新しい生活と、リスの修行
◇
一夜明け、新しい生活が始まった。
天気は良いが気分は晴れない。
新生活とはいえ、将来の不安が増し増しだからだ。
まずは仕事探しをしなければなるまい。
王都最大の冒険者ギルド、『モンスタァ★フレンズ』をお払い箱になったとはいえ、まだまだ現役。俺自身だって働けないわけじゃない。
とりあえず街角の中小の零細ギルドを巡ってみよう。
朝食を食べながら考えたが、流石に今日一日ぐらいは休もうかな……という気分になった。
追放宣告で傷ついた心を癒やすため、何もせずに骨休めするのもいい。
人生には休息も必要だ。
家でのんびりしよう。
それがいい。
……と思ったがもう一つ面倒事を抱えていた。
小娘の世話だ。
「トラ、終わったよ!」
「窓ガラス拭き、ご苦労」
「五枚しか無いからすぐに終わるよ」
「じゃぁ次は水くみな……んぶ!?」
べちっと濡れ雑巾が俺の顔に命中した。
緋色の髪を後ろで束ねたリスが、見事なフォームで投げつけてきたのだ。
「……なんかムカつく」
「何しやがる」
「これ修行なの?」
「……修行?」
そんなつもりで頼んだわけじゃなかったのだが。
――明日から家の手伝いもします。
とかなんとか。素直に嫁のアララールに言ってたのはリスじゃないか。
だからまずは家の手伝い。
雑用からするのは当然だろう。
家の窓拭き、水くみに草むしり。おっと、水は魔法水流水道で引水しているので、飲料水は足りている。
リスに頼んだのは、庭の家庭菜園に散水するための水だ。裏手を流れる小川から汲んでほしいということだ。
「ソファに寝そべって指示してるだけとか、ムカつくんだけど。この、クソ無職が!」
いきなりリスに罵られた。朝から血圧の高い奴め。
一瞬、カッとなったが、俺は大人だ。ここは適当にあしらっておこう。
「おいおい、わかってねぇな」
フッ、と余裕の笑みを浮かべ、顔に貼り付いた雑巾を持ち上げる。
「……何が?」
リスは不満げに口を尖らせ、しゅっとした細眉をつり上あげている。嫁のお下がりのエプロンをつけて、見た目はメイドみたいだ。
「いいからよく聞け。もう一回、こう……窓拭きをする動きをしてみ」
俺は右手で空中に円を描くように動かしてみせた。
「こう?」
「そうだ。左手も同じように窓を拭くように、動かせ。こうだ」
リスは渋々ながら一応、同じ動きをトレースする。空中で見えないガラスを磨くような動きで円を描く。
「これ……何の意味があるの?」
「円形防御の型。その基本形の動きだ」
俺は雑巾を投げ返した。リスが円形防御の動きでそれをガードする。
ハッとした様子でリスが自分の両手を見る。
「へぇ……! って、なわけあるか!」
「あるんだよ」
「うそつけ!」
ぎゃーぎゃーうるさいなぁ。
「いいか、今頼んだ水汲みだって意味があるんだよ。ただ水桶に汲んで来いとは言ってないぜ。こう……両手にそれぞれ水桶を持って、両手を水平にして運んでくるんだ」
カカシのように両腕を水平にして実演してみせる。
「そんなの無理、肩が痛くなるじゃん」
「だから修行なんだよ」
「……うーん」
「わかったら、さっさと行く!」
「もう……。わかったわよ」
半信半疑のようだが、とりあえずリスは外に出ていった。
ふふん、所詮はガキよ。
これでまたゆっくり寝ていられる。
木製の水桶をふたつ、リスは庭先で持ち上げた。それだけでもそこそこ重い。女の子の細腕なら一つ持つだけでも大変だろう。
だが、昨日手合わせをして判った。リスは同じ年頃の少年少女とは比べ物にならないほど、高い身体能力を有している。ギルドでも見習いの少年少女はいるがリスほどは戦えない。せいぜいが荷物持ちか戦闘補助の見習いの後列だ。
だが、リスはまるで獣のような激しい動きで攻撃を仕掛けてきた。攻撃の軽さはさておき、尋常ではない動きだった。
リスは水桶をふたつ水平に持ち上げて、開け放した窓越しに俺の方を睨んできた。
「そうそう。それで小川から水を汲んで、畑にまくんだ」
リスは「ふんっ」とそっぽを向いた。
それでも、家の裏手にある小川に向かっていった。
草地と木々の茂る小道を歩いて二分ほどの場所に、綺麗な小川が流れている。
少しすると足音が聞こえてきた。
リスが走って、ドタバタと戻ってきた。庭に水を撒く音がした。
続いて、ドアを蹴破る勢いで開けて怒鳴り込んできた。
「この水桶、水漏れ、穴が開いてるじゃん!」
「……そうだよ、言ってなかったっけ?」
ダラダラと隙間から漏れるので、走って戻ってこないと水が無くなってしまうのだ。
「聞いてない! バッカじゃないの!」
「水を汲んで畑に撒く。それだけの行動でも修行に結びつく。それが俺流の修行術――」
ガゴッ! と音がして目の前が真っ暗になった。
リスが俺の頭に水桶を被せたのだ。
『ぶぉおお!?』
「きゃはは……!」
『ふがーッ!』
俺は怒った。
水桶を被ったまま、逃げ出したリスを追いかけて外へ飛び出す。
水桶を被った大男が、少女を追い回す姿は、決して他人には見られたくない。だが捕まえて仕置せねばなるまい。
視界は遮られているが、リスの笑い声、足音、気配で追跡できる。
バリアフリーとは程遠い足元の凸凹も、住み慣れた俺にとっては障害にはならない。
「――!」
畑の手前でリスの気配が消えた。
不意に、左脇腹めがけて放たれた打撃の気配。俺は咄嗟に防御する。
ミドルキックを受け止めた。
ビリビリと腕がしびれた。
本気の蹴りだった。
視界を奪われた俺の脇腹を狙ったのだ。
「……うそ!?」
「リス……。おまえは……こうだ!」
蹴り込まれた右足をがっ、と掴んで小脇に抱え、俺はその場で回転しはじめた。
「いっ……! いや……ちょっ……やめ、きゃぁあああ……!?」
「はっはっは! 気合を入れんと目玉が飛び出すぞ!」
ぶぉんぶぉんと自ら独楽のように回り、リスを振り回す。
遠心力で脳に血流を集め、失神させる大技。ジャイアントスイングだ。魔物相手の場合はこのまま壁などにぶつけ頭を破裂させるのだが。
十回転ほどで勘弁することにした。
「きゅー……」
地面にそっと下ろすと、バタンとリスが倒れた。
ちょっとやりすぎたか。
「大丈夫か?」
目を回しているかと思いきや、リスはバネ仕掛けのように起き上がって、胸にパンチを叩き込んできた。
「もー! ムカつく……!」
「ははは、頭に桶を被せたリスが悪い」
「だって、トラが……トラが!」
ポカポカ殴りつけてくるが、もう力は無かった。涙目でよほど悔しかったのだろう。不機嫌そうに頬を膨らませている。
「ちょっとふざけすぎた。悪かったよ。修行はちゃんとつけるし、いろいろ教えてやるから。な?」
「……ホントに?」
「ほんとだよ」
「ホントのほんとに?」
「あぁ」
「あたし…‥強くなれる?」
ごしごしと目をこすり、リスは俺を見上げてきた。
乱れた前髪にぽふんと手を置いて、整えてやる。
「俺が強くしてやるぜ」
「貴族や魔導師より?」
「……あぁ」
「約束ね」
「約束だ」
仕方ない。
これから毎日、少しずついろいろな事を教えてやろう。
リスが強くなりたい動機は復讐か、あるいは弱い自分を変えたいからか。
それはわからないし、なんだろうと構わない。
人生の下り坂に差し掛かった俺と、出自さえわからない謎の少女、リス。
俺はリスのことを面倒だと思うよりも、自分の事のように考え始めていることに気がついた。
「……俺は町に行く用事がある。リスもくるか?」
「いく! あたしも」
ここに残って修行すると言うはずもない。
二つ返事でそういうと、リスは瞳を輝かせた。
<つづく>