心のかたち、心の在処
◇
あぁ、もうムカつく。
なんなのよ4号は、人のことをバカにして……!
あたしと彼女はテーブルを挟んで向かい合っている。トラは腕組みをしたまま目をつぶり、彼女の話に耳を傾けている。
「連れてこられた先が、馬小屋かと思いましたが人の住むところだと知り驚きました。つぎにマスターが信頼して預けると申されたお方は、定職にもついていない無職の元冒険者……。社会的地位の低い、冴えない中年男ときました。おまけに、教養はおろか知性さえも怪しい姉妹が、先輩風を吹かせる始末ですから……。これで何がどう大丈夫なのか、是非お聞かせいただきたいと申し上げたまで」
「アンタ! やっぱりぶっ殺す!」
あたしはブチギレた。なんとか我慢して聞いていたけれど無理だった。椅子を蹴るように立ち上がりフォルの襟元に掴みかかる。
「落ち着いてリス! 停戦協議、和平交渉中でしょう……!?」
後ろからペリドに羽交い締めにされ、フォルに向けて伸ばした手が空を切った。
「放してよペリド!」
「はわわ、リスのあるじが怖いのダ」
イムはテーブルの端をつかみ、顔の上半分を出していた。犬みたいな耳が震えている。
「……話になりませんね」
フォルが鼻で笑う。すました顔、見下した視線がマジでムカつく。
「もういっかい外に出ろ!」
さっきは素手だけで遠慮してやったけど、今度はスキルでブッとばしちゃる!
「あー、わかったわかった、まてまて」
だまって聞いていたトラがようやく口をひらいた。
テーブルの中央にはトラが買ってきてくれた甘い砂糖菓子があるけれど、今はとても食べて和やかになる雰囲気じゃない。
「だって、トラ! こいつバカにしてるのよ!? あたしたちのこと、はなっからナメ腐って!」
「事実を申し上げたまでです」
「うーむ、まぁ……な」
トラは本当に困った、と言わんばかりの渋い顔をしている。
「まぁな、じゃないわよ! あたしの時みたいに、ギュッと締め上げて、思い知らせてやんなさいよ!」
「あのな、それとは話が違うだろ」
「あたしの時は関節技でギュッとしたくせに」
あの痛みで目が覚めたというか、そんな感じだったっけ。フォルも同じ目にあってみればいい。
「あんときはリスが我を失っていたから、仕方なかっただろ」
「……暴力行為に及んだのですか? リスさんは言うに及ばず、やはりトラリオンさんも粗暴な冒険者崩れなのですね」
事実を確認するような、淡々とした口調で言いながらトラとあたしを眺めた。さっきからこの調子でイラッとする。
「フォルさんよ」
「さんづけ!?」
あたしは思わず叫んだ。
「確かにお前さんの言うとおり、俺はたいした人間じゃねぇし、粗末な暮らしに甘んじる、気ままな冒険者崩れさ。なのに、何でこんなピーチクパーチク、小うるさい小娘どもの面倒をみにゃならんのか……。正直戸惑ってる」
「……」
フォルは口をつぐんだ。
「ピーチクパーチク?」
「小鳥のように愛らしいという意味かと」
イムとペリドが小声でささやきあう。
「ここにいる他の姉妹より物分かりが良いってんなら、上手い世渡りの術くらい、わかってんじゃねぇのか?」
「それは……」
フォルは戸惑いの感情を滲ませた。
今までは人形のように冷たくて、何を考えているかわからない無表情だったのに。
トラは椅子に腰かけて、両手をテーブルの天板の上に置いた。さっきあたしとフォルの頭にゲンコツを落とした手はゴツゴツしていて大きい。腕にも古い傷跡がいくつもみえる。
「本当は、納得できてねぇんだろ? ここに置いていかれたことがさ」
「――!」
「魔法師と一緒にいたいんだろ?」
「ち、ちがいます、そんな」
「あーいいって、いいって。自分の頭でわかってても理屈じゃねぇもんな。文句を誰かに言いたくなる、突っかかりたくなる時ってのは……なにかこう、納得できねぇ事を抱え込んでるときさ」
トラは口下手だけど、何かそれなりの事を一生懸命話そうとしてるのは伝わってきた。それはフォルも同じらしかった。
「……確かに、私は納得していません。このような場所に、置き去りにされたことに。マスターは何をお考えなのか」
フォルはテーブルを見つめ、両手の指を組み合わせ、ぎゅっと力をこめた。
「アンタ、カマキリみたいな魔法師が好きなの?」
「そういう世俗的で安っぽい感情はありません。マスターのことは深く尊敬し、お慕い申し上げているだけです」
「はぁん?」
それを好きっていうのでは?
「貴女は……リスは。もう少し言葉の機微を表す、語彙を学んだ方がよいと思います」
「余計なお世話よ、って、バカって言いたいわけ!?」
「皮肉はわかるのですね」
「こいつ……!」
でも、あたしはちょっとだけ、フォルの気持ちがわかりかけてきた。
あたしに対して、トラやこの家に対して突っかかり、文句をいっていたのは不満と、不安が渦巻いていたからなんだ。
「これはマスターが私に課した試練、そう思うことにしました。ですが……」
「なによ?」
あたしに恨めしげな視線を向けてくる。
「……リスが『あたしのほうが先輩だからね!』とか『一番弟子なんだから言うこと聞きなさいよ!』とか、腹立たしいことを捲し立ててきたもので、つい。知能の低さを小馬鹿にしていしました。……すみません」
「謝ってんのそれ!? いちいちムカつくんだけど!」
トラがまぁまぁとなだめる。
「リスもよ、言いかたってもんがあるだろ」
「そっ……! それは……そうだけど。あたしも確かに、ちょっと調子にのっちゃったかも」
うー、確かに姉妹が増えて、嬉しくて、楽しくて……。ちょっと調子のって先輩風を吹かせてしまった。不安で戸惑っているフォルだってそんなことを言われたら、嫌だったかも。
「……ごめん、フォル」
「……私こそ、言いすぎました」
ぎこちない謝罪の言葉を交わす。握手まではしないけど、すこしだけ、わだかまりが解けた気がした。
「ところでフォルの言うマスター、魔法師ラグロース・グロスカ様のことは、自分も存じ上げております」
ペリドがずいっと進み出て、お茶の注がれたカップをリスとフォルの前に置いた。
「私も、完成形である五号のことは知っています。何度かお見かけしていましたから」
「なんでぇ、知り合いかよ」
トラは空気が緩んでホッとしたみたい。
「同じ施設で育ちましたが、飼育場所は別でした。自分は王国近衛騎士団の老剣士様より戦いの指南をいただいておりました」
「ほー? なるほどペリ公の技は王国騎士団の徒手空拳仕込みか」
トラが感心する。なによ、あたしだって……。
「私は王宮で素養と教養、立ち振舞いを。マスターからは魔術の知識も教えていただきました」
フォルが胸に手を当てて、大切な思い出を語る。
あんなカマキリみたいな陰気臭い魔法師でも、案外いいやつなのかもね。
「オラも騎士団、しってるのダ!」
はーい! とイムがテーブルの向こうから手を上げた。ようやく話に入ってこれた、という表情が可愛い。
「イムも騎士団に知り合いがいたのかよ?」
「うん! オラは騎士団のお馬さんのところでいっぱい遊んでたのダ」
「馬って……」
「お、おぅ……」
「私たち姉妹は、それぞれの特性によって最終調整されていました。製品として実用化可能か試されていたのです」
気がつくとあたしに視線が集まっていた。
話の流れ的にあたし……よね?
「あっ、あたしは……貴族! 貴族のお屋敷よ!? まぁなんていうの、素養? 素質があったのよね、えへへ!」
「リスは言わんでいい、無理すんな」
「辛いことは誰にでもありますから」
トラとペリドが気を使っていた。なんなのよ。
「……3号は、手に負えない程に暴れる個体で処分寸前だったと……。それで貴族のロシナール家の半地下で、奴隷達と共同生活をとマスターが……」
フォルが本気で申し訳なさそうに、同情ぎみに視線を外した。
「ななな、なによ! 知ってるなら聞かないでよバカァ! うわぁあ……!」
あたしはいたたまれなくなって席を立った。
嫌で辛い過去を思い出すと、あたしのこころの形が曖昧になる。もやもやして境界がおかしくなる。
「リス!」
トラの声がさいしょに聞こえた。
そして次に、背中から抱き留められた。トラではなくて、後ろから誰かに。ふわりと良い匂いがして、柔らかな胸の感触がおしつけられる。
「アララール?」
「……リス、好きよ。大丈夫、おちついて」
「……うん」
耳元で囁かれて、あたしは力が抜けた。すとん、と椅子に腰をおとす。魔法のような、心地のよい響き。だれかが好き、大事だと、そう言ってくれるだけで、波立つ心が穏やかになるなんて……。
心の在処はここなんだ、と思う。
「リス、昔のことなんかどうでもいい。今は俺の一番弟子だろ、しっかりしやがれ」
「も、もちろんよ!」
ぐいっとお茶を飲み干す。
「うふふ、賑やかねぇ」
アララールは賑やかになったリビングダイニングを見回した。
メイド姿のペリドに、暖炉の前で尻尾を振っているイム。そして、新しい姉妹のフォル。
カチカチカチカチと音がした。
「…………………………!」
気がつくとフォルが持ったティーカップが受け皿とぶつかる音だった。ガクカクと小刻みに指先が震え、顔面は蒼白。無表情を通り越して白目みたいな状態になっている。
これが百年級の魔女……!?
マスター、ちがいます、話に聞いていたよりもずっと、ずっと強大な潜在魔力……。まるで神話の千年級にも匹敵するほどの……無理、無理! こんなところ……。
フォルがうわ言のようにくりかえしている。
「フォル!? ちょっと、大丈夫!?」
「……よ、よろ……しくでございます、ま、魔女……さま」
ガチガチと歯を鳴らしながらも、フォルは優雅に言葉を絞り出す。
「えぇこちらこそ、新しい娘ができた気分よ」
「こ……ここ、光栄です」
さっきまでのクソムカつくお嬢様は一転。アララールを目にした途端、機能停止状態に陥っていた。
「フォルちゃん? そんなに緊張しないで。これからはみんな仲良く、たのしく暮らしましょ」
こんな――魔女の家でよければ。
アララールが微笑みと共に、最後に付け加えた一言が決定打だった。
「……っ! すみません」
青い顔をして急に席を立ったフォルを、流石のあたしも心配になった。
「どうしたの、フォル?」
青かった顔が一気に赤くなり、あたしにだけ聞こえる小声で。
「ちょっと……漏らしました」
「!?」
 




