路地裏の魔法少年ナサリア
「んだとクラァ!? 今なんつったァ!」
「女だからって容赦しねぇぞウラァア!」
頭の悪そうな事を喚きながら、チンピラ二人組はあたしを睨んできた。
本気でバカにしたのが気に障ったらしい。
「うわ、ダサ」
あ、また言っちゃった。
「このメスガキがぁア……!」
「ひん剥いて仕置きすっぞコラァ!」
弱いやつほどよく吠える。二人組が顔を真っ赤にして、あたしの方に向き直った。
トラならこんな連中、一瞬で軽くひねって終わりだろうな……。
「こわいんだけど、何なのあんたら?」
すこし怖がるふりをして冷静に見極める。
相手との距離は5メル。路地の道幅は大人が両手を広げれば「通せんぼ」できるほどに狭い。元の大通りか先の横丁か。どちらに逃げるにしても距離は十五メルぐらいある。
相手は成人男性二人。冒険者のように鍛錬した身体つきじゃない。怠惰に過ごした人間特有のだらしない体形に、ダルそうな身のこなし。
それでも腕力では敵わないだろう。流石に掴みかかられたら面倒かも。
あたしは両手で大事な荷物を抱えている。これは買ったばかりの服だし絶対手放さない。
となると使えるのは脚だけで……。
「う……、ぁ?」
路地の壁際でうずくまっていた黒髪メガネ男子が、あたしの陽動に気がついた。
彼に人並みの判断力があれば、この隙に逃げ出すはず。
――逃げなっての。
目配せして「離脱」を促す。
あたしは彼と逆の方向に逃げればいい。
クソな連中なんてどこにでもいるし、いちいち相手にするだけ時間の無駄。
脚力には自信があるし、明るくて広い通りまで逃げ切れる。
しつこく追いかけてくるなら衛兵さんに駆け寄って「助けて」と言えばいい。か弱い乙女と追ってくるチンピラ。説明する必要もないだろうし。
「い、いけません……!」
何を思ったか黒髪メガネは逃げなかった。
壁を背に屈み込んだまま、祈るような仕草で指先を合わせ、細い指先で印を結ぶ。
――は!? 逃げないの!?
分厚い本を大事に抱えたまま、目をつぶり何かを早口で唱えはじめた。
魔法詠唱……!
――魔法師が魔法を励起するには、僅かでも集中が必要だ。敵と密着していては励起できない。
トラが教えてくれたことを思い出した。チンピラ共の気が逸れたことで、黒髪メガネは魔法で反撃するつもりなのだ。
まさか、あたしを助けようと……?
余計な正義感出さないでいいのに。絡まれ体質の弱虫は、状況判断もできないのか。
「オゥア? よくみれば可愛いじゃんぁ?」
「ドゥヒヒ、ちょっと俺らと遊ぼうぜァ」
クズのうえにキモイなんて最悪すぎ。
脳味噌の腐ったチンピラが、黒髪メガネを放置してあたしの方に一歩、二歩と迫ってきた。
「そこの奥で脱ぎっこしよっかァ?」」
デブのチリチリ頭のほうが薄汚い手を伸ばしてくる。
あぁもう、殺るしかないじゃん!
その時だった。
「承認詠唱――『視界剥奪・星影』!」
黒髪メガネが魔法を放った。
差し向けた手のひらで、青い石が輝く。
一瞬、視界が白黒に反転しかけたので、慌てて跳び退いた。これって、ぎりぎりあたしも魔法の影響範囲に入ってる!? あいつ魔法も下手くそか!
「なっ!? 暗いッ……目がッ!?」
「見えねぇッ!? 星が……目の前でッ!」
チンピラ二人組に「視界を奪う魔法」の効果が発動したのだ。両目を押さえて混乱し、闇雲に手を振り回す。
王都で唱えて良い魔法は非殺傷性のもの……というルールがあったはず。対魔物用に使う失明させ視神経を破壊するものじゃない。
「ナイス魔法!」
あたしは混乱した相手の動きを見切り、デブチンピラのつま先を思いきり踏みつけた。
「ひぎっ!?」
バランスを崩したデブ男の背中を思いきり蹴飛ばす。押し出すようにキックして相方のチンピラにぶつけてやる。
「ぬぎゃっ!?」
「ぐぶっ、重ッ!」
二人は重なり合って倒れた。ひっくりかえったゴキブリみたいにジタバタと足掻いている。
魔法の効果で視界を失った今がチャンス。
「やった……! す、すごい蹴り……!」
あたしは喜んでいる黒髪メガネのところにダッシュして近づき、壁をガツンと蹴った。
「すごいじゃないわよ! バカじゃないの!?」
「ひぃ!?」
黒髪メガネは自分の魔法が効いたことに喜び驚いていたのか、あたしの足技に驚いていたのかはわからない。どっちにしても状況認識の甘さ、危機感の欠如に腹がたった。
「ご、ごめんなさい」
「いいから逃げる!」
「あわわ、はい!」
「まて……ぐギャッ!」
路地裏で転がるピンピラの背中を踏みつけて、あたしは駆け出した。
後ろからヨタヨタと黒髪メガネがついてきた。
なんでついてくるの!?
別方向に逃げればいいのに。とことん反りが合わないみたい。
なにはともあれ逃げるが先決。
十数メルほど走るとすぐに明るい通りへとたどり着いた。
裏路地から躍り出て、立ち止まる。
表通りと平行して通る横丁だ。道の広さは幅十メルほどで様々な露天商が軒を連ねて、ごみごみしている。人通りも多く巡回中の衛兵の姿もあった。
振り返ると、暗い路地の向こうでチンピラたちがヨロけながら別方向に逃げていくのが見えた。
よかった……。
ほっと胸をなでおろす。
と、魔女があたしを不思議な色の瞳で見つめながら通り過ぎていった。
周囲を見回すと、魔法師や魔女が何人も行き交っている。
黒髪メガネと同じ年頃の、魔法学校の制服を着た、淡い紫のマントを羽織った子たちも歩いている。
「魔法市場、カースマックス横丁……」
「……はぁはぁ、はい、ここ魔法学校の……帰り道なのできちゃいました」
黒髪メガネもちゃっかり後ろにいた。
「聞いてないし。てか、アンタね! さっきから危ないのよ」
「す、すみません! 僕、ナサリアっていいます。た、助けてくれてありがとうございます」
分厚い本を大事そうに抱えたまま、黒髪メガネは慌てたようすでペコリと頭をさげた。
「……べ、べつに。助けたわけじゃないけど。たまたまというか……来る途中だったし」
「路地でカツアゲが出るから気をつけろって、学校で言われてたんですけど……。近道なのでつい通ったら、案の定絡まれちゃいました……」
てへへと頬をかく。
冒険者には向かないタイプだなぁと思ったけれど、あたしには関係ないし。
「ふうん。あそ、じゃね」
「ま、まって! あの……その、すごく強いですね! お礼というか、なにか……お礼をさせてください。大事な本だったので、取られなくてよかったですし」
自分は蹴られて泥だらけになっているくせに、本だけは守り抜いたらしい。そこはちょっとだけ見直した。
「自分のことは自分で守る。変なのに絡まれない、目をつけられないよう生きるのも、大事なことでしょ。君子危うきに近寄らずって知ってる? あんた弱いんだから」
あぁ、つい余計なことまでペラペラしゃべってしまった。あたしの悪い癖だ。
「は、はい!」
それでも黒髪メガネは何か嬉しかったのか、笑顔でうなづいた。人畜無害を絵に描いたような、子犬じみた雰囲気。
「う……?」
顔をよく見ると女の子みたいに可愛い。綺麗な顔の男の子。背は低くて、あたしより1つぐらい年下に見える。
メガネ越しの瞳は鳶色で、ぱっちり。
「なるべく気をつけてるんですけど……なんでかな。よく絡まれちゃうんです」
男子のくせに髪はさらさらで、絶対人を殴ったことは無いだろうな……という繊細な手と指先。爪もツヤツヤでキレイ。肌は白くてあたしのほうが日焼けして黒という……。なんだか見ているだけでムカつくというか、弄りたくなるタイプ。確かに絡まれるのもわかるかも。
「ま、まぁ弱そうに見えるから……かもね。でも魔法はよかったと思うよ。ちょっと助かったし」
「ほんとですか!? 嬉しい! 試験だとうまくいかなくて赤点なんです。魔法の範囲が絞れなくて」
「うん、絞れてはいなかったかもね」
思わず苦笑しちゃう。
あたしは立ち去ろうと思ったけど、彼が抱えている本の扉絵に目が釘付けになった。
『星界の領域』と色あせた革表紙に、星と月と星座が描かれていた。
「星の……本?」
「あ! はい、そうなんです。王立魔導図書館でやっとみつけた貴重な古い本で……星のことが書いてあるんです。オリオンの神話とか、ハイエルフの神様の話とか……」
二冊目、三冊目を入れ替えながら表紙をあたしのほうに見せる。メガネのレンズ越しに瞳を輝かせているのがわかる。
「星、好きなの?」
「はい」
あたしと同じだ。
「占星術的な意味ではなく、天文神話学っていう昔の伝承としてですけど」
「よくわかんないけど。……あたし、リス」
つい名乗ってしまっていた。なんでだろう。
「リスさん! あっ……すみません、この横丁に用事あったんですよね?」
「そうだ、買い物しなきゃ。魔法の材料探しに来てたんだ」
「リスさんは魔女……さんです? さっきキックしてましたけど」
「ちがうわよバカ。あたしの……えぇと……。師匠の奥さんが魔女で、頼まれたの」
「そうなんですか! だったらいいお店知ってますよ、大抵なんでも揃います」
「とかなんとかいって、怪しい店だったら承知しないわよ」
「だいじょうぶです! 僕が保証しますから」
「アテにならない保証……」
とはいえ、あてもなく店に入るよりずっといいかもしれない。魔法の品物については詳しくない。ぼったくりや偽物を掴まされても嫌だし。
「こっちです、リスさん」
「うん……」
あたしはナサリアの申し出をうけることにした。




