第26話 敬称
次の日、ハーヴィル公爵家の応接室には、苛立ちを抑えながら表情を消しているアランと、顔色が悪い状態を侍女によって化粧で隠したレティシア、そしてジルベルトが居た。
レティシアは、自分の目の前に座る存在をぼんやりと眺めていた。
(ずっと、傍にいてどんな彼も知っているつもりだったけれど……
目の前にいるこの人は、全く知らない人のように感じる……)
昨日、現状に混乱し取り乱していたレティシアをアルフレッドが宥め、状況を国王と宰相にアランが全て伝えた後、公爵家の屋敷にアランと一緒にレティシアは帰った。
帰宅後のレティシアは、何も手につかず、ぼんやりとしたまま一睡も出来なかった。
宰相であるレティシアの父親からは、レティシア達が帰った後、再度侍医が診察したが、ジルベルトの身体に異変は見付からず、その他の記憶もしっかりしており、彼の記憶からなくなっているのはレティシアの存在だけであるような状態であったと、レティシアとアランに伝えられた。
そして、次の日の早朝に公爵邸へ先触れが届き、ジルベルトがハーヴィル家の屋敷を訪ねてきていたのだ。
応接室にジルベルトを案内し、それぞれ席についたが、そのいつもとは違う空気感がレティシアには、はっきりとわかる。
ジルベルトがレティシアに対して、何の感情も持ち合わせていない事が、感じたくなくてもレティシアには伝わってきていた。
いつも、レティシアへ向けるジルベルトの甘い表情も優しい言葉も、慈しんでくれる距離も何もない事が、その事を物語っていたのだ。
(私の目の前に居るのは誰……?)
「レティシア嬢、昨夜は私が失礼な態度をとって申し訳ない」
ジルベルトが開口一番、口にした言葉にアランの表情はピクリと揺れる。
そんな様子をレティシアは、自分へ対して言われているのに、何処か他人事のように感じていた。
「レティシア嬢か……
随分と余所余所しい振る舞いだな」
あからさまに刺のある言葉を、アランはジルベルトへ投げ掛けた事に、ジルベルトは表情を固くした。
「父上や宰相からも説明を受けたが……
自分自身、自分の身に起きている事に戸惑っている
他の事は全て覚えているのに、何故、婚約者でもあるレティシア嬢の記憶だけが失くなっているのか、自分でも理解が追い付いていないんだ……」
レティシアは、ジルベルトの口から、改めて自分の記憶だけがないと言われた事に、ズキリと胸に痛みが走った。
「レティシアの事を、そうやってまた傷付ける為にわざわざ屋敷へ来たと言うなら、帰ってほしい」
アランが怒りを隠そうともしない事に、レティシアはアランへ声を掛けた。
「お兄様
………殿下は今の状態になりたくて、自らなった訳ではないのだから、そんな風に責めないで……」
「そんな事は、俺だってわかっている!
だけどな、『レティシアを傷付ける者は、どんな理由があっても許さない』……その言葉を信じて俺は、こいつにお前を任せる事を許したんだ
それなのに、その言葉を言った本人が、今まさにお前の事を傷付けている
それが、不可抗力だとしても何だとしても、俺は受け入れられない」
レティシアは、昨夜のジルベルトが自分へ向けた態度から、彼を愛称で呼んだり気安い口調で話す事は憚れた。
そんなレティシアの様子も含めて、アランの苛立ちは膨らんでいく。
そして、ジルベルトはアランの言葉に何も言い返そうとはしなかった。
「王族のお前に向かっての、俺のこの言動が気に入らないなら不敬罪で咎めればいい」
「アランには気安く接してほしいと私は思っているから、不敬罪になどとは思わない」
「何が気安くだ……
レティシアに対して、昨日お前は『不敬罪だ』と言った事を忘れたのか?」
「それは……記憶が……」
「いつも、レティシアがお前の事を、愛称で呼ばなければ機嫌が悪くなっていたのにもかかわらず、今のお前の態度はまるで違うな?
帰れ……
今のお前には、レティシアに近付いて欲しくはない
でないと、俺はお前に対しての怒りがおさまらない」
ジルベルトは、アランの言葉にその場に立ち上がると、レティシアへ視線を向けた。
「本当に申し訳ない……
外ではなるべく、今までのように振る舞うつもりではいるが……」
レティシアは、そんなジルベルトの事を見詰めると口を開いた。
「………殿下、今日は兄が失礼致しました
殿下が悪い訳ではありませんので、お気になさらないでください
わたくしは……殿下のご意志に従うだけですので……」
「そうか……
それと、学園に行くさいに、私は毎朝君の事をここへ迎えに行っていたようなのだが……」
「殿下も落ち着かれるまで少しお時間が必要だと思いますし、お迎えは無理なさらないでください
わたくしは、兄と一緒に学園へまいりますので、大丈夫です」
「そうか、では、学園では不自然にならないよう振る舞う事にするよ」
「ありがとうございます
学年も違いますし、お会いした時だけで構いませんので」
レティシアがジルベルトに対して、敬称で呼び、口調も外向きの言葉をかけても、ジルベルトは違和感も持たなかったようで、何も言わなかった。
レティシアの言葉に、頷いたジルベルトは公爵邸をあとにした。
アランは見送らなくてもいいといったが、そういう訳にもいかないと思い、ジルベルトを見送ったレティシアは、馬車が去った道をずっとぼんやりと眺めていた。
そして、以前ジルベルトが言った言葉を思い出す。
『ねぇ、レティ?
君は、私から上っ面でしかない王太子の姿で、いつも接して欲しいかい?
そんな感情も伴わないような接し方で嬉しい?』
(その通りね、ジル……
感情が伴わなかったら、何も嬉しくない……
あんなにジルは、私がジルに対して敬称で呼んだり、外向きの口調で話す事を嫌がっていたのに、その口調が当たり前のように返された
私へ何の感情も向けてくれないあの方は、私の知ってるジルでないように思えて仕方がない……
だけど、あの方はジルで……
どうして……)
次の日から、ジルベルトが朝レティシアを迎えに来る事はなくなった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
ブックマークもありがとうございます!励みになっております!




