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一部抜粋
*
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、遅かったわね」
お風呂場の方から手を拭いつつ迎えてくれたのは私のお母さんです。お風呂掃除の後なのでしょうか。
「すいません、遅くなってしまい」
と謝るのは巴さん。その後ろにいるエビさんが驚いた声をあげます。
「ひゃあぁ。すっげえ美人」
「シンジくん?その感想は、同意するけど、寂しいよ」
「藍は可愛い上に俺のお姫さまだろ?比べることはないさ」
「そう?なの?」
「お前ら、ここでまでいちゃつくな!騒がしくてすいません」
巴さんが再び謝りました。
お母さんが笑んで反応を返します。
「あらあら、巴くんのお友達?嬉しいこと言ってくれるわね」
エビさんが巴さんを押し退け、自己紹介を始めました。顔を作っていますね。
「葡萄風信子って言います。巴とは親友でして、明さんとも仲良くさせてもらってます。驚きました、こんな綺麗なお母様だと教えてくれていなくて…」
「誰だお前、エビはどこ行きやがった」
そうですよ。エビさんはそんな紳士じゃなかったでしょうに。残念イケメンさんはどこ行ったんですか。
それにその言い方だと私がわざと言わなかった悪い子みたいな印象になりません?自分の母親の容姿を自慢げに語る娘って世の中にどのくらいいるんですか?間接的に自分の遺伝子を誉めているように思えてしまいます。
私の自己認識は「悪くない」程度に留めているんです。横槍を入れないでください。
藍さんもエビさんに習い、自己紹介をしました。
「私は、花星藍と、申します。巴くんとは、親友では、ないんですけど、明ちゃんとは、仲良くなりたいと、思っています。不束者ですが、よろしくお願いします」
「花星さん…俺本気で一回謝った方がいいかな?事情を教えてもらいたんだけど…」
「邪魔しないで、巴くん」
「………」
「巴、仕方ないさ!」
「……ブンッ(こぶしを振る音)」
「いってぇ!」
巴さんの肩を掴んで微笑んだエビさんが殴られていました。その間私はというと、藍さんに抱き寄られていました。いやぁ、気に入られちゃってますね私。
お母さんが私たちを見て喜ぶ様に言いました。
「賑やかで仲がいいのねぇ」
「騒がしいね、お客さんかい?」
奥の部屋からお父さんが出てきました。眼鏡をかけていますね。仕事をしていたんでしょう。
エビさんと藍さんがお父さんを見て声を上げました。
「うわ、美形…」
「かっこいい…」
2人ともお父さんに見惚れていたんですが、藍さんの反応に気づいたエビさんがツッコミを入れます。
「…藍さん?ひょっとして見惚れてたりしないかい?」
「…………」
「無視!?」
お父さんは美形というより、童顔?若く見えるってだけの普通の親父だと思います。
私は褒めませんよ。お父さんを褒めても、欲しいものを買ってくれたり、頭を撫でてきたり、肩車をしようとしてきたり……やばい人なんですよ。私はもう17歳なのに、肩車なんてしたら腰いわしちゃいますよ。頭の中まで若々しすぎてアホらしい人なのです。
ベタベタしてこなかったらまあ…悪くないお父さんかな?くらいの評価です。それ以上はあげませんよ。
「巴くんのお友達なんですって。明とも仲良くしてくれてるそうよ」
「そうか!友達が増えたのか!良かったなぁ、明ぁ!」
「やめてください」
ほらやっぱり。頭を撫でてきました。髪が崩れるので即座にやめてほしいですね。しかしお父さんは撫でるのを止めようとしてくれません。
「美穂さん!赤飯は用意できるだろうか!?めでたいぞー!!」
「はしゃぎすぎですよ。ふふ」
本当にやめてください。というか、早く引っ込んで下さいよ。書斎か、トイレでいいです。早く行ってください今すぐに。
私はここでお母さんに交渉を図りました。
「お母さん。今晩、藍さんを家に泊めてもいいでしょうか?」
「良いわよ」
秒返事でした。なんとなく読めてはいたので私も間を開けずに礼を言います。
「ありがとうございます。許可が出ました」
「「「ええ……?あっさり…」」」
「あ、ありがとう、ございます」
男どもが驚いていますが、藍さんは私を抱きかかえつつ頭を下げました。声は緊張している様ですが、行動的にはリラックスしているみたいに感じますよね。なかなか離してくれないのは何故ですか?
「まるでお姉ちゃんと妹みたいね」
「………そうですね」
お母さんが笑って言いました。私はよく分からない気持ちからそっけなく返してしまいますが、お母さんは気にせず中に入る様に誘いました。
「皆、どうぞ上がって。明、料理を運ぶのを手伝って」
「分かりました」
「え?僕らも頂いてもいいんですか?」
エビさんが驚いていましたが、お父さんが対応するようですね。私はお母さんに付いて台所に向かいます。抱きついたままの藍さんも一緒に来るようです。
男組と女組みたいに分かれてしまいましたが、まあほっといても良いでしょう。3人の声が背中から聞こえます。
「もちろんだ。ささ、入りたまえ入りたまえ、はっはっはっ!!」
「毎度、お邪魔してしまい…」
「構わん構わん!おかわりは頑張ってくれたまえ!」
「改めまして明の母の美穂です。こちらが父の…」
「秀人です。明とも仲良くしてくれてありがとう。今日はたくさん食べていってくれ。なんなら巴くんたちも泊まっていくと良いよ。ちと狭いかもしれんが、空き部屋はある」
空き部屋なんてありましたっけ?お父さんの寝室のことでしょうか。殆どが書斎で寝ている人なので、空き部屋と勘違いしていません?他だと2階に物置部屋がありますが…開かない部屋ですから関係ないですね。
私は少しお疲れ気味の愛犬にご飯を差し出しました。
「シロ、お疲れ様。今日はよく歩いたね〜。いっぱい食べていいよぉ」
「…わふ!」
「よしよし。あれ?シロ…」
「わふ?」
「太ってる?」
「!?わふわふ!!」(ぶんぶんと首を横に振っている)
「気のせいか、な?シロも成長期だし、大きくなったのかなぁ」
「わふわふ!!」(首を縦に振っている)
「ふふ。…シロが大きくなったら一緒に寝れなくなっちゃうのかな」
「………わ」
「あんまり太っちゃダメだよ、シロ」
「……わん!」
私はシロの頭をわしゃわしゃと撫でてから食事の席に着きました。
エビさんがものすごい速さで、ガツガツと音が聞こえるほどお皿を抱え込んでいます。頬いっぱいに詰め込んだ顔が一瞬見えた後、ごっくんという擬音と共に喉を通るところが見えました。あれ?数時間前に食べたものはもう胃の中に無いのでしょうか?消化速度早すぎません?
因みに今日の夕飯はカレーでした。
「いい食べっぷりだなぁ。ささ巴くんも遠慮なんかせず食べて食べて」
「…は、はい。…けふ」
2杯目を食べ終えた巴さんは咳き込みました。
無理に食べる必要はないのに、対抗心みたく食べ続けようとしていますね。なんの必要が?
「秀人さんも食べてくださいよ、お赤飯」
ドンとお父さんの目の前に山盛りの赤飯が置かれました。
「み、美穂さんや、これは?」
「あら?食べたかったのでしょう?急いで用意したわ。小豆が残っていてよかった」
こうなることは知っていました。台所でその存在を既に見ていたので。まだお釜にも残っているはずですよ。
「め、めでたいのは明だよな…?」
「食べたいと言ったのは秀人さんでしょう?」
「くっ……あれ?言ったかな?」
「はいはい、冷める前に食べてくださいね」
「あれ?………美味い」
美味しいからもう良いのでしょうね。赤飯をもくもくと食べ進めていきます。私もカレーを口に入れます。うん、美味しい。
巴さん達はご飯を食べるとすぐに帰りました。両親は2人も泊まればと誘っていましたが、エビさんの巴さんの家に泊まりたいという希望を聞いて、引き下がりました。2人は何度もお礼と賛辞をお母さんに言いました。
2人が帰った後、家の中が静かになる…ことはありませんでした。いや、うるさかったわけではないですけどね。
藍さんが終始くっついてくるのです。まるでお気に入りのお人形をもらったばかりの子供のように。
「あの藍さん」
「なにかな、明ちゃん」
「離してもらえますか?階段が登りづらいです」
「……わかった」
「ありがとうござい……」
背中から離れた藍さんは私の手を握りました。振り返り、顔を見ると頭に?が浮かんでいました。何か問題が?という顔をしていますね。…まあ乗っかられているよりはマシなので渋々受け入れました。
お母さんに声をかけられました。
「あら、二階に上がるの?」
「はい、私の部屋に案内してきます」
「そう、お風呂入ったら伝えに行くわね」
「お願いします」
「ありがとう、ございます」
「ふふふ、仲良いわね」
恐らく私たちの手を見てそう言ったのでしょうね。私はシロを呼びました。
「シロ、上に行くよー」
「…わん」
居間で寝そべっていたシロは起き上がりゆっくりと歩いてきました。
ノソノソと階段を一歩ずつ歩いて登っていき、わたしたちよりも先に上階に上がりました。
私たちが階段を登るとシロは扉の前に座っていました。
「そっちは物置部屋だよ。私の部屋は隣」
「…わふ」
私の方をチラリと見たシロはノソノソと閉まっている私の部屋のドアの前に行き、カリカリと引っ掻き始めました。早く開けろという催促ですかねこれは。
私はドアを開け、先にシロを通させました。次に藍さん。
「明ちゃんの部屋、落ち着いてるね」
「それ、巴さんにも言われました」
「え?言い換えた方がいいかな…」
「構いませんよ」
藍さんは、巴さんと似通った発言は失礼にあたるという心配をしているみたいです。
コタツに入ると私たちは途端に静かになりました。まあ、会話が多かったというわけではないのですが。
私は思い切って思い出話を聞いてみました。主に巴さんとの因縁の部分を。
藍さんはゆっくりと答えてくれました。
「高校生の頃ね、私、引っ込み思案だったの。今もあんまり、変わってないんだけど。だから、お友達が、なかなか出来なかったの。中学の頃も、似たような感じだったから、私は高校も、おんなじかなぁ、って思ってたの。でも、お友達に、なってくれる人が、3人もいたの」
「エビさんと巴さんと、日音さんですか?」
「少し違うの。シンジくんと、ひーちゃんはそうなんだけど、もう1人は、明ちゃんの、知らない子。女の子だったの。巴くんは、2人にくっついている、金魚の糞、みたいなものだったわ」
「ぷふ、金魚の糞ですか」
「そうなの。なぜか、ほとんど一緒にいて、離れようとせず、くっついてるの。…でも、2人は、嫌そうじゃなかったわ。楽しそうに、笑い合っていて。私も、その輪の中に、入りたかった」
「藍さんもその中に入れていたんじゃないですか?エビさんの語り口ですとそう聞こえていましたが」
「ううん。私が、2人とお友達になったのは、半年が過ぎてから、だったから。仲良くしてくれていたとは、思っているけどね」
「…わふ!」
「…シロがそうだよって言ってますよ!」
「ありがとう。君は、優しいワンちゃんだね」
「くぅん」
藍さんはシロの頭を撫でました。嬉しそうなシロは藍さんの指を舐めて返事をします。
「くすぐったいね」
藍さんは笑っていました。シロの背中を撫でたり、お腹をかいたり、遊んでいます。
ポツリと呟きました。
「ひーちゃんはね、巴くんのことが好きだったの」
「…エビさんから聞きました。巴さんと……つ、付き合って、いたんでしょうか?」
どうしてこんなことを聞いてしまったんでしょうか。
巴さん達のプライベートを本人ではない人に聞いてしまうのは…後から悩んでも仕方がないことですね。
この時の私は、悪い子だったのでしょう。
藍さんは答えのようなものを話してくれました。
「巴くんは、すごく鈍かったの。周りの、私たちでも、気付けていた、ひーちゃんの気持ちには、気付いていなかった。…ううん、慣れていた、のかもね。だから、ひーちゃんが、告白するしかなかった」
「………それは」
「わん!」
シロが吠えるとドアの向こうから足音が聞こえてきました。
「明、|お風呂入ったから教えてあげてくれる?」
「…分かりました」
「洗濯物は構わず洗濯機に入れておいて、着替えは明のじゃ、小さい…わね。おばさんのものになるけどいいかしら?」
「ありがとう、ございます」
お母さんが部屋を出ていき、階段を降りる音が聞こえてきました。私は話の続きが気になるのを堪え、藍さんにお風呂場を教えてあげることにしました。
「では、降りましょうか」
「一緒に、入る?」
「入りませんよ?」
私たちは階段を降りました。
「…わふ」
「ふぅ」
「ぽかぽか」
シロの毛は乾かすのに時間を要します。日々モサモサ感が増していき、毛玉なのかシロなのかわからなくなる時があります。….これは大袈裟でしたね。
ドライヤーの温風を受けるシロは少し気持ちよさそう。
身体が冷える前に私たちも髪を乾かしたいのですが、少しだけ我慢してもらいます。
「シンジくんから、メッセージ来てた」
という言葉と共に、私に画面を見せてくる藍さん。プライベートなのでは?いや、見せてもいいと本人が認めた行為にとやかくいうつもりはありませんが…。
『と、巴が!デレた!!!』というメッセージの後に動画が送られていました。
これは、コンビニの店内でしょうか。巴さんの後ろ(横側)に商品棚が見えます。
巴さんは誰かと話しているようで、その相手がチラリと映りました。
すごくボーイッシュなお姉さんでした。年下の女の子達からモテていそうなくらい美人な女性でした。
話の内容は聞き取りづらい部分もあってよく分かりませんでした。ですが、なにやら巴さんが嬉しそうな内容なのは見て取れました。時折デレデレしてます。タイトル回収ですか、これ。イラつく顔ですね。
「巴くん、何してるんだろう」
「さあ、阿呆なことなのでは?」
「…ゎふん」
ようやく水気が抜けたシロ毛玉は脱衣場から逃げました。書斎か、台所に行ったのでしょうね。遊びか、おやつが目的でしょう。
先に藍さんにドライヤーを使ってもらい、私はその間、歯磨きをして待ちました。
歯磨きを終えたので交代し、少し時間が経ってから藍さんが言いました。
「シンジくんから、またメッセージ来てる」
「『報告、失礼な巴くん』?」
藍さんのスマホに表示された文を読み上げました。数秒後に別の文章が画面に表示されてきました。
『さっきの動画の店員を男性と誤認していたらしい』
さっきの動画とはコンビニの動画のことですね。
「どう見ても女の人じゃないですか」
「そうだね。巴くんって、こういうところがあるの」
藍さんはタタタンッとメッセージを早打ちしました。
「あんな美人を…」
「巴くんはね、絵の美的センスはあるのに、失礼な男なの。明ちゃんも、気をつけてね」
「絵…やっぱり巴さんって絵を描かれるんですか?」
「高校生の頃は、美術部に入ってたよ。一枚だけ、描いてるところを、見せてもらったことがあるの。…すごく上手かったよ」
「あの…女性の絵を知っていますか?」
「誰の絵?」
「私の知らない人で、本人も隠しているのか教えてくれなかったんです。綺麗な人だったんですけど、その絵が…」
「どんな絵なの?」
「その…裸婦なんです」
「ラフ?描き初めの、雑なやつ?」
「裸の女の人…」
「………知らない。まさか見たの?」
「……はい。でも、美術の世界ではそういう絵画も多くありますし、別に巴さんの絵も淫靡さよりも美しく見えるものだったんですけど、誰なのかが気になって」
なぜ私は巴さんの弁明みたいなことをしているのでしょう。
「美術部の人たちのことは、よく知らないの。でも生徒の誰かが、裸を引き受けるってことは、あり得るのかな。巴くんの、親しい人だとは、思うけど、私だったら引き受けないな。恥ずかしいもの」
「お姉さんとかはいないんですよね?」
「巴くん?当時はおじさんと二人暮らしだったんだって。だから、家に、女の人が居た、ということは、ないと思うよ。今はわからないけど」
「そうですか」
私たちはそこを話の区切りとして、部屋に戻ることにしました。
ドアを開けると、お母さんが布団の用意をしてくれていました。
「この部屋で寝てもらってもいいかしら?」
「はい、ありがとうございます」
藍さんがお礼を告げるとお母さんは頬に手を添えて尋ねました。
「ババくさい服でごめんなさいね。ゆったりできるものを選んだつもりではあるんだけど」
「いえ、全然。着やすいです。デザインも、可愛いですよ」
「そう?ありがとう。実はそれ気に入ってるやつの一つなの。そう言ってくれて嬉しいわ」
お母さんは準備の手を止めて、話に没頭しています。気に入っているのは本当のようで、嬉しかったんでしょうね。ここが可愛いだの、ほかにも種類があるだの、持ってきて見せようか等と話しています。そのどれにも、優しくそしてゆっくり答える藍さん。このままじゃお母さんが部屋を出て行かないと思った私はお母さんの背中を押しました。
「布団ありがとうございます。お風呂が冷めないうちに入ってください。後は私がしますから」
「あらあら、私もここでお話に混ぜてくれても良いじゃないの。飲み物だって持ってきたのよ?」
こたつの上に本当に用意されています。ご丁寧にコップが三つ。
「娘がもう1人できたみたいでお母さん嬉しいのよ」
「娘の枠は私が頑張っていますので我慢してください。お父さんが書斎で1人頑張っているでしょう?話を聞いてあげたらどうですか?」
「秀人さんの話は難しいものばかりでついていけないのよ」
「なんで結婚したんですか」
「あら、気になるの?」
「いいえ、全く。それでは」
ドアの向こうから「ああ」という声が聞こえてきましたが無視しました。しばらくすると観念したのか階段を降りていく足音が聞こえてきました。
「仲良いんだね」
「……そうですかね」
その時、突然音楽が鳴り始めました。聞いたことがあるようなないような曲でした。発信源は藍さんのスマホ。電話でした。
「シンジくんからだ」
「じゃあ、私ちょっと出てますね。シロを呼んできます」
「分かった。ごめんね」
「いえ」
私が廊下に出ると、話し声が扉越しに聞こえてきましたが、すぐに階段のほうに向かいました。
部屋に戻ると、まだ通話は続いているらしく、私は静かに扉を開けました。入る前にシロに静かにする合図。シロは利口なので返事をせずに尻尾を振りました。
「あ、帰ってきた」と藍さんはまるで待っていたかのようなセリフを言うと、手招きをしてきました。
「代わるね。はい、明ちゃんも、電話する?」
「な、何故でしょうか?」
「シンジくんが、巴くんに、変わるからって」
「何故巴さんと?」
「聞きたいことが、あるのかなって、思って」
「分かりました」
渋々スマホを受け取り、耳に当てました。
相手から声は聞こえてこなかったので、私から尋ねてみました。
「もしもし」
『どうかしたの明ちゃん』
スマホから巴さんに似た声が聞こえました。とても近くに居るように感じてしまい、何故か私は慌ててしまいました。
「巴さん、えっと…」
『うん?』
言葉がすぐに出てきません。あれ、なんでこんなに緊張してるの私?
どうにか捻り出せた言葉は「…………おやすみなさい」でした。
『………お、おやすみ』
何を聞けばいいのか分からなくて続きの言葉が出てきません。どうしたの私!
結局、聞きたかったことのようには思えない、明日の確認事項で話は終わりました。
「…明日はバイト先に行くんですよね、ちゃんと起きてくださいね」
『う、うん。分かった…』
藍さんにスマホを返しましょう。
「エビさんに代わってあげてください」
私は藍さんに終了したことを目で伝えました。藍さんは手を振っています。それはどうゆう意味ですか?
と、気が逸れていた間際に聞こえてきました。
『じゃ、じゃあね、明ちゃん』
「あ、はい!それでは…」
慌てて藍さんに返します。
「ふふふ」
今の笑い声は誰ですか。…私でした。ただの挨拶に喜んでなんていませんよ。これはただ自分の慌てようが可笑しくて笑っただけです。…それはそれで微妙な言い訳ですね。
藍さんが通話を始めたようですが、彼女は聞専のようで相槌を打つ声が殆どでした。
「へー、そう。ふーん」
冷めているような声の割に顔は綻んでいるようでした。口角が上がっているように見えます。
「彼氏か…」
私はベッドを占領している愛犬に抱きつきました。
「ボフゥ!…わう?」
どうしたのって聞いているみたいな顔をして私を見つめるシロ。
「シロはあったかいねー」
「わう」
私は藍さんの通話が終わるまで、シロと遊ぶことにしました。
通話が終わってからそれほど経たずして、私たちは寝ることにしました。藍さんには悪いですが、今日のお散歩コースがそれなりの距離だったので疲れが残っていたのでしょう。私とシロはまだ少し早い時間には眠ってしまいました。
夢の中で誰かが私の名前を呼びました。
「…明」
「誰?」
「明」
「あなたは誰なの?」
「明」
その声がきっかけか、私は目を開けました。
目の前の視界は殆どが暗く、私の荒い息と、藍さんの寝息が聞こえてきました。
その時、藍さんのスマホが突然に発光し、時計と日付が表示された画面が見えてしまいました。
12月28日 0:45
胸騒ぎがしました。
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ページの締めを見た人物は笑っていた。
期日は近い。しかし、変化は訪れている。
「あなたの色を思い出すのよ、明」
その人物は小説の主人公の名前を呼んだ。
他のどんなキャラクターたちよりも群を抜いて愛しい存在。
「報われてほしい。貴方だけは」
伝わるはずのない声は虚空に消え、誰にも聴かれることはなかった。
読んでいただきありがとうございます。
2022/10/13 タイトル変更
894-HK-4(.)
↓
1122-HK-4(.)




