美味いご飯とトラの嫁
「シャワーした」
「よかったな」
シャワーを終えたリスがやってくると、見違えるほど小綺麗になっていた。
素足に室内用のサンダルをつっかけて、上気した顔で頭にバスタオルを被っている。
赤銅色の髪は胸の下あたりまで流れ落ち、濡れてくしゃくしゃだ。
なんだか急にちんまり、しおらしくなった気がする。
「傷、痛くなかったか」
「……少し」
手の甲の傷を猫みたいに嘗めた。
他にも打撲のあとや擦り傷が見えるが、綺麗になれば薬も塗れる。あとで嫁にやってもらおう。
「あのシャンプーとボディソープ、手作り?」
「おう、嫁の趣味でな」
「ふぅん」
庭でとれた草だか何だか。汁を入れて固めた石鹸がいつも常備されている。
よくわからんが良い香りはする。
木綿のシャツを羽織ったリスは、なんだか縮んだように見えた。大人用のシャツなのでワンピースみたいだ。袖が長いので指先さえ出ていない。
「彼シャツみたい……」
「嫁のシャツだよ」
「ならいいわ」
オッサンの汗の染み込んだシャツは嫌だろうと嫁のを貸した。
最近じゃセクハラだ! とあちこちでうるさい。先日もどこぞの騎士様が配下の女騎士に不謹慎な発言をしたとかで謝罪会見をしていたっけ。
魔法通信と水晶玉プロジェクターの普及で、貴族はもちろん、裕福な商人や庶民の家庭でも気軽にそうした映像が眺められる時代。
俺も「無職中年、少女にセクハラ」とか言われんように気を付けよう。
って、なんで俺がいちいちこのガキに気を使わなきゃならんのだ。
「……腹へっただろ。残り物だけど食えよ」
シチューを木製スープ皿にドボドボと入れてテーブルに置く。
「いいの?」
「いいにきまってんだろ」
一昨日からの残りだが、味が馴染んで美味い。
リスはフラフラとテーブルに近づくと、椅子に座ってシチューをじっと覗き込んだ。木製のスプーンを手に取り、なにか様子を窺うようにこちらを見た。
「……クリームシチュー?」
「鶏肉と野菜のシチューだよ。ちなみに野菜はウチで採れたヤツだ。顔がついてるのもあるが気にするな」
「なにそれ怖いんだけど……」
うちの家庭菜園で育てた野菜には、何故かもれなく「顔」が浮かんでくる。苦悶した表情や、悲しげな顔。ジャガイモやニンジン、ナスなんかによく浮かび上がる。
「新鮮野菜にはよくあることさ。味は良いから気にすんな」
「あることなの? 気にしたほうがいいよ!」
顔があっても別に食えるだろ。
「いいから食ってみ」
言い終わらないうちに、リスはシチューをぱくりと一口。すると堰を切ったようにがっつきはじめた。
「……! んっま!?」
よほどお腹が減っていたのだろう。一瞬で皿一杯を食い終わった。
顔の周りが汚れすごいことになっている。
「ぶはは……! いい食いっぷりだな」
「う、うるさい」
「おかわり食えよ、ほら」
もう一杯、シチューをくれてやる。するとリスはまたガツガツと食いはじめた。
「美味いか?」
「……ん!」
頬を膨らませながら頷き、ちょっと微笑む。
そうそう、ガキは遠慮するもんじゃねぇ。
「あーあ、顔とテーブルが汚れたぞ。ほら、これで拭けよ」
濡れタオルを投げてやると、リスは左手でぱしっと受け取って、ごしごしと顔を拭いた。
作法もなにもあったもんじゃないが、レストランでの食事じゃあるまいし。べつに構わんさ。
「ごちそうさま!」
「おう!」
「美味しかった」
それは素直な心からの言葉に聞こえた。
「それは何よりだ」
ひと息ついたところで、パンとチーズもテーブルに適当に並べる。
外はもう薄暗くなっていた。
熱を出さない魔石ランプの明かりを灯しながら、俺はリスの向かいの椅子に腰を下ろした。
夕飯がわりに干し肉をかじりながら買い置きのジョッキを開ける。
「お酒?」
「男のささやかな楽しみだよ」
小型の墫みたいな形をしたジョッキは蝋で封印されていて、発泡酒が入っている。苦味と細かな泡のハーモニー。喉ごしもよく、家飲みするにはこれで十分だ。
「っぷは! うめぇ最高……!」
「オヤジ臭い……」
「オヤジだよ、なんとでもいえ」
「リアルおっさんの手酌、なんかウケる」
なぜか目を輝かせるリス。
「珍しいものを見るような目やめろ」
「だってほんとに珍しいんだもん」
けたけた笑いやがる。
そんなに珍しいか?
そういえばこいつの親はどこだ? まぁ、おおかた孤児か捨て子か何かだろうが。
リスはお腹が一杯になったせいか、すこし表情が緩くなったようだ。
警戒心はまだ消えないだろうが、それでも表情がくりくり動き、素直に反応する。
「今までどんなもん何食ってたんだ?」
さっきの食べっぷり。よほど空腹だったに違いない。貴族の家に居たくせに何を食わされていたのやら。
リスが大きな丸いパンで口元を隠すように、ぱくつきながら話し始めた。
「……前にいたお屋敷、ひろくてすごい食堂だった。お皿がずらーって並んで、見たこともない料理が沢山並んだ」
「ほぉ……? 流石は貴族だ」
「でさ、あたし嬉しくて。食べはじめたの」
「さっきみたいにか」
リスが頷く。
「そしたら突然、マナーがなってない! とかキレられた。手にフォークを突き刺されて、髪を引きずられて。そのまま地下へ投げ込まれてボコボコに蹴られて」
「っぶ……!」
思わず発泡酒を噴きそうになった。
重っ! 晩酌のネタにしては辛すぎる。
「……翌日から出てきたのは、残飯を煮込んだシチューだったんだ。あれ、上でお皿に並んでいた料理だったんだとおもう……」
さっきシチューをマジマジと見ていたのは、そういう理由だったのか。
またもやトラウマを弄っちまった気がする。
出会ったばかりとはいえ、リスが貴族どもから受けた仕打ち、痛み。不安や悲しさを思うと辛くていたたまれなくなる。
「あ、あのよ……」
「いいの、聞いてよ」
リスに話をやめさせようと思ったが、その表情はどこか胸の内を吐き出したい。そんな風に見えた。
全部吐き出して、スッキリしたい。そういう時だってあるのかもしれない。
「地下は下働きの奴隷とか、へんなヤツばっかりで気持ち悪くて嫌だった。何かされそうになるたびに暴れてた。けど……。そのうち何日も閉じ込められて。いつまでここにいるのかって思ったら怖くて……」
「じゃぁ貴族の家にいたのは」
「一ヶ月ぐらいだと思う」
そこへ魔導師がやってたという流れか。
「その前は……孤児院か?」
「……わからない。知らない。どこかの……暗くて、子供が浮かんだ水槽が沢山ある……大きな場所。何かの施設……」
リスはそれ以前の記憶が無いとでも言いたげに首を振り、唇を噛んだ。
「くそが!」
思わずジョッキをテーブルに叩きつけた。
リスがはっとして顔をあげる。ちょっと驚かせてしまった。
「……すまねぇ。胸くそ悪くてよ! 貴族連中ってのは上級国民なんだ。自分たちは特別で上等な人間だと思ってやがる。あとは畜生と奴隷なんだろうよ」
「トラも……嫌な目にあってきたの?」
リスが尋ねる。
「まぁな、いろいろとな。だけど俺は構わねぇ。自由気ままな生き方をしてきたんだからな」
「……」
「だがよ、おまえみたいな子供まで、そんな扱いはねぇだろうがって話だ」
怒りを抑えようと努力はした。それでも収まらなかった。リスの右手の甲の傷に目がいく。最後はジョッキ酒を呷ってなんとか気持ちをおちつける。
「……そんな風に」
「んあ?」
「トラは怒ってくれるんだね」
その時、うしろで人の気配がした。
「あらあら、ずいぶんにぎやかだとおもったら。トラくんのお客様……?」
淡い桜色のロングヘアに透けるように白い肌。
リスとおなじ木綿の普段着姿でリビングダイニングへとやってきたのは嫁だった。
「俺の嫁、アララールだ」
「は、はじめまして! お邪魔してます」
リスがちゃきっと腰を浮かせてお辞儀をした。
「おいおま! 態度ちがくね!?」
「……だって」
「だってもクソもあるか」
昼間はいきなり獣みたいに襲ってきたくせになんだその変わり身は。
「ようこそ歓迎するわ。このお家に入れたんですもの」
意味ありげな口調。
ふわふわとした夢遊病者のような雰囲気のまま、テーブルの椅子に腰かけると、俺が事前に用意していたお茶のカップをとった。
エメラルドグリーンの瞳をリスに向ける。
ごくり、とリスが生唾を飲み込んだ。
「トラくん。この子さらってきたの?」
「違ぇよ。実は昼間、古い知り合いの魔導師が連れてきたんだ。その時は様子が変で、暴れていたんで取り押さえて、大人しくさせたんだ」
説明しながらリスに気を使う。
「まぁ……それで?」
「なりゆきでな。……その、あ……預かることにした」
ガタッ! と音をたて、アララールが椅子から立ち上がった。
流石のリスもぎょっとして身を固くする。
俺もヤバイと覚悟を決める。
「いや、その! 弟子! ちょっと面倒を見るだけというか、身寄りの無ぇ子だから勢いで弟子に、この家で預かるだけというか……」
しどろもどろの早口で弁解する。
嫁は二人だけの生活がいいと、常々言っている。そこへ見ず知らずの子供を預かるなんていったら怒るにきまっている。が、
「偉い! 見直したわトラくん……!」
ばんっと両肩を叩かれた。
「お、おぅ!?」
「子供嫌いで人間も嫌い、他人との付き合いも下手で出世もしない……!」
「そんなに酷いか!?」
「でもね、優しいのがトラくんのいいところ。孤児でも訳ありでも構わない。トラくんが引き取るって決めたのなら受け入れるわ」
「そ、そうか……!」
思わずほっとしてリスと視線を交わす。
「私だって似たようなものだもの。ね、トラくん」
可愛くウィンクするアララール。
見た目は二十歳そこそこ。胸も大きくてウェストもくびれていて腰もふっくら。自分で言うのもなんだがなかなかの美人嫁だ。
「あ、あの……トラ。本当に……奥さん?」
リスが流石に気になったのか小声で囁いた。
「本当だよ」
「嘘でしょ」
「嘘じゃねぇよ」
「本当でーす! 私、魔女だから、すこし若く見えちゃうけど……!」
えへっ、とほっぺたをつつく。
「魔女……!」
「リスは魔法師に連れてこられたんだから、そこは驚かんでいいだろ」
いや、リスが聞きたいのは年齢か。
アララールの実年齢は、実はかなりヤバイのだがここでする話でもあるまい。
「私たちぃ、訳あり夫婦なのっ!」
俺とでれん肩を組むアララール。巨乳で視界の半分が遮られた。
「ま……まぁな」
訳ありすぎてから説明したらいいかわからんくらいのな。
「あなたお名前は?」
「リスです。リス・チュチュリア」
ちゃんと答えるリス。
俺に対する態度と違いすぎだろ。
「あら……素敵なお名前、可愛いわ。古代エルフ語で『三番目の虚ろなる魂の器』だなんて、ふふ……」
耳元でアララールが囁いた。
え? どういう意味だ。
「器……」
リスが目を瞬かせた。
「……あのね。リスちゃん。実はこのお家にはトラくんを悪い虫から守るため、人を寄せ付けない結界を張っているの!」
じゃーんとでも言いたげに両腕を広げる。
「あ……そういえば家にはいるとき妙な感じが」
リスは寒気がするとか言っていた。そのせいか。
「浮気防止、他の女を連れ込めないように呪いをかけてあるの!」
般若みたいな顔つきになる。怖すぎる。
「おま結界の話、本当だったのかよ」
「えぇ」
アララールは魔女だ。
諸事情で十年前から一緒に暮らしている。
――トラリオン、貴方の魂が消えるまで、添い遂げましょう。
アララールは「あの日」そう言った。十年前の誓いは今も破られていない。
「リス、でもあなたは結界を抜けた。試練に打ち勝ったのよ」
「は、はぁ……」
どうもピンと来ない様子だ。
「つまり、うちの子になる資格があるわ」
リスの方にいって、むふー! と興奮した様子で両肩に手を乗せる。
「あ、ありがとう……ございます」
「うんうん! あら? シャワーのあと髪はそのまま? ダメよきれいにしましょ」
アララールは櫛をとりだして鼻歌交じりにリスの髪を梳きはじめた。リスはまだ居心地悪そうに頬を赤らめている。
これで一件落着。
って、
「いや!? ちょっとまてアララール、一緒に暮らしていい、ということに関しては……嬉しい。感謝する。だが、なんだウチの子って! あくまでも弟子だ。スキルを磨いて一緒に仕事をするための、同居人というかだな……」
リスは微妙な顔つきで椅子に座ったまま、俺たちのやり取りを聞いている。
「ダメよ! 養子にしましょ」
「いやいやいや!?」
なにいってんだコイツ。ダメにきまってんだろ。
こんなワケのわからんガキんちょ。
「……養子」
「違う! か、勘違いするなよ!」
なんでツンデレみたいになってんだ俺。
「だって……。トラくん、いつまでたっても子作りうまくいかないじゃない」
拗ねたように、唇を尖らすアララール。
「リ、リスの前でなにいってんだ」
慌てたのは俺の方だ。リスはきょとん、とした表情をしている。
「危険日を選んでしたのにっ」
「うわばッ、かあぁ!」
赤裸々に夫婦のことを話すんじゃない! 恥ずかしいのは俺の方だ。
「やっぱりキモイ……」
顔を真っ赤にして慌て汗を流す俺を、リスは絵に描いたようなジト目で睨んでいた。
<つづく>