真(まこと)の魔女アララール
「だっ、黙れ魔女めが……! ここが我の戦闘結界の中だということを忘れるなァア!」
アララールによって強制的に閉じられた口を無理やりこじ開け、口の端から血を滴らせながら叫ぶ。
「魔法の理に抗うか」
アララールは微かに眉を持ち上げた。
外界から隔絶された戦闘結界は、リュゼーリオンが一週間かけて構築した儀式級の結界だ。この中では術者の力は倍増し、術者以外の力は半減する。敵を捕獲すれば圧倒的に術者が有利。
これが必勝の結界たる所以。にも拘らず、魔女アララールは表情ひとつ崩さない。
気に食わぬ!
超エリートの魔法師家系ランドヴァーク家の出身たるリューゼリオンにとって、この上ない屈辱。
先輩風を吹かせていた上司のラグロース・グロスカにも、血筋と実力では劣らぬはずなのに!
「なめるなァアア! 真の魔女だろうともッ! 負けぬッ!」
魔法師リューゼリオンが額に青筋を浮かべ、震える手で印を結んだ。
竜巻じみた波動とともに、周囲に魔法円を展開。
赤く複雑な文様を描く魔法円が広がってゆく。菌糸が伸びるように半球ドーム状の結界の内側を這い上がり、天井まですべてを覆い尽くす。
「昔、見たことがある」
遠い目をする。かつての魔導大戦のときか。アララールは記憶の糸をたどる。
「ひヒヒ、そうだとも! これは百年前の魔導大戦で使われた戦闘術式ィイイ! 最強にして必殺の罠ッ! 越えてやる……! ラグロース・グロスカも、真の魔女も……! このリューゼリオン様がぁああああッ!」
眼球の血管を破裂させながら魔法力を注ぐ。
単純な魔法攻撃は「真の魔女」であるアララールには通じない。ならば、魔法により励起した事象――物理攻撃ならばどうだ!?
「くらえェエ! 全周囲・滅殺鉄荊棘ッ!」
無数の鋭い鉄の棘が襲いかかった。先程の魔法の槍とは違う。本物の鉄を錬成した物理攻撃に死角は無い。
全方位からの一斉攻撃、いかな魔女とて避けることなど不可能ッ!
リューゼリオンは勝利を確信した。
「勝っ……!」
魔女目掛け、鉄の荊棘が到達した、刹那。
魔法のベクトルが反転。
リューゼリオンの全身を荊棘が貫いた。
「――――た?」
無数の鉄の鋭いトゲが顔を、腕を、胸を、内臓を。リューゼリオンの身体のあらゆる箇所を貫通している。
何が起きたか理解できなかった。
確かに魔法は魔女に届いたハズ……だった。
「えっ……なっ? んなぁああっッ!? 何が、ぐぁわぁあっ!? ばかなァッ!? 痛ッギャァッ!?」
リューゼリオンの惨たらしい絶叫が響いた。
全身を貫く鉄の棘が肉に、血管に、内臓を貫いていた。激痛と、噴水のような流血が止まらない。
信じられない。
理解できない。
魔法が一瞬で反転、逆流するなどありえない……!
放った術者に向かって、魔法が撥ね返された。つまり、完全なるカウンター魔法ッ!?
「……数百年前、魔法師たちに魔法を教えたのは、私たちの過ちだった」
アララールは悔やむように呟いた。
魔法師の時代は数百年前にはじまったとされる。
魔法がまだ神秘だった古の時代。
魔法は悪魔か神からの祝福を受けし者しか使えなかった。魔法使いや魔女と呼ばれ、詠唱なしで、思うがまま、神秘の力を行使することができた。
しかし数百年前。魔法四真祖と呼ばれた者たちが世界の有り様を変えた。
繰り返される戦乱から人々を救いたい、疫病や飢えから救いたい。その想いが『魔法師』を生みだした。
魔法の力を介在する合成粒子『魔素』を結晶化。体内に埋め込むことで魔法を行使できるようにした。行使には呪文と精神集中が必要だが、魔法を使うことができた。それが魔法師の始まりだった。
一度体内に取り込んだ魔素は身体に蓄積し、子孫にも因子は受け継がれた。
しかし、魔法師たちは己の力に酔いしれた。
新たなる特権階級を生み、支配と格差を拡大させ、人々に憎しみと新たなる戦禍を招いた。
百年の時間を経て、力を蓄えた魔法師たちは、苦言を呈する魔女や魔法使いたちを邪魔だと考えるようになった。
そして凌駕すべく、駆逐すべく戦いを挑んだ。
それが魔導大戦。
あまりにも不毛な戦争だった。
「……ガハッ! ほ……ほんとうに、貴女様は……魔法四真祖の一柱だと……いうのか……? そんな……バカな……」
「魔素の真理を知らぬお前たちでは勝てない」
静かに冷徹な真実を告げる。
魔導大戦当時は、魔素の真理に到達した「同格」の魔法師もいたが……。
「――あ、あぁ……そうか、なんてことだ」
リューゼリオンが血の涙を流す。
手首を吹き飛ばされた時に気づくべきだった。
目の前にいる魔女が至高の存在であることを。
魔法を暴走させることも、ベクトルを変えることも自由自在なのだ。
立っている次元が違う。
魔法師のように「魔法を励起」しているのではない。
リューゼリオンはようやく理解した。
彼女は無限の泉から溢れ出す膨大な魔力を抑え付けているだけ。星さえも、宇宙の理にさえも干渉できる膨大な魔力、パワーゲート。人の世界など簡単に滅ぼせる。
だから力を千分の一、万分の一に抑えようとしているに過ぎない。
田舎にひきこもり、回復を待っている?
とんでもない。
人を避け、世を忍び、静かに暮らす。
彼女はずっと昔からそうしてきたのだろう。
「……あ……ぁ……」
気づいたところで遅かった。
眼球にも脳にも鉄の荊棘が貫通している。血溜まりが床の魔法円を塗りつぶしてゆく。
「苦痛は、我が姉の血を穢した対価と思え」
アララールはせめてもの慈悲と、リューゼリオンの魔素を暴走させた。
「これが、魔法の真髄……か! ハハ……ハァ……最高……ぅおごォ……!」
全身がボコボコと沸騰し、泡立ち爆ぜた。
飛び散った血や肉片が空中で発火し、一瞬で灰と化して床へ降り積もった。
「……」
残されたマントに哀れみの視線を向ける。
真の力は誰にも見せたくない。
家族として受け入れてくれる人たちには。
トラリオンを慕う仲間の魔法師たちにも、リスたちにも体内に多かれ少なかれ『魔素』を宿す。
魔法師の残忍な死を目の当たりにすれば、自分を恐れ、見る目も変わってしまうだろう。
戦闘結界が解けてゆく。
魔法師の死とともに空間が歪み色あせ、もとの神殿内部へと回帰する。
「ア……アララールッ!」
トラリオンの必死の叫びが届いた。
「トラくん……!」
ハッピィ・リーンとフォルに止められても、結界を殴りつけていたのだろう。トラリオンの拳は血だらけだった。
壁が消え拳が空をきった。そのままの勢いで姿勢を崩しながらも、アララールのもとへと駆け寄ってくる。
「無事かアララール! 魔法師の野郎は!?」
「彼は……灰になったわ」
崩れた灰の上に魔法師のマントだけが残されていた。
トラリオンは魔法師の死を悟り、安堵の表情を浮かべた。
「よかった。まぁ……おまえが負けるわけねぇか」
トラリオンはアララールを抱きしめた。
「私が……怖くないの?」
「はぁ? 何いってる。あたりめぇだろ」
ぽす、と大きな手で頭を撫でる。
トラリオンは体内に一切の魔素を持たない。
何も恐れず自分をただの一人の女性として、愛してくれる。
「……ありがとう」
アララールはぎゅっと、大きな背中に手を回した。
「……こほん。あのイムが」
フォルの視線に気がついた。
「あぁそうだ! イムが怪我をしちまったんだ。診て欲しい」
「大丈夫、私にまかせて」
アララールはハッピィ・リーンがいる柱の方へ近づき、彼女の肩に手を掛けた。
「ア、アララール……さん」
「応急措置をしてくれたのね、ありがとう」
「でも……! 私は治癒魔法が下手くそで、止血もうまくできなくて、内臓に骨が……」
今にも泣き出しそうな必死の形相で叫ぶ。
「ぁ……ぅ」
イムは重症だった。横っ腹に不意打ちを食らい、肋骨が折れたのだ。内臓も傷ついてる。
アララールは静かに頷き。
「そのまま集中して。大丈夫、治せるわ」
肩にのせた手のひらから光が発せられた。ハッピィ・リーンがハッと息をのむ。
「こ、これ……! 魔法の力が……漲ってくる! 何倍も……すごい魔力が溢れだして」
「一時的に、あなたの能力を解放したわ。かわいい魔女さん」
アララールが魔素を活性化、魔法師の力を向上させたのだ。
ハッピィ・リーンは後天的な魔法師ではない。生まれながらにして体内に魔素をもつ、魔女に近しい存在だった。
「魔法能力向上なんて、あ……あなた様は本当に」
「イムを治してくれる?」
「は、はいっ!」
陶然としていたハッピィ・リーンはふたたびイムの腹に手のひらを向けた。
「おぉ……!?」
トラリオンでさえわかった。パワーが違う。まるで鍛冶屋の炉のような光と熱が発せられた。
「これなら……!」
青ざめていたイムに血色が戻る。
「――っぷ!? あれ……? 治ったのダ!」
嘘のようにイムが跳ね起きた。狼のような尻尾も耳もピンとして、屈伸運動をする。
「マジかよ」
「す、すご……!?」
信じられないという表情で、ハッピィ・リーンは自分の掌とアララールに視線を向けた。
「お見事」
優しく微笑むアララール。
「さぁあとは残った化け物を退治して、おまえらの姉妹を助け出すだけだぜ!」
林立する石柱の向こうから、激しい戦いの気配が伝わってくる。
衝撃とリスたちの声、怪物の叫び。
クズナルドと戦い続けている。
「おー! リベンジなのダ!」
◇




