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第4話(Re):ウエイトレスは考える

 歳を取っても、元気でいたいものです。書きながら、深々と思いました。


 では、私もお決まりの文句を。

 お気軽にお読みください♪


【登場人物】

那須賀雪菜:名曲喫茶【ベガ】のウエイトレス。女子大生。

武蔵野昴:名曲喫茶【ベガ】の店長。音楽変人。

稲葉隆二:煎餅屋さんの店主。常連客。




     ◇



「ウエイトレスがどんな人か?」

 しばらく俺は考える。

「音楽音痴だな」

 その答えに御新規の客は、苦笑した。

「だが、喫茶店のことでは助かっている」

 俺はなるべく、淡白にそう言った。



     ◇

 


 ちりん、ちりん、と。

 鈴の音が勢いよく鳴らされた。


 私が声をかけるよりも早く、扉がばーんっと開けられる。


「い、いらっしゃいませ……」


 いささか戸惑いを覚えながらも、私は挨拶をかける。


「おう、やってるか。息子さんよ」


 入ってきたのは、中折れ帽子を被る一人の男性だった。


 やって来たのは、四、五十代の男性だった。

 くたくたになった七分袖のシャツに、短パンという格好をしていた。


 無精髭を撫でながら、彼は帽子を脱ぐ。


 見事な円形禿が姿を現し、思わず吹き出しそうになった。


「見ればわかるだろう。老眼極まったか、おっさん」


 客席で、五線譜に音符を書いていた(すばる)さんが、ぶっきらぼうに答えた。


 いや、普通の人はこの光景を見たら休業中と思うだろ。

 何より、店長がお客さんにする態度ではない。


 色々突っ込みたくなるのを我慢する。

 と、おじさんが私を見て目を丸くした。


「んぁ? なんだ? ウエイトレスでも雇ったのか。そんなに繁盛してるとは思えないがな。あっはっは」


「余計なお世話だ。……雪菜(ゆきな)君、ホットコーヒーと、パウンドケーキを一つずつ用意してくれ」


「おうよ。ここにくると、注文しなくていいから助かるぜ」


「か、かしこまりました」


 私が案内するまでもなく、彼は昴さんのいる席に着く。


「しばらく顔を見なかったから、成仏したと思っていたが」


「おいおい、勝手に人を殺すな。まだ現役バリバリだ。ちぃっと仕事が忙しくてな。おちおち喫茶店にも来てられねぇ」


 バックヤードに入った私。

 それでも、叔父さんの声ははっきりと聞こえた。


 豪快な人だな。


 私が珈琲を煎れ、ケーキと共に持っていく。

 すると、彼は口許を緩ませて言った。


「おう、ありがとな嬢ちゃん。俺は稲葉隆二(いなばりゅうじ)。大通りの煎餅屋をやってる。こいつの親父さんが店やってた頃からの客だ。今後もちょくちょく来るからよろしく」


「あっはい。雪菜です。よろしくお願いします」


 ぐいぐいと握手を求められる。


 こういうアクティブなおじさんっているよなぁー。

 悪い人ではなさそうだけど。


 煎餅屋さんって小町通りにあるやつかな。

 そういえば、元気なおじさんの声がいつも響いていた。


 彼の店引きの声だったんだろう。


「んじゃ、いつもの頼むかな。今日は久しぶりだし、あれで頼むわ」


「む。まぁ、よかろう。楽譜の清書は煩いやつが帰ってからにするか」


 いつも?

 あれ?


 私は何を指しているのか全くわからない。


 だが、二人には通じているらしい。


 昴さんは、ピアノ椅子へ移動して、目をつぶった。


 あっ、これ。演奏頼まれたのか。


 私はようやく合点がいく。


 何が始まるのかな、と少しだけ楽しみになる。


 昴さんが目を開けた。

 すらりと伸びた白い指が鍵盤に乗せられる。


 すぅー、という長い呼吸の後に、それはゆっくりと奏でられた。


 重く、力強く、叩きつけられるように。





 音!


 音!!


 音!!!





 私は吃驚して、声を出しかける。

 しかし、寸でのところで思い止まった。


 それはおじさんが目を閉じてその響きを味わっていることが分かったからだ。



 三つの音の響きが、印象深く耳に残る。

 その響きの中で、弱い嘆きのような音が続いた。

 その嘆きは、何かが反響した音のようだった。


 繰り返される三つの音。

 反響する嘆きの声。


 それは次第に弱く、とうとう遠い残響になっていく。

 一時の後に、残響は揺るかに決壊を始めていく。

 囁き声のような音は、声量をあげて、雪崩れのように溢れ出す。


 そして、また例の三つの音が鳴らされた。




 音!


 音!!


 音!!!




 今度は嘆きの声も強く、張り上げんばかりに叫ぶ。

 ひたすらに打ち鳴らされる音と叫び声。


 だが、とうとうそれも勢いを緩めていく。

 天へと誘われ、昇華されるように。


 残滓だけを響かせ、曲は締め括られた。




「あぁ。やっぱりラフマニノフはいいな」


 珈琲をゆっくりと味わうように啜り、おじさんは言った。


「なんていう曲なんですか?」


 もうお決まりになりつつある台詞を投げ掛ける私。


「何だ、嬢ちゃんは音楽に興味がない口か?」


「興味がないわけじゃなくて。触れてこなかったんです!」


 そうだ。環境の問題なんだ!

 なんて言い訳を心の内でしておく。


「雪菜くんのクラシック音痴はいつものことだ。この曲はラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調、通称《鐘》という」


 名前を聞いて、なるほどと思う。

 あの打ち鳴らされた音は、鐘の響きだったのだ。


「ラフマニノフといえば、鐘を想起させるモチーフが曲に多用されている作曲家といえる。ピアノ協奏曲二番なども最たる例だろう」


「まぁな。つっても、演奏会ではこの曲を弾いてくれ、って何度もせがまれ続けて、本人はほとほと嫌気が差していたらしいがな」


「それほどまでに、この曲に響き渡る鐘の音は、人々の心を揺さぶるのだ」


「確かに、心に響く音楽でした」


「うむ。彼の祖国、ロシアでは鐘と生活が一体となっていた。鐘の音と共に起き、鐘の音と共に祈り、鐘の音と共に就寝する。そんな生活を送っていた」


「日本じゃ考えられんわな」


「そうだな。幼少期を鐘と共に育ってきた彼の音だからこそ、人々は魅了されてしまうのだろう」


「心に根付く音ってことですね」


「だろうな。いや、いい演奏だった。やっぱり音楽だけは言うことなしだな、息子さんよぉ」


「それには同感です」


 私とおじさんは顔を見合わせて笑った。


「むっ。なんだ、その笑いは」


「自分の日頃の行いに聞いてください」


 私の言葉に、しばし考え込む昴さん。


「……この世で音楽以外に重要なことなどあるまい」


 多分、心の底からそう思っているんだろうなぁ。

 はぁ。と私はため息を吐く。


「これで、店長なんだから困ったもんですよ」


「名曲喫茶で、音楽がわからねぇウエイトレスも大概だとは思うけどな。あっはっは」


 うぐっ。

 私は顔を真っ赤にした。

 穴にでも入りたい気分とは、まさにこのことだろう。


 ちょっとだけ勉強しようかな?


 ティータイムを終えて、おじさんは鈴の音と共に去っていく。

 彼を見送りながら、私はそんなことを考えた。



 ――それは秋も近づく日のこと。

 穏やかな何てことはない出来事。

 でも……。

 私にとって、新しい決意をした日だった。



第4話fin

 ラフマニノフ。私の大好きな作曲家の一人です。後期ロマンの代表格ですね。映画やCM、ドラマなどでも、彼の曲はよく使われています。


12/25 加筆修正を行いました。

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