虜囚と衝撃のモーニング
◇
ちゅん、ちゅちゅん……。
小鳥のさえずりで目が覚めた。
「……うーん?」
自分の部屋の寝台の上だった。どうやら腰の治療を受けているうちに寝ちまったらしい。
慎重に腰に意識を集中する。激痛は……無い。
昨夜は酷い目にあった。バカ共のお祭り騒ぎに巻き込まれ、おかげで血みどろの大惨事……。
「んー、トラくぅん」
「アララール?」
柔らかな温もりを感じる。アララールが寄り添って寝言を呟いていた。
昨夜は魔法を使い疲れてしまったのだろう。昼間は起きていられるようになったらしいが、朝の弱さは相変わらずだ。
腕枕したまま抱きしめて、しばらくまどろむ。
このままもう少し……と思ったが、リビングダイニングの方から賑やかな声がする。リスたちだ。
夕べあんなことがあったってのに、朝から元気で何よりだ。しかしうるせぇな。
ところで今は何時だろう?
アララールを寝かせたまま、俺は少しだけ身を起こした。
「うむ」
腰は痛くない。しかし、無理をすると次こそ寝たきりよ! とさんざん脅されたので慎重に起き上がる。
数回の治癒魔法の重ねがけで、小康状態らしい。しばらくは激しい運動は厳禁だとか。
窓の外は青空が広がっている。今日もいい天気になりそうだ。
洗面所で顔を洗ってスッキリしてからリビングダイニングへと向かう。
「あ、おはよトラ!」
「トラのあるじー!」
リビングダイニングへ入るなり、元気な声に迎えられた。
「おう、大丈夫かおまえら」
普段着姿で髪を自然に下ろしたリスと、寝癖だらけの銀髪の隙間から耳をピンと立てたイムだ。
「ちょっと寝不足だけど、別に平気!」
「オラも余裕なのダー!」
戦いの後だというのに、二人ともすっかり元気だった。若いから回復が早いのか、傷が癒えるのが早い体質なのか。精神的にも安定、ケロッとしていてホッとする。
「あるじー!」
じゃれついてくるイムの頭をとっさに押さえる。あぶねぇ……!
「っと、俺は今ちょっと……腰がヤバイからな。すこしお手柔らかに頼むぜ」
「おー?」
「へー?」
目配せする二人。こいつら「倒すチャンス?」みたいな目付きしやがって……。
「それにしても、いい匂いだな! 朝飯か」
「あ、そうなのダ!」
「あたしたちで作ったんだよ」
食卓の椅子に腰かける。
テーブルの上には既に朝食が用意されていた。
丁寧にスライスされたライ麦パンとチーズ。柑橘果汁のジュース。ここまではいつも通りだが、スクランブルエッグにカリカリのベーコンが湯気を立てている。それにトマトを添えたポテトサラダまで!
香ばしい香りに、木皿に綺麗に並んだ見た目も良い。実に美味そうだ。
「すげぇな!? おぉ……!?」
俺は驚いた。いままで見たこともないご馳走だ。なんじゃこりゃ。朝飯なんて大抵は干からびたパンとチーズ。それを丸かじりする程度だったのに。リスも料理は得意じゃない。俺とリスだけの朝はネズミの親子みたいに食い物をカジカジするだけだった。
「でしょでしょ!?」
「えへへ、なのダ!」
「お口に合えばよいのですが」
「お口に合うも何も美味いにきまってん……って、うぉおおおおおお!?」
俺は思わず飛び上がった。
リスとイムの背後に巨漢の女が立っていた。朝日を背負ったシルエットが、一歩進み出る。
「ゆ……夕べの筋肉女……!」
名前はたしか、
「ペリドがつくったんだよ」
「捕虜に作らせたのダー!」
急に立ち上がったことで腰に痛みが走る。そのまま俺はすとん、と椅子に腰を落とした。
「いっ、いやいやいや!? まてよ! なんで自由にさせてんだよ!」
思わず座ったまま身構えるが、襲ってくる気配はない。それどころかリスとイムは平然としている。
「驚かせてしまい申し訳ございません。昨夜のことは……自分の不徳の致すところ。まずは深く謝罪をしたいと思います」
ペリドは頭を下げた。
迷彩の戦闘服は昨夜のままだが、腕や足の鎖は外されている。
丁寧な口調はまるで昨夜とは別人だ。
「お……おぅ?」
いったいどういう風のふきまわし。何がどうなってこんなことになってやがる?
リスとイムに視線を向けた。
二人は苦笑気味に肩をすくめる。
「アララールが呪いを解いてくれたんだよ」
「そうなのだ、黒い蝶々が悪いノダ!」
「あ……アララールが?」
なんとなくだが理解する。
命じられて、つまり呪いとやらに従い行動していたってパターンか?
夕べは戦闘狂の軍人気取り。コイツは相当イカレた女だと思いながら戦ったが……。
今は本当におとなしい。少なくとも殺気や闘気といった類いのものは感じない。
「信じていただけないとは思いますが。自分は……命令が絶対だと思い込まされていました。魔女様に呪いを解いていただき、目が覚めたのです」
手をへその前で重ね、再び深々と頭を下げた。
「しかしなぁ……」
「トラ! あたしとイムと同じじゃん。難しく考えない。らしくないよ」
腰に手を当ててずいっと顔を近づけて言う。
「リス、そう簡単じゃないだろ」
「ペリドは飯炊き女として『きょーせーろーどー』してもらうのダ!」
イムはぱしぱしっとペリドの背中を叩いた。
「はぁ? おまえら何を」
目の前の料理に視線を戻す。実際に美味そうだし、コイツが作ったとはにわかには信じがたい。
しかし、腹は減った。
「横暴な振るまい、暴力的な言動。皆様の安寧と平和な暮らしを破壊したこと、謝罪の言葉を並べても足りません。自分の罪。犯した罪と向き合い、償わせていただきたいのです」
「難解なこと言いやがるぜ」
脳みそまで筋肉なんじゃねぇのか?
「トラリオン様の虜囚として、奴隷として、強制労働でもなんでもする所存です」
「強制労働て」
リスとイムに何を吹き込まれたんだ?
「あのさ、ごはん食べようよ!」
「そうなのダ! お腹ペコペコなのダー」
「う……まぁ、そうだな」
明るいリスとイムの声に俺はうなづいた。リスとイムも椅子に座り、そして向かい側の席を指差す。
「ペリドも座りなよ!」
「いえ! とんでもない。虜囚たる自分は地下牢で残飯を頂けるだけでも……」
「あーもう、地下牢も残飯もねぇから! いいから座れ! お前が作ったんだろ!」
「トラリオン様……」
俺が言うとペリドは椅子に腰を下ろした。
……でけぇな。
俺よりちょっと小さいだけで、肩幅も広いし腕も首も太い。ガチガチの筋肉女……。いや、もしかしてリスやイムと年は近いのか?
「いただきまーす!」
「なのダ!」
俺も二人に合わせて食事に手をつけた。
ベーコンとスクランブルエッグなんて、家では出たことがない。一口食べてみると、火の通り具合といい、実によくできていた。
「うまい!」
「……よかった」
向かい側でペリドがぎこちない笑みを浮かべた。
「いいから、お前も食えよ。食事は身体の基本だぞ」
「はい、では……お言葉に甘えまして」
「美味しいよ! このポテトサラダ」
「たまご、おいしいノダー!」
なんだ……この状況。
俺は夕べ戦った戦闘狂と食卓を囲んでいた。
赤毛の元気なリスだって、先月ぐらいに転がり込んできたばかりで、犬っころみたいなイムなんて先週うちに来たばかりだ。
そして……ペリドだ。一体全体、何がどうなってこうなるんだ。
夕べの襲撃といい、もしかして……。
アララールの魔法が回復しつつある事と、何か関係があるのだろうか?
アララールはリスとイムを喜んで受け入れた。身寄りのない、行き場のない娘なんて他にもいる。
だが、まるで自分の娘でも出来たみたいに喜んでいた。
考えたところでわからねぇ。だが、今朝の食事はいつにも増して美味かった。
「うまいぜ! ちきしょう……まぁ、いいか」
と、そのときだった。
最初に異変に気がついたのはイムだった。
口の周りにスクランブルエッグの欠片ををつけたまま、顔をあげた。そして犬のような耳を動かして、窓に視線を向けた。
「イム……どうしたの?」
リスがイムの様子に気がついたとき、ビリビリと窓が振動しはじめた。
「なんだ?」
「空中振動、高速物体が大気を震わせ……」
ペリドの目付きが真剣なものに変わり、立ち上がって窓辺へと駆け寄る。イムもリスも俺もその後に続く。
赤い光が空を照らした。青い空に浮かんでいた雲が赤く染まり、吹き飛ばされるのが見えた。
「あっ!?」
「流れ星!」
「朝っぱらにか!?」
「火球……! 落下角が異常です」
ペリドが冷静な声をあげる間に、それは王都のとある方角へと落ちていった。
僅かに遅れてゴォオオオ! という大気を切り裂く音。地面を揺らす振動、地響きに家全体揺れた。
「きゃ!」
「にゃわ!?」
ちいさな悲鳴をあげて、リスとイムが横から抱きついてきた。
一拍の間を置いて、閃光。
十秒ほどのあとに地響きが伝わってきた。
「星が落ちたんだ……!」
「うそ!」
しばらくすると映像配信魔法のカラクリ箱が明滅しはじめた。魔法通信道具が接続された、魔法の装置が緊急を告げている。
「緊急放送だ」
「何かあったのかな?」
「スクリーンに映像が出てきたのダ」
――ザザ……!
緊急放送、王政府発表! 緊急放送、王政府発表! 緊急放送、王政府発表!
仰々しい文字と声が繰り返された。
――こちら王都ヨインシュハルト、商業地区郊外!
ロシナール商会・軍需通商ギルドが壊滅……!
映像は燃える館と敷地を映し出していた。王政府直属のレポーターが大声で叫んでいる。
「はぁっ!?」
「何よこれ……」
「ヤバイのダ」
――天空より飛来した灼熱石が直撃しました!
信じられません……! 落下の衝撃による被害は周辺に及んでいます。怪我人は偶然近くにいた十数名……! 幸いに死者は無し。しかし行方不明一人。ロシナール伯爵家の嫡男、クズナルド氏が建物の中にいたという情報もあり、現在確認を急いでおり――
俺たちは唖然呆然と映像を眺めていた。
「ク、クズナルドの館が……ぶっ飛んだ……」