も言葉が続かず、ただ見つめ返すだけとなった。
エビの声。
「大丈夫か?」
「…ああ、俺が受け止めたからな。大丈夫だろう」
「ありがとう、ございます」
ゆっくりとお礼を言ってくれた。少し嬉しかった。
それで気が乗ってしまったのかもしれない。それともいらない言葉を言ってしまう性分なのだろうか。
「いや、子どもからは目が離せないって言うからね」
明ちゃんはまた不機嫌になった。
空気は戻らぬまま、あれから30分が経った。
もしかして気付かぬうちに通り過ぎていたり、同じ場所を無駄にぐるぐる回っていたんじゃないかと一悶着があったりしたが、シロの突飛な快走の後、いつの間にか辿り着いていた。
ここまで歩いてきた道は左右に小路はあれど、まっすぐ歩いてきたのだ。同じ場所に帰っていたり、回り道をした記憶はない。
何処かでこんな体験をしたな、しかも最近。
エビと出会った町の交差点。似た感覚だ。
「早く中に入りましょう。足が疲れました」
明ちゃんの方を見ると彼女はしゃがんだ姿勢で足をさすっていた。
踵が高い靴に履き慣れていないのかもしれない。この数日で見た靴は靴裏が平たいスニーカーとかだったし。
その姿勢や仕草にまた女性らしさを感じている俺がいた。
明ちゃんを見る俺は段々と変になっている。
俺は視線を切るように逸らし、皆んなとは違う方向に体を向けた。
「皆んな先入ってて。俺は裏口から行くから」
「ウェイター巴かシェフ巴、どっちで来るか楽しみだな」
「もうすぐ、お昼だしね。お腹、空いてきたな」
「俺も〜」
お前お菓子食って……まあいいや。
俺が裏口の方へと回ろうとしていた時、「わん」と鳴く奴がいた。あ、シロのこと忘れてた。
シロも「どうしたらいいの?」って目で訴えているかのよう。店内に入れるのは流石にダメだよな…。
「あんた達、店に入るのか入らないのかどっちなの!!」
いきなり赤髪のメイドさんに怒られた。
そのメイドさんはエビたちが入ろうとしていた入り口から出てきて、店のことを《うち》と呼んでいる。
さてここで俺が彼女を見て第一に思ったことを述べよう。
「だれ?」
読んでいただきありがとうございます。
現実は作中の季節と真逆の季節になってしまい、こんがらがっております。しかも一部は秋っぽくしてるし…。
巴達が過ごす季節は冬です。間違えるなよ作者!
2022/07/22 変更点
そのメイドさんは俺たちが入ろうとしていた入り口から出てきて、店のことを《うち》と呼んでいる。
↓
そのメイドさんはエビたちが入ろうとしていた入り口から出てきて、店のことを《うち》と呼んでいる。
2022/09/27 追加点
巴の藍服装紹介(脳内)で一文追加。
↓
白のチョーカーは付けたままだった。本人としては外せないのかアクセントになっている。
2023/02/26
誤字などの修正




