リスの覚醒
『――余はこの館の主、デュラリア・ドーン・エンペロード。永久の命を魔王と盟約し、千年級の力を得た選ばれし魔法師――否、魔法使い――』
「はぁ? 何言ってるかわかんない、キモキモジジイ! 脳みそまで干からびてんのか!」
あたしは思いきり悪態をついた。
自分を鼓舞する代わりに叫ぶ。恐怖に負けずに、勇気を振り絞る。
覚悟を決めた。泣いて震えているだけなんて、カッコ悪い。
昔の自分は何も出来なかった。
記憶の奥底に微かに残っていたのは、後悔だけ。死んだ時の無力感と諦め、無念――。もうあんな思いはしたくない。
それに、トラが助けに来てくれたとき、泣きべそなんてかいてたら、きっと笑われてしまうから。
『――口数の減らぬ小娘が……』
「なら黙らせてみてよ!」
あたしは床を踏み鳴らして身構えた。
素早く視線を走らせる。
四角くて薄暗い部屋。二十メル四方の広い部屋に窓は見当たらない。廊下に囲まれた密室は、ダンスパーティの会場とは思えない。
唯一の入り口は蹴飛ばしても開かなかった。
『グギギギ……』
『キヒヒヒ……』
動く鎧とクソガキ幽霊があたしの動きを牽制し、邪魔をする。
腐った雑巾のように臭くて淀んだ空気。床に塗りたくられた血か何かの液体、描かれた無数の魔法円、そして散らばった骨――。
赤黒い光に包まれてユラユラ揺れる悪霊ジジイが、化け物屋敷のボスなんだ。
あいつが何かを喋っている間、動く鎧と青白い子供の幽霊は、じっとして動かない。まるで「おあずけ」された猛犬みたいに、あたしを憎々しげに睨んでいる。
「二人を返してもらうから!」
魔女のハッピィ・リーンちゃんと、編笠法師のアミダブさんは動かない。悪霊ジジイのすぐ側に倒れていて、赤い魔法円がそれぞれ二人を包んでいる。
直感だけど、体力と魔力を吸わているんだ。
『――愚かな小娘、貴様らは罠にかかった獲物、余の滋養に過ぎぬ。魔力と生命力の詰まった、新鮮な肉袋に過ぎぬ……。余の永久なる力となれること、光栄に思うがよい……!』
立体映像みたいな半透明の悪霊ジジイが、薄笑いを浮かべた。
呼吸を整えて、集中する。
ゴブリンズ・クイーンの脳天を叩き割った瞬間、あたしは自分の中から、凄い力が湧き出したのを覚えている。
あの技なら、きっと通じる。
信じるんだ。
トラが教えてくれた基本、応用、そして戦いの心構えを。
『――小娘、貴様も余の糧となれ……!』
「お断りだ!」
あたしは床板を蹴った。
直線距離で十五メル、悪霊ジジイを蹴っ飛ばし、二人を魔法円から引きずり出す!
『キキィ!』
クソガキ幽霊が螺旋を描きながら突っ込んできた。抱きつかれたら凍てつく冷たさと痛みで身動きがとれなくなる。
ステップを踏んでジグザグに避ける。動く鎧へ駆けよって、小脇をすり抜ける。
『ゴゴガ!』
『キュッ!?』
動く鎧が振り回した武器の勢いで、クソガキ幽霊が形を崩し、分散した。
再びもとの姿に戻ろうとするのを尻目に、一気に悪霊ジジイを目指す。
『――おのれ……! 朽ち果てよ生命腐朽、エナジードレイン……!』
「ぐっ……!?」
足元と視界がぐにゃりと歪んだ。魔法の攻撃を受けたんだ……!
全身から力が抜けた。空気が急に粘着質に変わり、まとわりつく。まるで泥のなかを進むような感覚に陥る。
距離にして5メル手前、あと少しなのに……!
「んな……ろぁああっ!」
気合いを込めて走り続けた。勢いはまだ死んでいない。動く鎧とクソガキ幽霊に追い付かれる。
3メル手前で渾身の力を込めてジャンプする。高さよりも飛び蹴りの勢いと速度を乗せて――
『――小娘ッ、何故動ける……!?』
「知るかボケぇえっ!」
ボッ! と蹴りが貫通した。
悪霊ジジイの土手っ腹を蹴り抜いた瞬間、向こうの床が見えた。
「やっ……!」
『――実に興味深い……』
不気味な声が耳元で囁いた。
着地し振り返る前に、赤黒い触手のようなものがあたしの首と腕に絡み付いた。
「あっ……ぐ!?」
しまった……!
通じてない。
悪霊ジジイは腹の風穴を気にする風もなく、ゆっくりと腕を動かした。
「ぐ……!」
締め付けがきつくなり、息が出来なくなる。床に膝と手をついて、足掻くと振動が迫ってきた。
『グゴガゴ……!』
動く鎧が近づいてきて、あたしを蹴りあげた。
腹に衝撃があって、壁際まで吹き飛ばされた。
「――か……はっ!」
何かの棚と骨の山に背中を打ち付けて、意識が飛びそうになる。
『ウキキキキ……!』
青白いクソガキ幽霊があたしの上にのし掛かってきた。冷や水を浴びせられたように全身に悪寒が走り、痛みが同時に襲ってきた。
「うあぁ……あ……っ!」
寒い、痛い……!
『――随分とタフな小娘よ、よかろう。生きたまま腐らせ、全身を調べ、悲鳴で存分に愉しませてもらうとしようぞ……』
下卑た声が響いた。悪霊ジジイが嘲笑いながら、赤黒い半透明の触手をユラユラと伸ばしてきた。
「くそ……放せ……! うぁ……ッ!」
『クキキキキ』
足掻けば足掻くほど、苦しくなった。面白がって痛め付けているのだ。
苦しい。
痛い……寒い。
あぁ、なによこれ……。
もう、ダメ……かも……
――諦めんのか? クソガキ
トラ……。
頭のなかでトラがあたしを見下ろしていた。
庭先の草地。修行の時の光景だ。
――もう降参か? 諦めんのか?
だって、無理だもん。
もういいの、めんどくさいし。
――あぁ、クソガキらしい言いぐさだ
う、うるさい。
――諦めたら、そこで終わりだぜ?
わかってるけど。
――いいこと教えてやる
なによ?
――俺だって、何度かもうダメだっ……て思った瞬間もあったぜ。そんときは……
そのときは……?
――諦めたフリして、頭突きをかます!
ダサッ!
カッコ悪っ。
――ダサくてもカッコ悪くてもよ、足掻くことは大事だぜ。それが、生き抜くコツさ。
はぁ……思い出して損した。
あたしは思わず脱力していた。
――まぁ兎に角よ、最後の瞬間まで諦めんじゃねぇよってことさ
トラが微笑んだ。
あたしの手を握り、起こしてくれる。
力強い腕と汗ばんだ手の温もり。
ふっ、と力が抜ける。
恐怖と混乱も同時に流れ落ちて、静かな気持ちになった。諦めの境地とは違う、とても穏やかな気持ちになった。
『――諦めたか? よかろう。存分に……調べてしんぜよう、ヒヒヒ』
赤黒い触手が足首に絡み付いて、脚をはいのぼってきた。
「あ……ぐ!?」
比べ物にならない激痛。
死ぬ……!
悪霊ジジイが触れた場所から白煙が立ち上った。
そのとき、不意に脳裏に言葉が浮かんできた。
3号――制限解除
深く強い、まるで暗示のような言葉。その意味をあたしは理解する。
一撃を……喰らわせてやる。
渾身の一撃を!
深く、深く呼吸し、心の奥底と向き合う。
身体も両脚もクソガキ幽霊のせいで痺れて動かない。いま動くのは右腕だけ。
集中し、力を練って、意識の力で集めてゆく。
「……!」
トラが握ってくれた手の平に光が、熱が集まってくるような感覚がした。血流にのって、熱い力が再び漲ってくる。
拳を握り、そして
「うぉ、おおっ!」
渾身の力で、上半身をひねって拳打を放つ。そして圧し掛かる青白いクソガキ幽霊に叩き込んだ。
ドフッ! と手応えがあった。
『キッ……!? チチィイイイイア!?』
「邪魔なんだよ……クソがぁああ!」
拳を振り抜く、クソガキ幽霊は信じられない、という表情で黒い眼窩を大きくし、爆散した。
『――なっ、なんじゃと!? 霊体を、魔力を破砕した!? まさかそんなッ! その力は……!』
そうだ、思い出した。
これが――
「固有戦闘スキル、竜闘術」




