いってきますの朝に
◇
久しぶりに夢を見た。
それはずっと、ずっと昔のこと。
あたしはどこか遠い異国で暮らしていて、今とは別の名前で呼ばれていた。
無機質な四角い部屋でひとり、夕御飯を食べている。袋菓子とジュースだけの食事。手元で光る小さな画面をぼんやりと眺め、歌い手の澄んだ声に耳を傾ける。その時だけは辛さも苦しさも忘れられたし、身体の痛みにも気づかないふりができた。
あの頃のあたしは……。四角い画面の向こう側に、どこかに救いがあるかもしれない。そんな風にずっと探していた気がする。
気がつくとノイズ混じりの夢は色褪せ、曖昧になっていた。
そっか……。
きっとこれが最後の一欠片なんだ。
こんな夢は見なくなる。
不思議とそんな予感がした。
やがて光に導かれ意識が浮かび上がった。夢はいよいよ薄れてゆく。
さよなら、あたし。
記憶の欠片たち。
「……あ……れ?」
気がつくと朝だった。
眩しい光が窓から差し込んでいる。
ごしごしと目を擦る。
視界が歪んでいて、すこし泣いていたのかもしれない。
でも、どんな夢を見ていたのか……。もう思い出せなかった。
「って、今何時!?」
あたしは慌てて飛び起きた。
◇
「いただきます!」
「いただきますなのダ!」
「ワシの秘密のレシピ、伝説の自家製パンに涙するのじゃ!」
「むぅ!? 確かにこいつは美味いぜ」
「そうじゃろうそうじゃろう」
「ちょっとおおお!? なんで起こしてくれなかったのよ!」
あたしがリビングダイニングに飛び込むと、みんなは朝御飯を食べはじめていた。
「起床点呼、起こしましたよリス」
「そうそう、イムも揺さぶったのダ」
ペリドとイムも着替え終わっていた。
美味しそうな焼きたての丸いパンにかじりついている。
「えーっ!? マジ?」
全然きがつかなったよ。
「リスは夕べ、星の観察で夜更かしし過ぎた?」
フォルもすました顔でサラダを口にする。
「してないもん!」
「ワシの百年前のレシピパン、食べるがよいぞ」
アルがテーブルの向こうから顔を出し、自慢げにテーブルの上を指し示した。
「わ、美味しそう……! 良い香り」
「マジで美味いぜ。売れるんじゃねぇか?」
トラも珍しく誉めている。
いつも店で買うのは売れ残りの固く干からびたパンだからか。
「あたしも食べる!」
「リス、まずは顔を洗って、着替えてらっしゃいな」
アララールがスープを取り分けていた。すっかりみんなのお母さん。エプロン姿がキュート。
「って、やばいわ!」
鏡に写る自分に愕然とする。
ぐしゃぐしゃの寝ぐせ頭に、寝巻き姿。
みんなはもう顔も洗って髪も整えて、服も着替えている。
くそ、完全に寝過ごした。
もっと強引に起こしてくれなきゃ!
内心ブツブツ文句を言いながら、猛烈ダッシュで身支度を整える。
「ふぅおおお!」
朝は戦争だ。とくに女の子が多いと洗面台は争奪戦。トラには人数分洗面台を増設するよう、お願いしなきゃだ。
いつもなら顔を洗い、髪を整えて互いに「よし」「かわいい」とチェックする。
でも今朝は時間もない。髪はめんどくさいから下ろしたままでいこう。いや、ひとつに結った方がいいかしら……。って、そんな場合じゃない。
制服に着替えるのは楽ちんだ。寝巻きを脱ぎ散らかして、靴もサンダルから履き替える。
「っしゃぁ、準備完了!」
うん、よし。これでどこからみても、可愛い女子学生ね。
ひと息ついたところで、リビングダイニングへと戻る。
パンは乗り合い馬車での移動中でも食べられる。スープ皿を持ってダイレクトに飲み干す。
「行儀が悪いわ」
「しつけがなっとらんのぅ」
「っぷは、ごちそうさま!」
チーズも口に放り込んで、席を立った。
イムは入り口横の鏡の前で、くるくる回っている。
先日から通いはじめた学校は楽しい。
毎日でもいいのに、週に三日。連続だったり、二日に一回だったりと、王国の祝祭日の都合とかでリズムがつかめない。寝坊したのもそのせいだ。
気がつくと、フォルもペリドも私服に着替え、出掛ける支度をしていた。
「フォルとペリドもどこかへいくの?」
「えぇ、今日から王国軍の教導隊へ通います。女性騎士隊を募集していたので、育成過程に応募してみました」
「いつ決めたのそんな話!」
ペリドが女性騎士に挑戦するなんて。
将来のことを考えていることにあたしはとても驚いた。じゃぁフォルは?
「私は王立魔法協会から声をかけていただいたのです。魔導図書館の司書見習いをしないかと」
「何それ」
「じつはラグロース・グロスカさまが置き手紙をして下さっていたのです。私のことを『よしなに』と」
敬愛していますという風に胸の前で手を重ねる。
魔法師に特別に可愛がられていたフォル。才能のある子が、お気に入りだったのだろう。
それに引き換えあたしは……。
「というわけで、同じ乗り合い馬車で王都へ」
「道中、ご一緒に」
ペリドとフォルも手荷物を片手に、出掛ける準備は万全らしい。
「オラもいつでもいいのダ!」
でも嬉しい。
みんながいる。
「うん! 四人一緒だね!」
出掛けようとすると、のんびり朝御飯を食べていたトラが声をかけてきた。
「ところでよ、リス。明後日、久々にクエストを請け負ったんだけど、一緒にいくか?」
「えっ!? いくいく、行きたい!」
「そういうと思ったぜ」
トラはまたギルドに再雇用されたらしい。
年配の域ではあるけれど、経験を活かして、後輩の育成をしてほしい。そうギルマスさんに言われたんだって。
「オラも! あとペーター君も連れていくのだ」
「エサにされちまうだろ!」
「トラのあるじは甘いのダ」
「そ、そうか?」
「自分も参戦希望!」
「仕方ありませんね、私も」
イムに続き、ペリドもフォルも名乗りをあげた。
「おうおう、みな仲良しじゃのー」
アルは拗ねたように果物をかじっている。
「もう、アルも行こうよ!」
すごい魔女なんでしょ。
魔法でぱーっと魔物をやっつけてくれたら助かるんだけどな。
「見てのとおり、ワシはいたいけな幼女じゃからのぅ」
「たまには息抜きも必要よ?」
「まぁ、ラルも行くのならワシも考えるがのー」
アルはアララールのことをラルと呼ぶ。
アララールの方が妹なのに、年齢が逆転してしまって不思議な感じ。
「いいわよ、お弁当作っていきましょうか」
「よいのぅ!」
本物の魔女が二人も参戦するとか。
いったい何と戦うクエストなんだろう?
「よーし! これで決まりだぜ。こんどの休日は、家族でクエストと洒落こむか!」
トラが楽しそうに笑う。
「あはは、洒落こむことなの?」
あたしは思わず笑ってしまう。
そんな家族って……。悪くはない、というか素敵じゃん。
『メェエエエ!(なんか来たぞ)』
表で黒山羊のペーター君が鳴いた。
「乗り合い馬車が来たのダ!」
「やばっ! 馬車が来ちゃった!」
あたしはテーブルの上のパンをひっつかんで飛び出した。
黒山羊のペーターくんが乗り合い馬車の行く手を遮った。なかなか賢い子。
すかさずダッシュしたイムが、御者さんに待ってくれるように交渉してくれている。ナイス連携。
「私、走れません……」
「至急搭乗……っ!」
「ありがとう」
「救護訓練だから!」
ペリドがフォルを軽々と、お姫様抱っこして走り出した。甘やかしすぎだよ!
「いってらっしゃい、みんな」
「しっかり学んできやがれ!」
朝の空気は冷たくて、髪を揺らす風が心地いい。
空は透き通るような群青色。眩しさに思わず目を細める。
「いってきます!」
あたしはパンを咥えると、足取りも軽やかに駆け出した。
<了>
【作者からの御礼】
物語は、ここで幕を閉じます。
それぞれバラバラだった魂が運命に導かれて集まり「家族」となり、やがて共に歩み始めました。
全てを失ったアララールは、永い年月をかけて幸せを取り戻しました。
トラも大切なものを沢山、手に入れました。両手で抱えきれないほどの楽しいこと、嬉しいこと。それは大切な「家族」たちと共に。トラはそんな大切なものを守るため、これから闘いつづけます。
リスや姉妹たちは、ここから新しい「自分達の物語」を紡いでゆきます。
青春に恋、そして冒険……!
応援、声援、ありがとうございました。
次の新作でお会いしましょう★
(評価など入れていただけると嬉しいですw)
では、また!




