アララールの宝物と、秘かな罠
◇
王都から帰宅すると、家の前にひとりの人影があった。
辺鄙な場所に立つ平屋の一軒家だ。人間よりも野獣がウロつく事のほうが多い場所なのでドキリとする。
だが近づくと見慣れたシルエットだった。
「アララール?」
「トラくん! おかえり。よかった、リスもイムも一緒ね」
アララールが笑顔で向かえてくれた。
どうやら庭先で野菜の収穫をしていたらしい。
桜色の髪を背中で束ね、白い肌は西日を浴び色づいている。
「イムも一緒に暮らしていいって、トラが!」
「真のあるじ様、戻ってきたノダー」
リスとイムが手をつなぎ、アララールに駆け寄っていく。
「うん、知ってた」
二人を見て優しいほほ笑みを浮かべる。まるで全てお見通しだった、とでも言いたげに。
「どうしたんだ今日は、大丈夫なのか? まだ日も高いのに」
アララールに声をかける。
「吸血鬼じゃないんだから、別に平気よ。調子が良くなってきたの」
「ならいいが……」
いつもは日が暮れてからでないと起きてこない。太陽は傾き、西の森へ向かって沈みつつあるが、夕方と呼ぶには早い時間。
今日は随分と早いお目覚めだ。
アララールは月と星の魔力を宿した「常闇の魔法」の魔女……らしい。何百年も封印されていたダメージが回復しきっていないと、言っていたが……。
「それにね」
「ん?」
「宝物が気になって」
宝物? リスたちの事か?
「アララール、イムのことなんだが……」
家で預かることに決めたと伝えると、光の加減で翡翠色に見える瞳を静かに細めた。
「大歓迎よ、今夜は美味しいものをつくらなくっちゃ」
「はは、いつも美味いもの作ってるだろ」
「……トラくん。私ね、宝物を集めるのが好き。輝くもの、側にいると幸せな気持ちにしてくれるものが」
それは……俺たちの事を言っているのだろう。
「まるでドラゴンだ」
「何百年もその姿でいたんですもの」
くすくすと笑う。
ドラゴンは巣に宝物、金銀財宝を集める性質があるという。アララールは魔法で竜に化けていたが、性質も似るのだろうか。
「リスがイムが金銀財宝たぁな。とんだ大食いな宝物だぜ」
「命の輝きは何物にも勝るわ。トラくんも私の宝物なんだからね」
「おいおい、よせよ」
照れるぜ。こんなオッサン捕まえて恥ずかしい事をいいやがる。
「さぁ、夕飯の支度をしましょ。お庭でコールラビが沢山採れたわ。チキンとのソテーにしましょうか」
手にしたカゴには収穫したばかりの、カブみたいな野菜が入っていた。気味の悪い顔が浮かんでいるのは相変わらずだが。
「やった! 手伝うね」
「オラも……やってみる」
アララールはリスとイムを連れ、家の中へと入っていった。
彼女たちが夕食の支度を始めるのを見計らい、玄関の上に魔法の映像撮影道具を取り付けた。ギルドマスターから託されたものだ。
リスが主に修行をするのは庭先だ。庭先や森へと続く道が見渡せる位置に固定する。明日からはイムも駆け回ることになるのだろうが……。
一見すると小さい水晶玉の置物みたいだが、動くものを検知すると、自動的に映像を撮影。ギルドに設置されている魔法映像中継装置に転送する。
魔法の映写装置に『新着』のマークが浮かび上がる仕組みらしい。
「ったく、これでマニアックな連中も満足するなら安いもんだぜ」
だが身の安全を担保するための保険、にしては心もとない。
映像を観ている暇人はいるだろうが、ピンチの時に助けに来てくれるかは……微妙なところだ。
ま、しばらくは異変に気をつけるとするか。
◇
いつにもまして賑やかで楽しい夜になった。
リスとイムは食うわ食うわ。
鍋をぺろりとたいらげやがった。
「おいしかったー!」
「美味いごはん……! 最高なのダ!」
俺とアララールだけで暮らしていたときは、鍋に作ったシチューは三日間ぐらいで食っていたのが嘘のようだ。
「本気で食費が心配になってきたぜ……」
「いいじゃないのトラくん。美味しそうに食べてくれる子を見ているのって、とても幸せな気持ちよ」
「そりゃぁまぁ、そうかもしれんが」
確かに豪快な食いっぷりは見ていて気持ちがいい。ん? 女の子は本来、お上品にちまちまと食うのが正しいのか? よくわかんが。
「この家には幽霊が出るんだよ」
「おー、オラもたまに見るゾ」
「見えるの?」
「臭うんだナ」
あれやこれやとぺちゃくちゃとおしゃべりをし、まるで幼馴染のようだ。
「あ、そうだ。街でナッツを買ってきたんだ」
「まぁ嬉しい! トラくん気が利くぅ」
「べ、べつに偶然みつけただけだかんな」
「うん、美味しい!」
アララールは南国産の殻つきナッツが大好きだ。大昔に一度だけ食べたことがあったらしい。でも魔法師の大戦でその後は手に入らなくなったのだとか。
「二人とも、お風呂に入ってきなさいな。私の特製ハーブ石鹸、いろんな穢れが落ちるわ」
アララールが二人に声をかけた。
「はーい」
「オラは昨日も入ったノダ」
「ダメ! 毎日入らなきゃ、汗かいたし」
「うー……」
イムは風呂嫌いか。そういえば犬臭い感じがしなくもない。
「あたしと一緒に寝るんでしょ」
「! そうなのダ。仕方ないノダ」
リスに手をひかれイムは風呂に向かった。
しばらく風呂場はきゃっきゃと騒がしかったが、やがてホカホカの茹でたてみたいになって上がってきた。
「ふんっ……!」
ぶるぶる、と全身を震わせるイム。
「犬かよ!?」
「よーし、髪をとかさないとね」
「おー? 毛づくろい」
暖炉の前でイムの濡れた銀髪を丁寧に梳かす。獣耳から髪、そして尻尾まで。
なんともほほえましい光景だ。
「普段着が足りなくなっちゃった」
アララールは嬉しそうに服を仕立て直している。ランプの下で針仕事をするのもお手のものだ。
「いろいろ足りない……ふんっ、ふんっ!」
俺は暇だったのでずっと腕立て伏せをしていたが、いい加減ウザイ! と三人同時に言われたのでしかたなく風呂に入った。
「……ん?」
風呂場の床に黒い虫がいた。
シャクトリ虫みたいなヤツが一匹、ウネウネしている。
「気持ち悪ぃな」
踏みつけてシャワーで洗い流した。
もしかしてイムにくっついていたのか? まぁ風呂嫌いの野生児だからな。
◆
「――ぐおッ!?」
人差し指の爪が割れ、鮮血が飛び散った。
「どうしたの? 魔法師リューゼリオン」
「おうおう、ひどい傷じゃ」
暗い馬車の荷台で、仲間の魔法師たちがからかうように声をあげた。
「く……ッ! おのれ……魔女めが……!」
青年魔法師が顔を歪め、血で染まった手を押さえた。かつて誇らしく輝いていた魔法のローブは薄汚れ、ところどころ破れている。
2号に仕込んだ獣性呪詛が無効化され、呪詛返しを食らったのだ。
「私の最強の呪詛を……容易く……弾き返すとは……! どこまでも忌々しい……!」
青筋を浮き上がらせ、歯茎をむき出しにする。
トラリオンの一味がイムを受け入れる。そして連中が油断したところでイムの正気を失わせる。野獣と化したイムに連中を食い殺させる、そういう手筈だったのに……!
「フフ、おおかた『魔女の聖域』に呪詛を撥ね返されたんだろうさ」
「おうおう、噂は本当じゃったか、なるほど……。手強い相手のようじゃ」
「なにしろ竜が魔女に化けてるんだからね」
「ふぅむ、魔女が竜に化けておるんじゃろ」
「どっちでもいいわ」
「よくないのじゃよ」
赤毛の魔女と老魔法使いが不毛な論争を交わす。
「……どうでもいいぜ」
「夜襲なんて趣味じゃねぇよ」
「クズナルド様からの報酬はありがてぇがな」
荷台の闇の中では、十人近い者たちが息をひそめていた。
ロシナール・クズナルドに召集された「ドラゴン狩り」のための精鋭部隊。戦士に魔法師、そして格闘術師。
『スマイル連合』の精鋭ぞろいだ。
「ケッ、とんだ一流の魔法師さまだぜ」
ケラケラと軽薄に笑う。男は髪をツンツンに逆立てて二本の剣を背中にくくりつけていた。
「なにぃ!? 貴様……私に向かって口の利き方に気を付けろ」
「うるせぇ! 何だテメェは? こんな場末にいる時点で、野良の魔法師だろうが! ご立派なマントなんかつけやがって。つかえねぇ野郎だぜ」
「う……ぐ」
失態に次ぐ失態。復讐に燃える魔法師リューゼリオンは、「連中を罠で壊滅させる……!」と、秘策ありげに息巻いていた。
だが、あっさりと失敗したらしい。
乾いた笑いと、白けた空気が漂う。
「……魔法師さまの先手により、こちらの動きが悟られた可能性がある」
荷台の最後尾に陣取っていた大柄な少女が口を開いた。凄みのある低い声色に、車内が静まった。
――5号だ。
「しゅ、襲撃作戦に変更はねぇ! オレ様たちは、ドラゴンの巣、魔女の聖域を襲撃する!」
「……魔女の聖域」
その響きに皆が息を飲んだ。
禁忌とされる竜の魔女。その結界への侵入。
「番人を気取るトラリオンの野郎を叩きのめす……! ヤツの目の前で、魔女に化けたドラゴンを縛り上げるんだ! ついでに小娘どもも捕まえてな! 借りを……返すんだよ!」
Sランクパーティ『ハウンド・ドック』。
全身傷だらけ、ズタボロのリーダー、イギリルドが眼光鋭く気勢をあげた。




