ゴブリンの地獄
森の中を慎重に進んでゆく。
馬車がすれ違える程度の道幅はあるけれど、トラは慎重に手綱を操り、速度を落としていた。
左右に広がる森は鬱蒼と植物が生い茂り、視界が悪く薄暗い。湿った森のにおいがする。目的の水場が近いのだろう。
「さっきまでの道とは雰囲気が違うぜ」
「小鳥の歌が聞こえなくなったのダ」
トラもイムも異変を感じている。
敏感なイムは、御者席に座るトラの脇腹から腕をまわし、しがみついている。
「いかにも何か出そうって感じね」
「周囲警戒、第二種警戒態勢です」
「オーケー、後ろはペリドに頼んだわよ。前はあたしとイムが警戒するわ」
「リス隊長、命令受諾!」
ペリドが馬車の客室の背後から後方、側面を監視してくれている。
幌付きの客室は前後ががら空きなので、後ろから魔物に飛び込まれたら面倒だし。
一番護らなきゃいけないのは、アララールだ。
家を出てからというものの、口数が少なめだ。眠いのか、あるいは瞑想でもしているのか、静かに目を閉じている時間が多くなった。
無理を押して旅に出て、体調が悪いのかな? と心配になる。
でもトラはあまり気にしていないみたい。奥さんなんだから、もう少し気遣いなさいよと、思わず睨む。
「ん? どうしたリス」
「別に。アララールのこと心配じゃないの?」
「心配……? いや、別に」
冷たいなぁ、とちょっと呆れる。
でもアララールは強い魔女だから、何も心配しなくていいだろ、と信頼しているって事なのかな?
夫婦の絆、口には出さない信頼関係みたいなものを感じることがある。それは時に羨ましくもあるけれど、あたしにはよくわからない。
「……アララールさま、魔力封鎖はそのままなのですか?」
フォルの思わぬ質問に、あたしは耳を傾けた。
姉妹たちのなかで唯一、魔法に詳しいフォル。彼女自身は魔法を使えない。けれど固有戦闘スキルである『竜闘術』の応用で、魔力を敏感に感じとることが出来るらしい。
「封魔結界よ。家を出てから展開しているけれど、確かに疲れるわ……。でも解くわけにはいかないの。魔力を発散させると、面倒なことになるから」
薄暗い森の弱い光のせいか、アララールの瞳が黄金色に輝いている気がした。
「……面倒とは?」
フォルが小首をかしげた。
するとアララールは瞳を細くして、
「私の魔力に呼応して、強い魔物が引き寄せられてしまう。弱い魔物は逃げていくでしょうけれど」
「……威厳を示されるのは諸刃の剣、というわけですね」
「フォルはとても聡明な子ね、好きよ」
「……はい」
しおらしく傍らに侍るフォルの頬を、アララールが静かに撫でた。まるで闇の眷属同士の会話みたいと思ってしまった。
「……」
見てはいけないものを見てしまった気がして、あたしは前を向いた。
「ま……気にするな。しばらくは置物だと思っとけ。アララールなりに気を使ってんだよ」
トラが小声で耳打ちしてきた。
「そうなの?」
「昔は魔物の女王みてぇな魔女だったらしいからな。出歩くだけで世界がどうにかなっちまう。だから気配と魔力を消して、大人しくしているのさ」
「ふぅん……」
なぁんだ、トラは知ってたのね。ちょっと安心した。
「トラのあるじ!」
そのときだった。イムが犬耳を攲てて叫んだ。尻尾を逆立てながら腰を浮かすと、目の前の道に向けて樹木が倒れてきた。
メリメリと押し倒されるように梢と葉が道を塞ぐ。
「敵襲!」
「くそ、待ち伏せか! みんな掴まれ!」
トラが慌てて手綱を引いた。同時に御者席の脇にある、手引き式のブレーキを引いた。
「わわっ!」
「緊急停止、安全確保!」
客車が前のめりに傾き、馬が嘶く。
「無事か、みんな!? アララールも」
「平気よ」
ペリドがアララールとフォルを支えていた。あたしやイムはバランスをとって平気だった。
『ブギュルルル!』
道の脇の樹木をへし折ったのは、大柄な魔物。ブタ顔のオークだった。
『ギヒヒッ!』
『ゲキョキョ!』
茂みの左右から、薄汚い緑の小人が次々と飛び出してきた。手には棍棒やサビだらけの剣を持った、ゴブリンども。
「オーク一匹、グリーンゴブリン、ひいふう……計8匹!」
「まだいるかもしれんな」
トラは冷静だ。
お陰であたしもイムも、みんなも落ち着いていられた。
やれる。
あたしたちで怪物たちを倒すんだ。
「いくよイム!」
「わ、わかったのだ!」
あたしとイムが御者席から左右に飛び降りた。
『ギシャァア!』
『シャァ!』
それぞれ左右から二、三びきのゴブリンが武器を振り上げて威嚇している。こちらを警戒しているのか、包囲網を狭めて一気に襲ってくるつもりなんだ。
「ふんっ!」
後ろからペリドが飛び出た。
ズゥム……! と地響きがしてバトルメイドドレスの裾が舞う。両手両足に巻き付けてある鎖が、重々しい音をたてた。
「対魔物戦闘は訓練以来ですが……!」
左右の拳には鋼鉄のナックルつきの革手袋。あたしと同じ打撃戦闘を得意とするペリド。
頼れるペリドに向けてあたしは親指を立てて合図を送った。
「遠慮とかいらないから!」
「了解、敵は排除する!」
『ギギッ!?』
『ギ……!?』
ペリドの迫力に後ろから来ていた五匹ほどのゴブリンが動きを止めた。
「……これがゴブリン、初めて見ます。おぞましい怪物ですね」
事前の打ち合わせ通り、魔物との戦闘経験がないフォルは車内にとどまりアララールを護る。
トラは御者席だから降りるわけにはいかない。イザとなれば援護してくれる。
「リス、やれそうか?」
「もちろん! トラはそこで見てて」
「まかせたぜ、リーダー」
「みんな、いくよ! 竜闘術、使用自由!」
あたしは大声で叫んだ。
自分を鼓舞し、そして仲間たちを不安にさせないために。
『ブッギュルセルァア!(ぶっ殺せ!)』
リーダーらしいオークが背後から叫んだ。
呼応して、グリーン・ゴブリンが襲いかかってきた。
『ギョギョ!』
『ギギィイ!』
黄ばんだ白目、耳まで裂けた口。腕が異様に長く、腹が膨らみ脚は短い。餓鬼のような体つきにボロ布だけを身に着けている。
「はあっ!」
まずは一匹目。
棍棒を振り上げて襲ってきたゴブリンの首めがけて、右ミドルキック。ビギッ、と気持ちの良い音をたて、ゴブリンの首がへし折れた。
『ペッ?』
蹴りの威力で吹き飛んで、隣にいたゴブリンに激突。よろめいたところに左拳を叩き込んだ。
『ポ!?』
ボゴッと頭蓋骨が陥没して、声を発する間もなく崩れ落ちた。
「あ……あれ?」
弱い。
竜闘術を使うまでもない感じじゃん。
「嫌なニオイがするのだ……ナッ!」
『ギャブァ!?』
イムは爪の竜闘術でゴブリンを斬り裂いた。
「ふんぬ!」
ばしゃっ! と水風船が割れるような音がした。
見るとペリドが、ゴブリンの頭部を拳で殴り砕いていた。
「頭部粉砕、脆すぎる」
『ヒギィ!?』
首から上を無くしたゴブリンが倒れ、それを見た仲間のゴブリンが悲鳴をあげた。ペリドはまるでボールのようにそいつを蹴飛ばした。
ゴッ! と樹木の幹に激突し、赤い水風船みたいに弾けた。
『ピヘェエエエ!?』
『ギョヘェェ……!?』
ゴブリンにとっては恐怖の光景だったのか、次々と悲鳴を上げて逃げ出してゆく。
『ブ……ブキギィイイギッ?』
完全に形勢不利と悟ったのか、豚顔のオークが逃げ出そうとした。
「あっ! 逃げるなコラァ!」
「待つのダ!」
と、青白く光るワイヤーがシュッと空間を飛んだかと思うと、オークの首に巻き付いた。
『プ、プギ……?』
「……憂いを絶つ」
フォルの指先から伸びていたのは竜闘術――竜の髭だった。
音もなくオークの首が落ちた。
ブシュァアアア! と、血が噴水のように木立を染めた。巨体が膝から崩れ落ちてゆく。
「ひぇえ、なのダ」
「殺人技ね!」
「リス、野蛮な貴女には言われたくありません」
「なによー!」
気がつくと戦いは終わっていた。
「ここはゴブリンの地獄か……」
トラは倒れたゴブリンどもを見回すと、同情したみたいな呆れた口調で呟いた。




