第33話︰月明かりに照らされて
お久しぶりです。不定期更新での再開です。
お気軽にどうぞ♪
「店長、そろそろ店じまいですよ」
私が声をかけると、昴さんは譜面から目を離して、口を開いた。
「ふむ、もうそんな時間か」
窓の外を見れば、暗闇に煌々と月が顔を出していた。
冬が明けたとはいえ、まだまだ日は短い。
私は、入口にある店の看板をCloseにかけ変えた。
相変わらず、昴さんは今日も一日中譜面とにらめっこをしていた。
まぁ、お客さんも少なかったし……。
それが店として良いかは別問題だけども。
私はことり、と音を立てて珈琲と紅茶を机に置いた。
「一服しませんか? 店長」
「そうだな。ありがとう」
珍しく素直に感謝をして、昴さんは珈琲を口に運ぶ。
私も温かい紅茶に砂糖とミルクを入れて、ふぅと一息ついた。
「静かですね」
「日中の騒がしさが嘘のようだ」
鎌倉は観光地という特性上、昼間は凄まじく煩い。
だが、一度日が沈めば店じまいも早く、開いているのは居酒屋さんぐらいだ。それもそう多くはないので、静かな夜になるのだった。
私は紅茶の湯気に目をやる。
ゆらりゆらりと立ち昇る湯気は、まるで幻のようだった。
昴さんが珈琲を飲み終わったところで、私は声をかける。
「何か一曲弾いてくださいよ」
二人きりの静寂に耐えきれなくなって、ついお願いをしてしまった。
「何かと言われると難しいな」
「それじゃあ、優しい曲がいいです。静かな夜ですし」
「となると、クロード・ドビュッシーあたりがよいか」
ドビュッシー。
そういえば、初めて私が来た時に弾いていた曲も、そんな名前の作曲家だった気がする。
昴さんは早速ピアノ椅子に座り、何かの儀式のように深呼吸をした。
途端、音が零れ落ちて、跳ねた。
音は波紋のようにゆっくりと広がっていく。
音が次第に流れていき、時に止まる。
再びの静寂。
そして、また音が溢れ出す。
美しく輝く光の筋のように、流れては止まる。
あぁ、聴いていて落ち着くなぁ。
私は音の海の中を泳いでいるように感じた。
「この曲は《月の光》という」
弾き終わった後、昴さんは口を開いた。
「今日にぴったりな曲ですね」
窓から覗く月明かりを見て、私は言った。
「三連符の柔軟性、ペダルが生み出す空間に響き渡る音。繊細でいて、情熱を秘めた中間部。まさに名曲中の名曲だ」
喜々として語りだす昴さん。
「へぇ」
話の半分も分からないけど、名曲だということは分かった。
「ドビュッシーは情熱的な男だった。燃え上がるような恋に溺れ、不倫までした。彼は良い夫ではなかったかもしれない」
「うへぇ、不倫って。曲の雰囲気とは全然違いますね」
「そうだが、音楽に罪はない」
「それもそうですね」
私は昴さんの言葉に頷いた。
「君はもう帰っていいぞ。後片付けは俺がしておく」
「あら、珍しい。いいんですか?」
「少し考え事をしたくてな」
「でも、カップとか壊さないでくださいよ」
「分かっている」
そういった昴さんは、また楽譜とにらめっこを始めた。
……こうなったらしばらくかかるな。
私は昴さんのお言葉に甘えて帰ることにしたのだった。
第33話 Fin
ドビュッシーの曲は聴いていて、良い意味で眠たくなります。




