心の在り処
「あなたの頭のなかを調べてみたいの」
4号の右手から青白いワイヤーが放たれた。半透明のテグスみたいな糸が意思を持っているように空中を滑り、あたしの左手首に絡み付いた。
「きゃ!?」
シュルシュルと巻き付くと、ツタのように腕を這い上ってくる。何これキモい!
「しなやかで強靭、簡単には外せないわ」
思わず席から腰を浮かす。
気がつくと向こうの席に座っている若いイメケン魔法師が、わたしたちを興味深げに観察していた。あの服、あたしを道具みたいに使ったラグロース・グロスカと同じ……!
この色褪せて音が消えた空間も、文字通り絡んでくる4号という子も、魔法師の連中の差し金なんだ。
「わたしって凄いのよ。みんなが良くできた、上手だって誉めてくれる。けれど笑顔だけがぎこちない、不自然だって言われるの」
小首をかしげて唇の端をもちあげる。
「……確かに変な笑い顔ね」
絡み付いたワイヤーを引っ張っても千切れない。ミミズみたいに冷たくて皮膚に食い込んでくる。
「さっき貴女が浮かべていた笑顔、筋肉の動きの情報を収集するだけ。今から耳にわたしの糸を侵入させるから動かないでほしいの」
二の腕までニュルニュルと巻き付いてくる青白いワイヤーは4号の意思で操っているんだ。
「ふざけんなっ!」
右手で糸を引っ張る。今度は枝分かれして右腕にも絡み付いてきた。
「廃棄物の3号が魅力的に笑う方法さえわかれば」
突然やってきて勝手に話す4号。マイペースというより他人の話を聞かず、自分だけ話すタイプ。
あたしはドリンクのコップを投げつけようとした。でも右腕の左腕もしびれて動かない。まるで毒クラゲの触手、いや神経を乗っ取られているみたいな異物感が気持ち悪い。
「ぶっ殺したくなってきた」
マジでムカついてきた。頭に血が上り、心拍数が上昇。フゥーッと深く息を吸い込む。
「殺す? 穏やかではないわ。淑女が使って言い言葉ではないと思うの。それに戦えば貴女は死ぬわ。わたしは見ての通りスキルも覚醒しているし、強いもの」
これが「スキル」ってやつか。
「たいした自信ね」
「3号、貴女みたいな欠陥品なんて簡単に殺せるわ。けれど殺したら肝心なことが聞き出せないし……困ったわ」
自問自答の言葉を発し、段々と表情が歪みおかしくなってきた。4号の視線はどこか定まらず、首を45度傾けて独り話し続けている。まるでぶっ壊れサイコパス子だ。
「この……!」
あたしはテーブルの向こうの4号に飛び蹴りを入れようとした。魔法師が席から腰を浮かし何か叫びかけた。
「無駄よ」
「くっ!?」
蹴りを放つ前に、青白く光るワイヤーがシュルルと伸び、今度は首に絡み付いた。身動きが……とれない!
「わたしの戦闘用固有スキル、竜の髭。脳に突き刺すことも、首を斬り落とすことだってできる。そうだ、脳だけ切り出してテイクアウトすればいいじゃない、店員さんに容器をもらって、ウフフ……」
受付カウンターに視線を向けてにこやかに笑う。
「何を言って」
首に鋭い痛みがはしった。
――異世界に来てからずっとこんなことばかりだ。
痛くて、苦しくて。誰も彼もが恐ろしくて冷たい。頭の中にわずかに残る記憶は曖昧で霞がかかったよう。
苦しくて辛い。
まるで悪夢のよう。もしかしてここで死んで、次に目が覚めれば……。
頭のなかをかき回される苦痛を思い出す。目覚めても生ぬるい液体の中に浮かんでいる。
繰り返される悪夢に気が狂いそうになった。
記憶……何処かの暗い施設。
あたし達は白い服を着て並んでいる。頭に何かを被せられ騒音のようなもので脳を揺さぶられた。記憶はちぐはぐで、夢と現実がごっちゃになる。
次に気がついたときは貴族の屋敷だった。大人たちの怒鳴り声に足がすくむ。殴られて蹴飛ばされて、地下室の冷たい床。腐りかけの残飯シチューの味。気持ち悪い男たちの濁った目――。
ずっと悪夢が続いていた。
暴れて、叫んで、何もかも壊してやろうと思った。悪夢も、自分自身も全部なにもかも。
けど――。
変わり始めた。
銀狼みたいなオッサン、トラリオンと戦えと言われたあの日から。
あっけなく腕をねじられ、負けた。痛くて悔しくて泣き叫んだ。
でも、あたしは我に返った。
悪夢から覚めたみたいに思えた。
筋肉質のオッサンと見るからヤバそうな魔女の住む家で、あたしは目覚めた。
トラリオン。筋肉バカな彼が差し出してくれた手が、泥沼みたいな悪夢から助け出してくれた。そして居場所をくれた。
アララールは悪夢から覚めたあたしを抱き締めて、心にかたちをくれた。優しく頭を撫でられて、バラバラでちぐはぐだった心と身体がひとつになった気がした。
それまでの苦しみと痛みが嘘のように和らいだ。ようやくあたしは自分を取り戻した。
魔女の魔法だったのかはわからない。けれど気がつくと見ていた世界のありようが変わっていた。
不思議で魅力的で、まぶしくて。どこまでも世界がおおきく広がっている。
大きなトラの背中、街並み、雑踏、エルフの綺麗なお兄さん。美味しいドリンク。お気に入りだったあの味とそっくりの。
これが今のあたしの生きる現実、リアルなんだって思った。
確かなものがあたしの中にある。
誰にも負けない、強い力。
「ここに……あった」
心の真ん中、熱い輝きがあった。脈打つ鼓動と同期して力が湧いてくる。
胸に重ねた手をぎゅっと握りしめると、熱い力が宿った。まるで炎が手に乗り移ったみたいな熱を感じる。
思い出しかけている、これ……あたしのスキル……だ。
「何か言ったかしら?」
青い髪をゆらし4号があたしに虚ろな視線を向ける。
あたしは光るワイヤーを掴んでいた。彼女の放った糸を。炎のように熱を帯びた手のひらで掴みとる。
「いいかげんに……」
「無駄よ、切れないわ」
目の前にいるのは人形だ。空っぽで何もない。人間のふりをした……ただの人形だ。そんなやつにあたしが、負けるもんか。
「しろよぁおおお!」
ゴウッ! と炎のイメージが沸き起こる。ドラゴンの吐く炎の息みたいなパワー。
あたしは首に巻き付いていた青白いワイヤーを力任せに引きちぎった。
「なんですって!?」
4号の瞳が驚愕に見開かれる。
演技じみた、とってつけたような顔で。
腕に絡み付いていたワイヤーも簡単に千切れた。糸はあたしの手のなかでグズグズに崩れて溶けてゆく。
「こんなもの効かない」
「ど……どうして!? まさか出来損ないの貴女もスキルを……」
「知るか!」
今度はビンタを叩き込んでやる。炎の往復ビンタを。
「そ、そこまでです4号!」
魔法士が慌てて叫んだその時。
ビキシッ! と空間がひび割れた。
色あせた無音の空間が歪み、ガラスが割れるような音とともに崩れた。
「これはいったい、リューゼリオン!?」
「バカな……ぐあぉぁあっ!?」
4号が混乱し叫ぶ向こう側で、魔法士が崩れ落ちた。
「トラ……!」
あたしは見た。魔法師の結界なんてものともせず、ズカズカとやってきたトラリオンを。
手に小さなお茶のカップを持って。
魔法師が展開していた無音の結界が砕ける。周囲に色彩と店内の喧騒が戻ってきた。
「まったく、注文もひと苦労だぜ」
トラがあたしの向かいの席に腰を下ろした。椅子がギシリと軋む。
「……は……はは」
「ん? どうしたリス。変な顔をして」
トラはあたしの顔を見て目を細めた。
心配、してくれているんだ。
気がつくと魔法師に抱えられ4号は店から退散するところだった。
若い魔法師に支えられるように、フラフラとした足取りで。魔法師の手からは血が流れているようにも見えた。
「なんでもない」
「それよりリス、聞いてくれ。黒茶を頼んだのに、こんなに小せぇよ!?」
ちんまり、としたカップをあたしにみせるトラ。
大きな身体に不釣り合いな極小サイズのカップに思わず噴き出す。
「っぷはは……。それエスプレッソでしょ」
「なんだそりゃ?」
「とても苦い黒茶」
「それにしたって小さすぎるだろ。あのババァ、どうしてもトッピングしたがるし」
トラは困惑しつつ黒い液体を流し込み、渋い顔をした。
眉間のシワに凛々しい眉。精悍な輪郭を支える太い首と肩。シルバーの短めの髪。
すこし目尻のさがった優しい眼差しがあたしに向けられている。
「ドリンク美味しかった、ありがと」
「お、おぅ?」
こんな怖い見た目なのに、瞳は優しいんだ……。
「残りの買い物をして帰ろうぜ。夕方になるまえに戻らにゃ」
「うん!」
■
「はあっ……! はあっ……!」
「平気? リューゼリオン」
「触るな……!」
魔法師は4号の手を払い除けた。
「くそっ……あの男、何者だ? 私の結界を……外側から破壊するなんて……!」
腕の血管が破裂している。
結界に魔力を送っていた腕の呪印が引き裂かれ、強引に破壊された。
あの男……!
散歩でもするかのように結界に接触し崩壊させた。まるで魔法師の結界など存在しないかのように蹴散らした。最強の魔法結界を意に介してさえいなかった。
「あれが、ラグロース・グロスカが言っていた魔女の聖域の……番人っ!」
トラリオン・ボルタ。
貴様の名、覚えておこう……!
「また3号に会えるかしら?」
「黙れ……人形が!」
腕を振ると血が4号の頬やドレスに飛び散った。
「……ドレスが汚れたわ。あのお店で買い物をしてから帰りたいわ。いいでしょう、リューゼリオン」
「くっ……」
<つづく>




