表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/42

第7話(Re):ウエイトレスの結論

 軽く読める程度であればよいのですが。


 どうかお気楽にお読みください♪



     ◇



「音楽家と接していて思うことですか?」

 御新規さんの問いに、私はしばらく時間をかけて考えなければならなかった。

「……そうですね。意味不明、理解不能な生物ですよ」

 私が出した結論は、答えになっていたのだろうか?

 でも、御新規さんも頷いていたのだった。



     ◇



 今日も閑古鳥が鳴く喫茶店【ベガ】。


 私は来るかもわからないお客さんのために、テーブルを拭いていた。


 ただ珍しいことに。


 (すばる)さんはレコードを聴くこともなく、店のカウンター近くで立っていた。


 彼は軽く右足でコツコツと音を鳴らす。

 そして、ちらちらと時計を気にしている。


 どうも落ち着きがない。


「なにか用事でもあるんですか?」


 気になって聞いてみる。

 すると、彼は仏頂面で答えた。


「知り合いというか、昔の生徒が来ると言っていてな。もう時間のはずなのだが」


 彼が言い終わった直後……。


 ちりん、ちりんと。

 鈴が鳴り、扉が開かれた。


「あっ、武蔵野(むさしの)先生。ご無沙汰です」


 制服を身に纏った男の子が入ってくる。


 手には鞄を持ち、肩には楽器ケースを背負った少年だった。


「十秒遅刻だ。音楽家を志すならば、時間を守れとあれほど言っておろう」


 どの口が言うか、と突っ込みたくなる。


 この前、終業時間を破ったくせに。


 しかも、理由はピアノに没頭していたせいだ。


「んなこと言ったって。掃除の時間が延びたんですよ」


「言い訳無用」


「そんなぁ。ってあれ、誰? カノジョ?」


 少年が目を丸くして、私を見る。


「何を言うか! 誰がこんな音楽の“お”の字も知らん奴と交際するものか!」


「こっちの台詞です! こんな音楽以外に能のない変人、彼氏にするもんですか!」


 私と昴さんはしばし睨み合う。


「あー、仲いいことはわかったんで。誰です? この人」


「アルバイトの雪菜(ゆきな)君だよ。父が倒れた穴を埋めてくれている」


「なるほど。僕は本田陸(ほんだりく)です。雪菜さん、よろしくお願いします」


「え? あっはい。よろしく、本田くん」


 私を昴さんの彼氏と間違えたことは憤慨ものだ。

 だが、礼儀はわきまえている子のようだった。


「陸君は、俺が昔教えていた音楽教室でヴァイオリンを習っていた子だ。彼にはソルフェージュを教えていた。こうやって時折、遊びに来るのだよ」


 ふーん。ソルフェージュが何なのかわからないけど、教え子ってことね。


 昴さんが子どもの扱いに長けている一面は、その頃養われたのかもしれない。


「あー。急いできたから疲れちゃった。武蔵野先生、お水ください」


「よかろう。雪菜君、アイスティーを二つ頼む。いや、伝票はいらん」


 どうやら、彼は奢るつもりのようだ。


 こういう面倒見のいいところ、あるんだよね、昴さん。


 紅茶を飲み、一息ついたところで、彼が私にお礼をいった。


「雪菜さん、ありがとうございます。武蔵野先生と違って美味しかったです」


「この。他人の店で生意気な餓鬼め」


「だって事実じゃないですか。前にコーヒー頼んだ時、マジで泥水だと思いましたよ」


「あー、なるほど」


 時間も分量も守らないものね、昴さん。


「あっそうだ。お礼にはならないかもしれないですけど、何か聴きたい曲とかあります? 弾ける曲なら聴いてほしいな」


「え? 私なんかでよかったら喜んで。でも……」


 生憎、私にヴァイオリンの曲なんてわからない。


「雪菜君は大が付くほど音楽音痴なのだよ。そうだな、《G線上のアリア》程度ならば、知っているかもしれん」


「んじゃ、それ弾きます。武蔵野先生、伴奏頼めます?」


「よかろう。君の腕が鈍ってないかみるいい機会だ」


 二人で話し合うと、本田くんはガサゴソと準備を始めた。


 こうやってみると、やっぱりヴァイオリンって優雅だよなぁ。


 私は彼が構えた姿を見て思う。


 二人がアイコンタクトをする。


 そして、本田くんのすぅっという息づかいの後に、緩やかに旋律が奏でられた。






 確かに、その曲は聴いたことがある曲だった。

 でも、何か違う。


 小さな店の一角で、奏でられた音楽のはずだった。


 たった二人が紡ぐ音の波と波。

 それが互いに混じり合う。


 細い線と太い線のようだ。


 それらは戯れるように寄り添い、時にぶつかる。


 そして、前へ、前へと音は延びていく。


 前進する音楽。

 広がる響き。


 その音色は、小さな店では収まり切れない。


 音は憂いを帯びて、ひたすらに延びていく。


 それは、まるで地平線の彼方まで延びていく光のようだった。






 生の音楽って、テレビで聴く音と何かが違うんだよな。


 もっと空間が感じられるというか……。


 二人の演奏を聴き終わった私はそんな感想を抱いていた。


「どうでした、雪菜さん?」


「とっても良かったよ。真っ直ぐに光が延びているみたいだった。月並みな感想しか言えなくてごめんね」


「ふむ、雪菜君はそう思ったか。俺はいまいちだったな」


 昴さんは手厳しく言った。


「むっ。なにがダメだったんですか!」


「大海を意味する偉大なるヨハン・セバスチャン・バッハが聴いたら激昂するであろう。君は腰を据えて歩く低音を感じていたか? 美しい対位旋律に寄り添っていたか?」


「ちょっと待ってください。それは武蔵野先生に言いたいです。のったりし過ぎなんですよ。いくらゆっくりした曲でも、あれはないと思います」


「未熟者め。全身で音楽を感じていないから、そういう考えになるのだ。なぜ、彼らの足取りに気を配らん!」


「それは武蔵野先生の足取りが遅いからです! もっと前に行くんです。この曲は!」


 わぁ。

 訳わからない罵倒が飛び交ってる。


 私はどうすることも出来ず、見守ることしか出来なかった。


「もういいです! 武蔵野先生がこんな年寄りに成り果ててたとは、思ってませんでした!」


「ふん、それはこちらの台詞だ。何を焦っている。馬鹿馬鹿しい。まるで幼児だ」


 結局、二人は和解することなく、本田くんは私にだけ丁寧な会釈をして帰ってしまった。


「いいんですか? 店長。なんか喧嘩別れみたいになってましたけど」


 しかし、昴さんは面白そうに笑っていた。


 あれ? 怒ってたんじゃないの?


「いいのだよ。時として音楽家は譲れない一線がある。頑固者と言われようともな。あれは彼にもそれが芽生えた証拠だろうよ」


「それがわかっているんでしたら、言い方とかあったんじゃないですかね?」


「ふん。それは音楽の父、大バッハの名に置いて決して許されない。音楽に嘘も誤魔化しもないのだよ」


 それを聞いて、確かに音楽家って頭が固いのかもしれない、なんてことを思った。


 ちなみに、本田くんはそれから二週間後、何ともなかったように現れ、昴さんと仲睦まじげに話していた。


 うん。

 さっぱりわからない生き物だな、音楽家って。



 ――それはある夏の日のこと。

 地平線の彼方へと広がる光を見た日の出来事。

 私にとって、小さく愉快な疑問が湧いた日のことだった。



第7話fin


 突如として彼らの会話が聞こえてきたので、書いたものです。


 他にも大バッハの名曲を聴いていると、悩みが消えてなくなる不思議なことがあったりします。


 まるで、機械時計のような美しさがあるんですよね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ